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写真整理2004

2020-05-07 | 日記

2004年ころ

デジカメの画素数少なく、メディアはすぐにいっぱいに。それでも面白くて街歩き。楽しかった~

稲荷橋近くの社で遊ぶ野良猫。

近所の鮮魚店の店先で。

猟犬になる犬種だそうですが、おとなしくいい子しています。

広島湾の夕焼け。輝かしい日記の一ページ目。2004/5/14

クリスマスカードのセット、380円でセールしていたので買った。

少しずつ使ったと思う。

近所のホテル、ケーキバイキングによく行った。

一人で、友達と。家族と。

旅行先の某窯元で。某所に納入したディナー皿。この他に桃もあった。

紋をデザインにしているのが素晴らしい技。

二回目に入ったら資料館は閉鎖していた。なぜ?

7月ころ、母がいろいろ送ってくれた。

梅干し、自家栽培のチョロギの梅酢漬け・・・とここまで書いて、条件反射で口の中が酸っぱくなった。この勢いでご飯一膳くらい食べられるかも。

右下は母特製のおかずみそ。その名も金山寺。

実家地方の盆灯篭。

お墓に支柱建てて横にも竹を渡してつるす。

冬には手打ちそばと郷土料理、てっぱいを送ってくれていた。

実家でもらった水仙。

よく関西を一人で旅行していた。

奈良県大宇陀町は吉野葛で栄えた、伊勢街道沿いの古い街。

医院もこんな感じ。

この街には、天然の葛から昔ながらの製法で葛粉を作る森野吉野葛本舗があり。

店の裏山が江戸時代から続く薬草園になっていて、珍しい山野草たくさん。

誰もいなくて、一人でじっくり見せていただきました。

吉野葛の製造。

楕円形の沈殿槽の最後の部分で、たまった葛粉を回収。

これだけの葛を作るのに、いったい何本の葛が要ることやら。気が遠くなりそう。

普通の干菓子は砂糖を米粉で固めたもの、こちらの干菓子は砂糖を葛粉で固める。

とても甘い。

川の街広島。夏には街中でこんな光景が見られます。

これは写真をデジカメで撮ったもの。

2000年3月、フィレンツェのウフィツィ美術館通路から中庭を見下ろす。

木のバッグ買った。

シナとつまみはイスノキ。関東から来た作家さんの展示会で。

結構な値段だったけど、今はもっぱらインテリアに。

後ろ、広島厚生年金会館。笑っているみたいなオブジェ。

1998年ころの夏。裏口に来た野生の狸。

深夜、玄関わきのスイレン鉢の水を飲みに来ていた。

子供たちがポン吉と名前つけて毎晩待っていたけれど、10日後には来なくなった。

ポン吉~元気か~

マツタケが買えないので自力で作る。

材料はティッシュ。ガス火であぶって。

母に送ると一瞬マツタケと勘違いしたそうで。

アンティーク好きの友達の家で。

こちら歓迎のディスプレイ。

アンティークな器たち。

ベランダの多肉植物など。

とってもおしゃれなH田さん、ご主人の定年後九州に帰られたけど、お元気でしょうか。

マンションのこの部屋には今、息子さんが住んでいます。

六月ころ、岸壁で釣りをする人たち。コイワシをつっています。

本通りにあったローラアシュレイが店じまいするとき、備品を売り出していた。

樫の額縁、古い写真入りともう一つ買った。

アンティークが好きだというと、マントルピースの枠を勧められたけど、それはお断りした。

庄原の熊野神社から竜王山に登る。2時間くらいかかる。

頂上は車道があるので、リモコンの飛行機飛ばす人がたくさん集まっていた。

歩いて下から登るのは少数派。

高原の夏。

広島にもかつてはミクニがあった。

お皿はエルメス。同業者の集まりで。

その後行く機会もなく、そのうち店はなくなった。

残念。

2004年8月。元安川で。

小説「黒い雨」では主人公は旭町の網本さんの家に寄寓、歩いて宇品の糧秣廠に通うという設定。

我が家の隣のアパートの家主さんが、旭町の網本さんだったので、問い合わせると、親せきの家だという。

2001年には重松静馬(黒い雨のモデル)の住んでいたむくり屋根の離れも残っていたが、道路の拡幅で2004年には取り壊されていた。写真は離れの跡。

離れは「親父が宮大工に建てさせた頑丈な建物」で、原爆では野木がちょっと傷んだくらい、我が家も学徒動員で一人亡くなった。とのお話でした。

左手は鳩小屋。生き物を飼うのが好きなお宅らしく、小説にも鯉をたくさん買っていた話がある。

この写真から16年、道路は徐々に拡幅中です。御幸橋から東へまっすぐ行き、この先で2号線と合流予定。

友達からもらった手提げ袋。

汚れて捨てたけど、皮の持ち手は取っておけばよかった。

今はお付き合いしてないけど、お元気でしょうか。

長野県飯田市ののんび荘。

元は企業の保養所。いいお宿でした。


長々とお付き合い、ありがとうございました。

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機織り、粗筬から千巻取り付けまで

2020-05-07 | 機織り

久しぶりの機織りです。

暑くなく、寒くなく、何をするにもいい季節、頑張りましょう。

糸を切って整経台(短いので、卓上機を裏返しスティック立てて代用)から外します。

織り糸の幅出しをします。

綾に綾棒を入れる。

小さなテーブルに座布団、その上にタオル。卓上機の筬を渡して糸を通します。

糸の固定は姑様からもらった漬物用重し。

向こうの端を椅子の脚に結び、織り機から外した千巻箱に手前の糸を結びます。

機紙を挟み、糸をたるませないように引きながら巻き、向こうへ進みます。

最後に綾返しをします。

糸の綾目を崩さずに、粗筬を抜くのが目的です。

粗筬と一本目の綾棒の間に物差しを差し入れ、空間を広げます。

粗筬の右にできた空間に綾棒を移します。

続いて二本目の綾棒を粗筬に近づけ、物差しを差し入れて空間を広げ、綾目を粗筬の左側へ移します。

できた空間に二本目の綾棒を移し、粗筬を右へ寄せます。

さらに糸を引きながら巻き、最後に粗筬を外して糸の端を結びます。

綾棒が落ちないように注意。

織り機に持っていくまでのことですが、念のため、千巻箱に綾棒を結んで置きます。

千巻箱に芯を入れて織り機に固定。

糸を引き出して綜絖の準備。

次はいつできるかな~。

各行程をいい加減にすると、結局は後で辻褄合わなくなり、修復するのに却って手間がかかる。

一つ一つ、丁寧に。

これは機織りから学んだところです。


いまだに原稿読んでいる。

もう怒りしかありません。

目が死んでいる。必死の気持ちが全く感じられません。

で、悪知恵だけは働く。どさくさに紛れて、国民の権利を侵害する憲法改正を企んでいる。

感染が拡大したのは初動の遅れから。オリンピックにこだわって、感染者を少なく見せかけるための検査の抑制。

普通、熱が出て4日も家にいませんよね。それを新型コロナかもしれない不安抱えて我慢しろなんて、ほかの国はこんなことしてない筈。日本は一応先進国って私は思っていたけど、思い違いだったようで。

初めから、医療のことは現場に任せ、民間で検査、患者の振り分け、治療をさせればよかったのではと思う。

検査を徹底し、無症状者、軽症者、発症者と振り分けて治療。医療資源と人員を集中的に投下する。そのための政治です。

マスクはもう配るの止めたらどうでしょう。ゴミの着いたマスクは廃棄。せめて郵送代だけでも節約してほかのことに回してほしい。

 

 

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機織り再開

2020-05-07 | 機織り

やれやれ、半年ぶりの機織りです。

今回は変形の板杼で、平織りの予定。

どうなることやら。糸は改めて買わず、手持ちの糸で。緯糸は三本くらいまとめて織る。

夜、とりあえず整経完成。

メモ、60/10cmの筬を使用。

四色を使い経糸2本取り。

描け幅12cmで148本×2m整経。50cmのタペストリー2枚の予定。

短いので卓上機を裏返して。

黄色いところが綾。明日外して粗筬に掛ける。千巻までできたらいいけど。

半年ぶりで忘れているかも・・・

とりあえず頑張ります。もうこうなったら年齢との戦いです。

 

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