2004年ころ
デジカメの画素数少なく、メディアはすぐにいっぱいに。それでも面白くて街歩き。楽しかった~
稲荷橋近くの社で遊ぶ野良猫。
近所の鮮魚店の店先で。
猟犬になる犬種だそうですが、おとなしくいい子しています。
広島湾の夕焼け。輝かしい日記の一ページ目。2004/5/14
クリスマスカードのセット、380円でセールしていたので買った。
少しずつ使ったと思う。
近所のホテル、ケーキバイキングによく行った。
一人で、友達と。家族と。
旅行先の某窯元で。某所に納入したディナー皿。この他に桃もあった。
紋をデザインにしているのが素晴らしい技。
二回目に入ったら資料館は閉鎖していた。なぜ?
7月ころ、母がいろいろ送ってくれた。
梅干し、自家栽培のチョロギの梅酢漬け・・・とここまで書いて、条件反射で口の中が酸っぱくなった。この勢いでご飯一膳くらい食べられるかも。
右下は母特製のおかずみそ。その名も金山寺。
実家地方の盆灯篭。
お墓に支柱建てて横にも竹を渡してつるす。
冬には手打ちそばと郷土料理、てっぱいを送ってくれていた。
実家でもらった水仙。
よく関西を一人で旅行していた。
奈良県大宇陀町は吉野葛で栄えた、伊勢街道沿いの古い街。
医院もこんな感じ。
この街には、天然の葛から昔ながらの製法で葛粉を作る森野吉野葛本舗があり。
店の裏山が江戸時代から続く薬草園になっていて、珍しい山野草たくさん。
誰もいなくて、一人でじっくり見せていただきました。
吉野葛の製造。
楕円形の沈殿槽の最後の部分で、たまった葛粉を回収。
これだけの葛を作るのに、いったい何本の葛が要ることやら。気が遠くなりそう。
普通の干菓子は砂糖を米粉で固めたもの、こちらの干菓子は砂糖を葛粉で固める。
とても甘い。
川の街広島。夏には街中でこんな光景が見られます。
これは写真をデジカメで撮ったもの。
2000年3月、フィレンツェのウフィツィ美術館通路から中庭を見下ろす。
木のバッグ買った。
シナとつまみはイスノキ。関東から来た作家さんの展示会で。
結構な値段だったけど、今はもっぱらインテリアに。
後ろ、広島厚生年金会館。笑っているみたいなオブジェ。
1998年ころの夏。裏口に来た野生の狸。
深夜、玄関わきのスイレン鉢の水を飲みに来ていた。
子供たちがポン吉と名前つけて毎晩待っていたけれど、10日後には来なくなった。
ポン吉~元気か~
マツタケが買えないので自力で作る。
材料はティッシュ。ガス火であぶって。
母に送ると一瞬マツタケと勘違いしたそうで。
アンティーク好きの友達の家で。
こちら歓迎のディスプレイ。
アンティークな器たち。
ベランダの多肉植物など。
とってもおしゃれなH田さん、ご主人の定年後九州に帰られたけど、お元気でしょうか。
マンションのこの部屋には今、息子さんが住んでいます。
六月ころ、岸壁で釣りをする人たち。コイワシをつっています。
本通りにあったローラアシュレイが店じまいするとき、備品を売り出していた。
樫の額縁、古い写真入りともう一つ買った。
アンティークが好きだというと、マントルピースの枠を勧められたけど、それはお断りした。
庄原の熊野神社から竜王山に登る。2時間くらいかかる。
頂上は車道があるので、リモコンの飛行機飛ばす人がたくさん集まっていた。
歩いて下から登るのは少数派。
高原の夏。
広島にもかつてはミクニがあった。
お皿はエルメス。同業者の集まりで。
その後行く機会もなく、そのうち店はなくなった。
残念。
2004年8月。元安川で。
小説「黒い雨」では主人公は旭町の網本さんの家に寄寓、歩いて宇品の糧秣廠に通うという設定。
我が家の隣のアパートの家主さんが、旭町の網本さんだったので、問い合わせると、親せきの家だという。
2001年には重松静馬(黒い雨のモデル)の住んでいたむくり屋根の離れも残っていたが、道路の拡幅で2004年には取り壊されていた。写真は離れの跡。
離れは「親父が宮大工に建てさせた頑丈な建物」で、原爆では野木がちょっと傷んだくらい、我が家も学徒動員で一人亡くなった。とのお話でした。
左手は鳩小屋。生き物を飼うのが好きなお宅らしく、小説にも鯉をたくさん買っていた話がある。
この写真から16年、道路は徐々に拡幅中です。御幸橋から東へまっすぐ行き、この先で2号線と合流予定。
友達からもらった手提げ袋。
汚れて捨てたけど、皮の持ち手は取っておけばよかった。
今はお付き合いしてないけど、お元気でしょうか。
長野県飯田市ののんび荘。
元は企業の保養所。いいお宿でした。
長々とお付き合い、ありがとうございました。