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「光る君へ」に於ける添い寝問題

2024-07-21 | 断想

先日のこの場面、場所の設定はどこ?と少し引っかかっていましたが、

こちらによると

考察『光る君へ』 | クロワッサン オンライン (croissant-online.jp)

物置ではないかとの考察。

なるほど。以前、友人さわと参篭したときの寝所は女性ばかりの大部屋だった。(そんなところへ忍んでいく道綱・・・あとどうするつもりだったのか。いやはや)

逢瀬の場所として、物置なら分からなくもないですが、向こう側が素通しで几帳から光が差し込んでいる。暗くては表情が分からないので、もしかしたら演出上の都合?

物置なので当然二人分の寝具はない。上の写真だと、下に道長の狩衣を敷き、私の記憶だと上にまひろの袿を掛けている。

よほど切羽詰まっていたんでしょう。

「それなら授かったのは2月でございますね」(byいと(まひろの弟の乳母にして今はまひろ家の侍女)

物置のフローリングの上に着ているもので身を包み・・・切迫感もどれほどかと。


でもねぇ、そんなに好き同士なら、今までに、いえ今からでも寄り添って生きることを考えたらどうかなと、今回は思ってしまった。

人の一生は短い。次はいつ会えるか分からないのにこれはもどかしすぎる。愛人でも何でも、立場はどうであれ、心の中では一番の場所にいる。それを目指す。そして政をする人を支える。

今の感覚で妾(しょう)は耐えられないというのも分からなくはないけれど、この時代の結婚制度ならあり得ない話ではないし。

で、物語ではこの時の子供、後の大弐三位ですが、一説には道隆の次男との間に子供をもうけていることになってる?

藤原賢子(大弐三位)の系図 (fc2.com)

一つの説らしいけど、今回のドラマと照らし合わせるとびっくりです。知らないとはいえ、祖母の仇の息子と結婚している?

そのあたりの整合性はどうなるんでしょか。

恋愛は障害が多いほど盛り上がるのは鉄則。それで盛り上がるんでしょうが、ここまで拒絶して本当に好きなのかなと思ってしまった。私なら今の夫と別れて、道長の思い人になるかな。どこかにひっそりと小綺麗な家をあてがわれ、来ない時は自分の趣味を楽しむ暮らし。いいなあ。本妻さんその他に嫉妬はするかもしれないけど、何しろ自分がいちばん思われているんです。

いい着物着て、美味しいもの食べて、たまには気晴らしに嵐山付近へ出かけたり・・・いいなあ。


先週はまひろの子供と定子の子供と、新生児を二人も見た。さすが大河ドラマ。そこらあたりも手抜きはありません。生後一月は経っていないと見えます。その圧倒的な存在感に感動した。赤ちゃん、抱きたくなった。

やはりこれは女性の見る大河ドラマですね。

で、添い寝の件ですが、石山寺のXに「寺で添い寝しないように」との投稿があったそうです。私は未確認ですが。まさか真似する人もいないでしょうが、宗教施設でそれは行けませんね。


昨日は午前中、会場当番。来た人、息子一家4人、地元の友達1人、織の友達と先生二人連れ。みんなに一度に出会えてよかった。地元友達は絽の着物で来てくれた。若い時のに見えたけど、着物なので全然違和感なかった。

着物なんて気にせずに着てしまえばいいんです。

一帝二后、やってしまえばいいという安倍晴明の真似ですが。

その他に工芸出品者の奥様と長話。会の偉い人と長話。これからの作品作成についてのアドバイス。もう一人の人からは組織の仕組みを教えられた。

今は私は一兵卒。その上に会友、会員、評議員、理事とあるらしい。

会員を長く務めると審査会の見学があり、評議員になれば審査に参加とか聞かされた。

しかし、出品し続けるのも大変で、会友に推挙されるとやめる人もいるらしい。

作品は人に見られて作品として生きてくる。後の世に残るものはほぼ皆無。しかし無名の無数の作家によって時代を貫く大きな流れが作られるのでしょう。組織を続けるのはなににせよ大変なことです。

コメント (4)
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