新潮文庫の初版は1969年、今回読んだのは今年の4月15日の89刷。世界文学史上不朽の古典にして、最近では国内外のベストセラーになっているそうです。
図書館も公民館も書店も閉まってしまい、イオンの小さな書店だけが開いていて、買ってきた。一週間くらいで読了。
この本、20歳前後にも読んだ記憶がある。その時はペストがはやると大変、都市封鎖なんて中世みたいで、これまた大変と現実感がなかった。
私が読んだのは新潮文庫の出たばかりのころと思う。文庫本の常で、紙が茶色になってしまったので、ずいぶん前に捨てていた。将来また読む気になっても、こういう名作は必ず手にいるだろうと思っていた。
で、まさか本当に再読する日が来るなんて、自分でも驚いている。
感想。
50年後に再び読んで、この正攻法の長編にものすごく感動した。感動して、ちょっと涙が出た。
主人公はアルジェリアの港町オランに住む若き医師リウー、妻は遠くの結核療養所にいて、都市が封鎖された後は電報しか連絡手段がなくなる。
ある日、ネズミが死に始め、やがて人間が奇妙な症状を見せて死に始める。先輩医師はペストではないかと市当局へ知らせるが、当局は初めはことを大きくしたくない。ってものすごく既視感が。
死者は爆発的に増えていき、リウーは仕事に忙殺される。リウーの周りの友人、知人、診療でかかわった人、神父、恋人がパリにいる、街から脱出しそこなった新聞記者、子供を亡くした予審判事などが、それぞれの立場でペストが蔓延する中でもがきながら生き、あるものはぺストに倒れる。
感染力の強い伝染病が蔓延するとき、人は何が必要で何が不必要か、いやでも知ることになる。そこから表面上はあまり変わらない人、リウーのような医師と、ここにとどまって皆のために働くと決める新聞記者ランベールといろいろなタイプの人間がいるけれども、巻末近くでリウーはこう独白する。
・・・ペストを知ったこと、そしてそれを思い出すということ、友情を知ったこと、そしてそれを思い出すということ、愛情を知り、そしていつの日かそれを思い出すということになるということである。ペストと生とのかけにおいて、およそ人間のがかちうることのできたものは、知識と記憶であった。
できれば体験なんかしたくない疫病、しかし人間はそれを通じて、学び変わることができるということでしょうか。
この小説の中の人たちはみな個性的、それは現実に生きる人間が個性的なのと対をなしている。ペストに対する反応もそれぞれだけれども、最後にリウーがこの記録を残す気になった動機を述べる。
黙して語らぬ人々の仲間に入らぬために、これらペストに襲われた人々に有利な証言を行うために、彼らに対して行われた非道と暴虐の、せめて思い出だけでも残しておくために、そして、天災のさなかで教えられること、すなわち人間の中には軽蔑すべきものよりも賛美すべきものの方が多くあるということを、ただそうであるとだけいうために。
いきなりこんな一節を読まされると気恥ずかしいばかりだけど、それぞれの立場でよく生き、死んでいった人を読んだ後では素直にうなずいている私がいる。
なんか私のよどんだ心が、素晴らしい小説に洗われたような読後感でした。
私たちの世代はこの新型コロナを体験し、どう変わっていくのでしょうか。それをどう定着していくのでしょうか。
この小説の中で、都市封鎖、体育館などへの発病者の収容、医師が油引きの布で防御して診察するとか、今回も非常時なので同じことが現れてぎょっとした。
都市封鎖は番兵がいて、脱走者は容赦なく銃殺される。これはちょっと怖い。戦後すぐの小説なので、戦争の恐怖の記憶がよみがえったことでしょう。
でも、人々は酒場やレストランに出かけ、足止めされた劇団のオペラを見に行く。密閉、密集、密着を避けてないのがどうしてかな~ペストだといいのかな~