きょう11月4日毎日新聞朝刊の書評ページから、伊東光晴・評 『「明治礼賛」の正体』=斎藤貴男・著(岩波ブックレット)を下に転載いたします。
岩波ブックレット上掲書中に書かれていることとして、評者が吉田松陰「幽囚録」をとり上げています。
このことは、当ブログ「2015-04-12 安倍研究(7) 吉田松陰の日本国防策、そして滅びた明治維新型日本」で、吉田松陰の国防策と明治体制大日本帝国の対外侵略との関係を取り上げていますので、あらためてお読みいただければ喜びとするところです。あわせて、「2015-04-11 安倍研究(6) 東京育ちの長州人――敗戦で滅びた明治維新型日本のリメーク版をめざす」で、安倍首相の長州維新への思い入れもご覧ください。
安倍首相の情緒では、明治維新は長州オンリーの明治維新、すなわち長州維新としてクローズアップされているにちがいありません。
安倍首相は、国家や世界をしばしばスピーチで語りますが、彼の情緒や心は小さく狭く、長門の国すなわち長州にとらわれています。
彼の心の母国、長州で名を上げ、長州の歴史に残ることに囚われています。彼は高杉晋作の一字を採って名づけられた安倍「晋三」なのです。
伊東光晴・評 『「明治礼賛」の正体』 斎藤貴男・著(岩波ブックレット)
今年は明治一五〇年である。
明治、明治維新というと、私は東京外国語大学の最初のロシア人教師、メーチニコフを思い出す。かれが在日したのは、明治七~九年とわずかであったが、明治維新は、西欧では例を見ない徹底した革命であるという評価と、この国の将来に関する危惧が忘れられない。
事実は、かれの危惧が現実のものとなった。「富国強兵」、そのための「殖産興業」、そしてその中で努力に努力を続ける明治人。安倍首相がことあるごとに言う明治礼賛の正体はこれなのか、と、鋭く批判するのが斎藤氏の本である。氏らしく首相の所信表明演説等から、その言辞を追っている。一例をひこう。
「一五〇年前、明治日本の新たな国創りは、植民地支配の波がアジアに押し寄せる、その大きな危機感と共に、スタートしました。
国難とも呼ぶべき危機を克服するため……あらゆる日本人の力を結集することで、日本は独立を守り抜きました。
……未来は、私たちの手で、変えることができるのです。」
「……一五〇年前の先人たちと同じように、未来は変えられると信じ、行動を起こすことができるかどうかにかかっています。」
どう変えるか--富国強兵なのか。平和憲法を改正しようという安倍首相の意図が、明治礼賛の裏にあると斎藤氏は、言いたいのであろう。
斎藤氏の本から、私は二つをとりあげる。ひとつは吉田松陰である。『幽囚録』でかれは、「急いで軍備をなし……北海道を開墾し……琉球にも参覲(さんきん)させ……朝鮮を攻め……従わせ、北は満州から南は台湾、ルソンの諸島まで一手に収め、次第次第に進取の勢を示すべきである」と書いていると。
朝鮮、大陸へ進攻しようとする明治の政治家の多くが彼を師としたのはゆえなしとしない。
第二は、司馬遼太郎批判である。かれの代表作『坂の上の雲』は、テレビ化され、明治礼賛という点では、安倍首相とはくらべられない大きな影響を与えた。ナショナリズムの高揚であり、戦争の美化であり、明治の明るい一面の強調であった。
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