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復活の花火大会

2024-07-27 | 日記

今夕、地元で花火大会あり。コロナで中止して5年ぶりくらいの復活。(喜)

もう今までに十分見たのでいいわ・・・とはならず今年も見物。

こんな時は地元の強み、カメラと籐の椅子持参で、ちょっとそこまで。

始まってます。

駐車場と店の向こうに散発的に。

そのうち、よく見える場所があると誰かが言っているのでちょっと足を延ばします。

スーパーの駐車場に人が集まっています。その向こうのさる施設が建て替え中で今年は見通しがよく、ここがよさそうです。

次第に大掛かりに。わっと上がる歓声。

車椅子の人も見ています。どんな人も楽しめる花火の有難さ。花火の下の平等。

左のポールが邪魔なので消してみました。

連発花火。パッと開いて音は後から。

光と音の伝わる速度の違いって、子供の時に習ったような。

ドン、ズザザザザーーーー、パラ、パラ、パラ・・・・

45分間の夏の夜の競演でした。

今年は、夫が市のバイトに出かけたので一人で見ました。一人で見たのは多分初めて。近い将来か遠い未来か分からないけれど、こんな年もありぬべしと、ひとりを楽しむ。ひとりでも楽しむ。


花火の記憶いろいろ。

最初は1970年、その頃付き合っていた男の子=今の同居人に誘われて、うちの斜め前のペットショップの前で金魚見ながら待つようにとの指令。確かに金魚屋あり。今は理容室になっています。

仕事の都合で広島を離れたこともあったけど、またこちらへ戻って来て、それから毎夏花火を見てきた。そのたびにいろんなことがあり。

次男、三男、一歳半から二歳前の頃、花火の音に怯えてドンと鳴るたびにワッと泣く。一時間、ドン!ワッ!!の繰り返し。本人、忙しかったと思います。

三男がサラリーマンになった初めての夏は地元で販売研修があり、我が家から仕事に通っていた。

ここにいると思ったと、勤め人の格好で屋上まで上がってきた三男と見た花火。

孫が小さい時は、何度か来たはずだけど、不思議と憶えていない。孫二人、結構肝が太いので泣かなかったかもしれない。

夫の友人夫婦と見たこともあった。その迫力に感激してもらえてよかった。また来てもらうつもりだったけど、その願いはもう果たせなくなりました。**子さんは亡くなり、友人も今は事情があって来られない。

毎年花火はあるけれど、人の境遇は少しずつ変わっていくようです。

それがまあ時の流れ、嘆くことなく、淡々と受け入れてその時々で人生を楽しむ・・・ということでしょうか。


昨夜は疲れて早く寝たら、2時ころ目が醒めて期せずしてオリンピックの開会式を見た。

パリの街全体が開会式場って、なんて素敵な演出なんでしょうか。

選手団がいろいろな船に乗り、川岸で繰り広げられる演出は大掛かり。ダンサーや歌手のパフォーマンスもセンス良くてパワフルだった。

やはり、花の都パリでなければできない技。パリの魅力をよく出していたと思います。

フランスの底力というか、文化の厚みに圧倒されました。日本人みたいな名前の、明らかに日本人でないダンサーは芸名だそうで。

以前、ポーランドの街(場所失念)を歩いていて、いきなり漢字の看板に出会ってびっくりしたことがありますが、一部では日本語や漢字がおしゃれな記号になっているのかなと。

きっかけはどうであれ、異文化に興味を持ち触れ合うのはいいことかなと、そんなことも考えました。

地元は今夜は車の立ち入り禁止。明石の花火事故のあとから次第に規制が厳しくなりました。地元民も許可証がないと車に乗れません。それで夫は警察署交付の許可証持参で仕事に。花火が終わって、今はとても静かです。

鉄道大好きの長男と、花火会場近くで、広島電鉄の電車のやりくり、客扱いを一緒に見たことも。長男、花火に背を向けて、熱心に見ていました。25歳くらいだったかな。

「いろいろなこと思い出す花火かな」偶成

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