18年くらい前に読んだ本、昨今のコロナ禍で、なぜかまた読みたくなったけど、見当たらないので、中古本をまた買った。
その時と同じように面白く読んだ。
広島県の旧大朝町出身の著者は私より三歳下、同じ大学に籍を置いた時期もあり、ほぼ同世代に、農村に育ったものとしての感性が似ていることに改めて気が付いた。
この本の読みどころは子供のころから大学在学ころまでの、農家の暮らし、山間部の自然の様子と、終わりの方で、福井県の昔の水田を保全する運動に加わった時の話だと思う。
高度経済成長が始まる前の農家の暮らしは、私の育った都市近郊でも、山や川が近いところでも共通点が多いことに気が付いた。著者は両親の日記、聞き書きなどをもとにできるだけ忠実に再現している。自然を相手に勤勉に、合理的に働き、やがて機械を使うようになるくだりも、全国で同じ流れだったことだろう。
重労働のわりに見返りが少ない、誰もそれを望む人はいないわけで、米とほとんどの野菜はかろうじて自給できているらしいけど、それ以外は世界規模の厳しい価格競争にさらされているのだから、農家もまた新しい時代の経営を考えないといけない。合理的に経営しながら環境も保全する。その狭い道をこれからも目指す農政であってほしいと私は願う。
農村の自然、それは純粋の自然とは違う。人の手が加わった自然と共生する環境。動植物も水田の、夏は水があり、冬は乾く環境に適応して多彩な表情を見せる。耕作地が放っておくとやがて全くの自然に返るのと違って、人にやさしい環境。
50年前にはどこにでもあった環境を、国の肝いりで保全する試みが福井県の中池見。放棄された水田を農家の協力でよみがえらせる。珍しい動植物が戻ってくる。農家の人の知識と仕事ぶりに、著者は父母のことを思い出しながら、感動している。このあたりが特に読みどころかと思う。
食べるものを外国に頼っていてはだめだなあと、最近つくづく思う。戦争になれば、新型コロナの世界的蔓延が長く続けば、食料も安定的に手に入れられなくなる。自分たちの食べるものは自分たちで作る。いつでもそうできるように環境を整え、ノウハウも保存しておく。
どことは書いてないけど、広島県の北の方の一面の花畑の公園、農薬使って不自然なことして・・・と疑問を呈している。あれはあの地が選挙区の国会議員が持ってきた事業。花を作るのは近隣農家。むずかしい問題があるわけで。
それとご実家の昔の暮らしで、使っていない機織り機と、縞生地の見本をノートに張りつけているのがあったって、そこにも反応した私。
一回目に読んだときは機織りしてなかったけど、今回は機織り歴10年、それが貴重な縞帳ってしってる。いいなあ。ほしいなあ。ヤフオクだと2万円くらい?。https://page.auctions.yahoo.co.jp/jp/auction/o387628042
ほしいなあ~