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「光る君へ」における反物問題

2024-07-02 | 日記

先日の一場面。NHKよりお借りしました。


まひろ(のちの紫式部)に、夫宣孝がプレゼント持ってきます。

「ほらよく似合うではないか、当てて見よ」とか言ってます。

反物だそうです。

反物とは着物一枚が縫える用尺のこと、これでは少なすぎるように見えます。果たして縫えるでしょうか。

反物についてはこちらが詳しいようです。

「反物」とは?意味を知って正しく理解 | バイセルオンラインストアの着物コラム (buysellonline.jp)

ねっ、やはり画面の布では少ないです。

道長と妻綸子が、娘彰子を天皇に差し出すことで話し合っています。

場所は夫婦の寝室。着ているのは当時は小袖と呼ばれたいちばん下に着るもの。それが今の和服の原型と言われていますが、ドラマの布では小袖も無理に見えます。

せめて巻物のように巻いてほしかったです。

神は細部こそ宿り給う。小さなことをおろそかにしないドラマでお願いします。せっかくの話に酔いたいのだから。

このあと、夫婦げんかになり、まひろは夫に香炉の灰を掴んで投げつけるんですよね。まひろの送った歌を他の女性に見せびらかしたことがきっかけでしたか。

私ならそれにも怒るけど、こんな端切れみたいな布切れで私の機嫌とるつもりと、布の短さに怒る。無地だから用途も限られそう。

布地の流通、どうだったんでしょうね。

今よりうんと貴重品だから、たぶん注文生産。権力者、富貴の者はお金のようにたくさん家に置いておき、お礼や褒美でそれを使う。道長は呉服屋みたいに家に布地をストックしていて、節目節目に人に下げ渡していたとか、何かで読んだ記憶が。

庶民は・・・私の類推ですが、布地を仕立てる場合と、古着の流通もあっかもしれませんね。

 

私は平安時代が好きなので、衣装、調度、所作、楽しんでいますが、道長を善意の人として描くので、シナリオでは史実との整合性に最近は特に苦労しているように見えます。

娘を天皇に差し出す理由など。権力欲というか、それが当然という思考と思いますが、ドラマではえらく苦悩している。

私が子供のころ、小学校の教師をしている叔父から「学校に置けなくなった本」を貰ったことがあります。戦前の子供向けの歴史書。イザナギ、イザナミの神話から始まる皇国史観に貫かれた通史で、藤原道長は天皇をないがしろにした大悪人という扱いでした。

それもまた極端な見方。

摂関政治も歴史の必然から生まれたもので、単純に善悪では片付けられない筈ですが、天皇を中心に考えるとそうかもしれませんね。古代の天皇制は豪族、貴族のパワーバランスの上に成り立っていたので、有力貴族が権力を握るためには手段を択ばないのはこれまた善悪では判断できないところ。その時代、その立場に行き合わせたら誰しも似たようなことをするのではと思う。

鎌倉時代の有力御家人のパワーゲームに比べたら、刀を抜いて戦わないだけまだましかも。


一度やめたはずのこのブログになぜ帰った来たのかというご意見がありました。

前のを読んでコメントくださった皆様、申し訳ありませんでした。

説明は長くなるので省かせていただきますが、こちらの方がより安心のようなので、ふたたびこちらに書くこととしました。

久しぶりに昔の記事を読むと、前は孫たちがよく来ていたなあと感慨もひとしお。食事とおやつの提供、賑やかに遊んで、帰ると疲れが出て、そんな日があったことに感謝。

翻って最近は楽しいことも少なく、次第に年取って行くのかなと。まあ体に気を付けて人の迷惑にならないようにするのがこれからの目標であります。

コメント (6)
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