■改革者の顔した権力に用心 吉岡忍・日本ペンクラブ会長
日本ペンクラブの創立には「表現の自由」という憲法の理念が深く関わっている。島崎藤村を会長に設立されたのは1935(昭和10)年。その頃の日本は満州事変、国際連盟脱退と国際的孤立を深めていた。
約100人の文学者が集まった。藤村はフランス、ジャーナリストの清沢洌は米国、小説家の岡本かの子は欧米と、外国暮らしが長く、世界が日本の都合だけでできていないことを体験的に知っていた。だが、日中戦争、太平洋戦争と続く時代、言論統制が強まり、ペンの息の根も止められた。
国際ペンも、第一次世界大戦の荒廃を目の当たりにした欧州の文学者たちの議論から21年に生まれた。敵味方に分断されていた彼らも、戦時下で最初に規制されるのは言論の自由だ、と気づいたからである。言論表現の自由と平和。日本ペンクラブと国際ペンの双方にとっての柱といえる。
言論表現の何が問題とされるかを考えるとき、第1回芥川賞作家である石川達三の「生きている兵隊」が参考になる。南京事件に関わった軍隊に取材した小説で、編集部が描写を自主規制したにもかかわらず、掲載した「中央公論」は発売禁止となり、作者も編集者も新聞紙法違反で有罪判決を受けた。
※次回に「生きている兵隊」を紹介します
小説は住民虐殺など戦争の残虐さだけでなく、生きるか死ぬかの戦場で次第に精神的変調をきたしていく若い日本兵の姿を描いていた。私は60年代後半、ベトナム戦争の米軍脱走兵をかくまい、海外に逃がす活動をした際、人間として壊れていく若者に会った。その後、アフガニスタンや旧ユーゴスラビアでも社会的不適応に悩む元兵士たちを見た。戦争は昔もいまも、渦中の人間たちを破壊し、背後の社会を息苦しくさせる。
日本ペンクラブは今年、「共謀罪」の強行採決に際して、法案審議のやり直しを求める声明を出した。また、北朝鮮の核実験を非難するとともに、世界が冷静に、情理を尽くして対処するように求める声明も出した。2005年に憲法改正国民投票法案の白紙撤回を求める声明を発表したのは、曖昧な文言で広範な規制が及ぶ危険を否定できないからだ。言論の自由と多様性は民主主義の基本であり、マスメディアやインターネット言論の規制には大いに疑問を感じる。
気をつけなければいけないのは、戦争も、言論統制も、改革者の顔をした権力がやるということだ。かつてヒトラーは「貧困を救え」「ドイツの森を守れ」「若者よ、社会に奉仕しよう」と叫んで政治的熱狂をあおり、政権を奪取した。日本の軍部も政党政治の腐敗をなじり、凶作にあえぐ農家を救おうと呼びかけて権力を握り、戦争の悲惨へと人々を引きずり込んでいった。
現代には情報洪水というわなもある。情報があふれ、スマートフォンで何でも調べられるが、そこには現場も現実もなく、生身の人間もいない。ものを知る、知る構えをつくるには、歴史や現実や人間とたくさん関わり、対話しなければならない。若い人には目先の改憲・護憲情報に惑わされず、自分の力でじっくり考えてもらいたい。
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