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2020-06-05
法務省はほかの本省と違って、法務省幹部は検察官が占めています。法務省は内閣に所属する行政庁でありながら、検察権という司法の重大な側面を有しています。
1952年(昭和27年)の法務省発足以来、法務事務次官経験者の次の就任先が高等検察庁検事長であり、高等検察庁検事長経験者から最高検察庁検事総長が選任されるという首脳人事が守られてきました。これは、行政組織の一員でありながら司法の独立性という国民の期待にも応えなければいけないという、検察庁の独自性を守るための人事慣行です。
この検察庁首脳人事を総理大臣安倍晋三の思うがままの人事にすることで、検察庁をより強力に支配しようとする。そのためには、黒川弘務東京高等検察庁検事長を次の最高検察庁検事総長にしたい。これが2016年(平成28年)から安倍晋三が検事総長に要求してきたことです。今の検察庁法改悪法案は、その仕上げなのです。
黒川弘務東京高検検事長の経歴は、2011年8月 法務省大臣官房長、2016年9月 法務事務次官、2019年1月~現在 東京高等検察庁検事長、です。
大臣官房長というのは、政治向きとの調整が重要な仕事だそうです。政官界案件はもちろんのこと、民間案件であっても、財界や電力、輸出大企業など政治色の濃い企業や特定政治家とつながりの濃い企業などに手をつけるには、時の政権や与党実力者など根回しが重要だということは容易に想像できます。
安倍晋三政権の成立は2012年12月です。
黒川弘務氏は安倍首相や菅官房長官によほど見込まれたものと見えます。えこひいきの強い安倍政権に見込まれたということは、彼らにそこまで黒川を推させるだけの貢献があったということでしょう。
佐川宣寿元財務省理財局長は安倍晋三・昭恵氏を森友台風の風津波から体を張って守りきりました。そのために大規模な公文書偽造事件を引き起こしたにもかかわらず、佐川宣寿氏が国税局長に昇進した実例を見れば、安倍首相に対する黒川弘務現東京高検検事長の貢献度が高かったことは容易に想像できます。 今はコロナ危機で日本中のすべての人が苦悩しています。生活の先行きの見通しが立たない人々も山ほどいます。その渦中に法を曲げてまで、黒川「検事総長」への道筋をつけたい安倍首相は黒川氏に何を期待しているのでしょうか。
検察庁首脳は黒川弘務氏の法務省事務官僚時代から、彼の優秀な政官調整能力を買っていました。検察庁首脳はそれと同時に、黒川弘務氏の優秀な政治性が検察中立の原則を堅持していかねばならない検事総長職に向かない、適性でない、と見ていました。検察首脳は数年前から、黒川弘務氏と同期同年齢の林真琴氏が検事総長に適任と想定していました。
しかし、安倍首相は黒川弘務氏を強く推しつづけ、稲田伸夫検事総長は押されつづけてきました。法務・検察首脳人事を検察側から推薦できても、それを受け入れて人事承認の閣議決定をするのは総理大臣なのです。
稲田伸夫氏の法務事務次官の跡を継いで事務次官に就任したのは、林真琴氏ではなくて、黒川弘務氏でした。稲田伸夫氏は法務事務次官から東京高等検察庁検事長に就任しました。そして稲田伸夫氏が検事総長に就任するとき、その跡を継いだのは現在の黒川弘務東京高等検察庁検事長です。
<検察潰しのための検察庁法バトル>
昨年2019年12月、安倍首相は稲田伸夫検事総長に黒川弘務氏を次の検事総長にするよう要請しました。
稲田伸夫検事総長は、1956年8月14日生まれ。
検事総長の定年は検察庁法第22条に基づき、65歳です。
したがって稲田検事総長の定年は、2021年8月14日です。
安倍首相は暗に、1年半早く退職するよう検事総長に要請したのです。前例のないことでした。
検察首脳の間では、次期検事総長は林真琴氏という路線で進んでいます。検事総長は退職勧奨を拒否。
黒川弘務東京高検検事長は、1957年2月8日生まれ。
[1] 稲田検事総長は安倍首相の人事介入を断って、検察庁法22条に基づいて、黒川東京高検検事長の63歳定年退職日である本年2月8日を待ちます。
[2] これに対して、安倍首相は、国家公務員法第81条の3に基づいて黒川東京高検検事長の定年を半年延期しました。これで黒川検事長の定年退職日は本年8月8日になりました。
[3] 検察側が稲田伸夫検事総長の後任に予定している林真琴名古屋高等検察庁検事長は、1957年7月30日生まれ。定年退職日は本年7月29日です。
黒川弘務氏が半年定年延期になったので、もう林真琴氏の次期検事総長はありません。黒川弘務氏が定年未達であれば、安倍首相側が林真琴次期検事総長案を拒否するからです。
[4] 稲田伸夫検事総長は「検察中立」のために、黒川弘務氏の半年延長後の定年2020年8月8日を越えて、自身の定年である2021年8月14日まで任務を勤め上げ、黒川弘務検事総長案を阻む策に出ました。
[5] 安倍首相側は、この検察の抵抗を今度こそ確実に葬り去る作戦に出ました。それが、検察庁法の「定年延長」法案なのです。これが成立すれば黒川弘務氏の定年は65歳、2022年2月8日になり、稲田伸夫検事総長の定年2021年8月14日を超えることになります。
<検察庁法> 第二十二条 検事総長は、年齢が六十五年に達した時に、その他の検察官は
年齢が六十三年に達した時に退官する。
黒川弘務東京高検検事長は本年2020年2月8日に定年退職している、はずでした。
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検察には栄光の歴史があります。
1974年(昭和49年)12月に金脈問題で田中角栄首相が総辞職しました。そして1976年(昭和51年)7月、田中角栄前首相をロッキード事件5億円受託収賄容疑で逮捕したのです。
1983年10月、ロッキード事件の一審は有罪、懲役4年の実刑判決を下しました。田中角栄は即日控訴し上告審審理途中の1993年(平成5年)12月、75歳で死去。一審有罪判決被告の身分で死去したため、総理経験者にもかかわらず贈られる位階勲章はなかった。
もう一つ、1993年(平成5年)3月、当時の自民党の大実力者・金丸 信を相続税の脱税容疑で逮捕、起訴しました。
自宅家宅捜査の結果、数十億円の不正蓄財が明らかになったという。裁判審理中の1996年3月、被告のまま病死。
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検察官の典型的な頂上コースは、法務省官房長 → 法務事務次官 → 東京高等検察庁検事長 → 最高検察庁検事総長、です。
最高検検事総長は2~3年で辞職するのが慣例です。ここから逆算して、次代の検事総長候補を数年間かけて官職を上げて上りコースを踏ませていきます。このやり方はどの本省でも同じようなことだろうと思います。
法務省発足1952年(昭和27年)以来、 法務事務次官経験者は清原邦一(初代事務次官在職1952.8.1.~1955.1.26.)から黒川弘務(事務次官在職2016.9.5.~2018.1.18.)まで28人。
法務事務次官経験者28人のうち、現職1人(辻裕教2018.1.18.~)と前事務次官1人(黒川裕務、東京高検検事長在職中)を除けば、26人。
26人の退官時最終職歴は、法務事務次官2人、高検検事長6人、最高検次長検事1人、検事総長17人です。
法務事務次官経験者は清原邦一(初代事務次官在職1952.8.1.~1955.1.26.)から黒川弘務(事務次官在職2016.9.5.~2018.1.18.)まで28人。
法務事務次官経験者28人のうち、現職1人(辻裕教2018.1.18.~)と前事務次官1人(黒川裕務、東京高検検事長在職中)を除く退官済みは26人。
退官済み26人の退官時役職は検事総長が17人。 残り9人の退官時役職は、法務事務次官2人、高検検事長6人、最高検次長検事1人、です。
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