以前、光町にあったイギリスパンの店、Baps&Bans
https://www.baps-buns.jp/
イギリス仕込みのシンプルでとてもおいしいパンで、日曜日は二割引きなので車で一週間分買いに行ってた。
元々は四国の友達に、広島にいいパン屋さんがあると教えてもらった店。その友達も大阪の友人から聞いたそうで、デパートのイギリスフェアで出会ったとか。
買ってみると、本当においしいパンだった。油脂、砂糖でドレスアップした柔らかい菓子パンの対極にある、麦を主食とした人たちが毎日食べても飽きないようなてらいのない味。
いうなればご飯みたいなパン。和風のおかずにも合うし、甘くしたければジャム添えて、物足りなければバター付けて食べるとまたおいしい。
一度、店主の方においしいですねぇと感想言うと、日本人は甘いパンが好きなので・・・と残念そうな口ぶりでした。
店は十年以上前、青崎に移転。とても行きにくい場所になった。R2には近いのだけど、あの付近は高架になっていて、車で行くのがおっくうになり、だいぶたってからバスで行ったら病気でしばらく閉めますという張り紙が。
話し長いですねぇ。すみません。
で、昨日、たまたま三越で日曜日だけ出店していると分かり、途中まで自転車、あとは京橋河畔の緑地帯を歩いて三越まで往復。本当に久しぶりにパンを買った。
それはこちらです。
手前の笹かまぼこみたいなのはリーフパイ、あとはナッツ入りスコーンとか。
白い粉の吹いた食事パンが特に美味しいのです。お値段も最近はやりの高級食パンよりは安い。外はパリパリ、中もっちり。
真ん中三点は友達の家に持っていくのでその前に写真撮る。
京橋川右岸。
緑地帯が広くて、大木の木陰がとても涼しい。歩きやすい土の道。
人、少々。
このあと友達の家に行き、ご主人交えて三人で話す。
友達はずっと療養中、80歳のご主人が面倒見ています。
コーヒーいただいていろいろ話して、昼過ぎ帰宅。
また来てくださいと言ってもらった。三月にはどこかお店へとご主人が言っていたけど、もう無理かなと思った。時々、顔を見に行きたいものです。
最近、目的がないと歩けなくなった。ただ歩くだけは辛いし、退屈。
きょうは木の下の遊歩道を、買い物という目的があったので楽に歩けました。膝も大丈夫だったので、これからも歩きましょう。
今日思い出したこと。
三越の10時半開店にまだ時間あったので、流川通りを南下したけれど、かつて毎月行っていた居酒屋はなくなっていた。ネットカフェとか、見慣れない店ばかり。
かつてと言ってももう30年以上前。私30歳代。散文系のサークルにいて、毎月作品の読み合わせ、そのあと場所を移しての反省会、年に一二度の雑誌の発行。
参加したのは、市の文芸作品募集に応募した作品がたまたま入選して、一緒にやりませんかと主催者から声かけてもらってから。三男の生まれる前後だったので、しばらくは参加できなかったけど、二年後くらいからなんとか時間作って参加していた。
多くの人と出会い、たくさんのことを教えてもらった。
しなくて済んでいくことなのに、その時は本当に已むに已まれず。
二次会の居酒屋へ行ったのは入会して三年くらいたっていたかな。その時だけ、午後から午後八時くらいまで夫に子供三人頼んでいた。もちろん夕食も作って並べておいてから。
お店行ってびっくり。それは20歳ころ、コンパで行った店だったから。教育学部の人たちと一緒に勉強することが増えて顔つなぎのコンパだったと思う。
同じ専攻のPさんが、演劇部の先輩に失恋したばかり。
「初恋と初恋愛は実らない」と落ち込んでいたら教育学部のQ君が話を聞いていて、しばらくして振り返ると二人はしっかり抱き合っていた。
もうお、びっくりーーーー!!!!
二人はずっと抱き合ってて、コンパが終わると手に手を取って夜の街に消えて行った。Pさんを憎からず思っていた我が専攻のR君が、血相変えて二人を追いかけて行ったのまでは見たけれど、あとどうなったかは知らない。
なんでこんなこと思いだすんだあ~久しぶりに流川へ行ったから。
翌日以後、誰もそのことは話題にしない、触れてはいけない無言の雰囲気。
だいぶたってから、たぶん半年くらいたってから、その後どうなったのと聞いたら、たった一言、「別れた。あの時は民青と癒着していたのよ」と吐き捨てるように言っていた。
彼女は結局、私の高校の一年後輩の人と結婚して大阪にいるらしい。もうきっといいおばあちゃんでしょう。元気でいるかな・・・と秋の日に思い出してしまった。
だから30代で、全く同じ店の同じ部屋に行ったのがとても不思議だった。また学生に戻ったみたいで。その頃の私はとても煮詰まっていて、やむに已まれず、自分が楽になりたくて書いていた。
三越も久しぶり。ちょっといいなと思うジャケット見たら高かったので、こりゃダメだわと、パンだけ買って帰る。
若い日の私の恥ずかしき行いの数々も、誰かがどこかでまだ憶えてるかもしれない。忘れるまでは憶えている。それはもう諦めるしかない。。。。