さて、真面目に自粛生活していたらさすがに飽きて、きょうは自転車で比治山まで行きました。
我が家からは片道20分というところでしょうか。
元は広島湾に浮かぶ低い島、南麓には石器時代の貝塚も発見されましたが、長い間の堆積と近世以降の新田開発で今は街中の貴重な緑地になっています。
福島正則が広島へ来た頃は、海岸線は今の平和大通りのあたり、その延長線上の比治山トンネル手前に自転車停めて、あとは歩いて上ります。
電車通りから、比治山トンネルの一本南の道路を上がり、トンネル上のフェンス沿いに自転車停めてあとは歩きます。
いい感じの石段。初めてのルートです。ワクワク。
小さな祠にビワ。草刈りする年配男性。
石垣に花が・・・
どこかのプランターから進出?
自然にはないきれいな色。
石垣に適応してたくましく仲間を増やしています。
クサギ。
名前の通り、葉に独特の臭みがあります。
昔一緒に山登りした友達から、クサギのおしたし入りおにぎりもらったことが。
売っている野菜にはない独特の風味。
いざとなったら、野菜買わなくてもビタミン補給できそうです。
頭上、エゴノキ。近年は庭木にもされますが、もともとは山に自生。
でもこんな身近にあるって知らなかった。
花がないと、何の木かな~くらいで見逃しますよね。
こんにちは。咲いててくれてありがとう~
五月の白い花。街路樹にもされますが、実は有毒。ご用心。
遠くにスイカズラが。五月の白い花。
イヌビワなどを見ながら・・・
たどり着いたのは広い墓地でした。電車通りからは見えないので、気が付きませんでした。上の道路からも木に隠れてあまり見えない。
向こうはNHKの電波塔。とりあえず墓地の奥まで行き、あとは山の斜面よじ登ると山道に出る。さらに行くと立ち入り禁止のガードがあり、そこを禁止側から通って車道復帰。
放射能影響研究所(旧ABCC)方向へ行ってみます。
展望台手前に、この写真だと右手に句碑があります。
うわおう、カラスが飛んでた。
正岡子規は、日露戦争の従軍記者として広島から出航。
船の出るまでしばらく滞在し、古郷松山へも帰ったという。
季節は春だったのでしょう。
今はマンション、ビル多数。
高いのは広島大学東千田キャンパスの跡地に建つタワマン。昔の教育学部からグラウンドの付近。
今は二部と放送大学残してマンションや商業施設などがあります。
鶯の口のさきなり三万棟。剽窃深謝。
クサイチゴ。落葉小低木。4月に白い花。5月に結実。
2粒いただきました。フレッシュでおいしいです。
自然には有毒な実もありますが、数は少ないのでそれさえ憶えていれば、あとは口にして大丈夫。だと思う。
いずれもけれん味のない素朴な味わい。
ウェッジウッドのワイルドストロベリーシリーズはこれがモチーフではないかと。。。。
コバンソウ。
一回り小さなヒメコバンソウというのもありますが、こちら大型。
明治以降、観賞用として輸入され、各地にみられましたが、今は数が少なくなっています。
あぜ道はコンクリートに、日当たりのいい自然の原っぱも激減。雑草とひとくくりにされる植物には生きにくい世の中のようです。
三男が小学一年生の今頃、ヒメコバンソウをひと握り、学校帰りに持って帰った。
「お母さんへのお土産~♪」
子育てなんてもう遠い景色だけど、何かをきっかけに蘇る記憶。
まあそれが子育てのご褒美の一つでしょうか。
今は在宅勤務らしいけど、飽きて車でうろうろしてないかい?
トキワツユクサ。
青い花のツユクサは葉が冬には枯れるけれど、こちらは葉が青いままで冬越しする。
こちらも明治期に日本に来てのではなかったかしら←うろ覚え。
たぶんおしたしにできるはず。いざとなったらこちらもいただきましょう。
放影研のかまぼこ型の建物。
建築当時のを塗り替えつつ使っているのではないかと思う。
独特の形は地震に備えてとのことです。
被爆者の医学的データを集めています。長崎にもあるらしいけど、そちらはどんな形の建物でしょうか。
陸軍墓地へ行くころにはデジカメのバッテリー切れ。残念。
対馬丸の慰霊碑(船舶何とか隊と一緒に)見てきました。
場所は一番奥、左手です。国内にいくつかある一番北の慰霊碑だとか。
たくさんの戦没者に心の中で手を合わせて昼過ぎに帰宅。
いい運動になりました。