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初冬の広域公園

2020-12-06 | お出かけ

紅葉見たい、と言う人と一緒に広域公園へ行ってみました。

アメリカフウは遅くまで葉をつけていますが、考えてみれば広島市内から山一つ越えた奥地、気温も幾分低いようで、今年の紅葉は残念でした。

きょうは中学生の陸上競技があって、車多数。

メタセコイヤ。

この木は毎年いい色に紅葉する。

暖かい冬。

ユリノキ。ドイツ語だとTulpenbaum。どちらも見たまんまの命名。

木漏れ日の射すこの道を歩きましょう。

タイワンフウ。

アメリカフウに比べてやや地味。

イロハモミジ。

日陰で色づくのが遅かったらしい。

さよなら、来年の秋まで。

メインスタジアムと手前の球戯場。

子供たちがサッカーしています。

孫二人はサッカーと体操を始めて、とんと来なくなりました。

お姉ちゃんは一か月、弟には二週間会ってません。年内には会えるかな。。。。

周りは山。

この後、階段下りてベンチで持参のお弁当食べて帰宅。

転ばないように用心して。

本日は手軽なお出かけでした。まだまだ暖かい毎日。

温暖化は心配だけど、とりあえず暖かいのは嬉しい。

しかし何と大まかな柄の大島。せいぜい普段に着ましょう。

 

 

 

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母の大島と開き仕立ての八寸帯・自転車でGO!!

2020-12-06 | きもの

本日は母に貰った大島、自分で買った一重の帯。帯締めは姑様のごみ部屋の中から発掘。帯揚げは京都西陣の帯の製造卸問屋「渡文」を見学したとき買った。

帯は8万くらいから、新幹線代出しても地元デパートで買うより安いとのことで、豪華な帯の数々見学させていただきました。

能衣装も織っていました。能衣装って刺繍とばかり思ったいたけど、織り柄でした。

いい着物は全然持っていない私、でもまあいいものでなくても着物は着たもん勝ち、自分が楽しければそれでよし。

母の大島は横双、しかも画素数少なし。

地元呉服店で買った時は高かったはずだけど、今はリサイクル市場でしか見ないかも。

体型が似ているので着ていて楽_| ̄|○

母はこれに絞りの羽織を組み合わせて、ちょっと気合の行った外出はよく着ていた。

ピーターのお母さんも着ていましたね。ピーターとはこちらの方です。

69'「夜と朝のあいだに」ピーター - YouTube

レコード大賞の会場で、大島に絞りの羽織で涙ぐむお母さん。2本目の動画の4:16頃にはっきりと映っています。

1970年のお正月明け、私20歳、高校の同級生だった男の子と、地元ライオン通りの喫茶店で、そろそろ話が途切れたのでジュークボックスのこの曲リクエストしたら、その男の子にえらくけなされた。

下らん、風俗的にも新しいはずなのに、親が出てきて、泣いていた・・・って。

いいじゃないの、歌聴くだけだから。と答える私。

この話のツボは、年末、みんな同じテレビを見ていたという時代があったということ。

弟は毎年のお正月、同級生で集まって紅白の話で盛り上がっていた。布施明のビラビラがよかったとか。はい、愛は不死鳥ですね。

昭和も平成も過去になり、頑張って大島着ていた時代も遥かに遠く。

軽くて締めやすかった。

耳朶がでかいのは祖父、父親譲り。でもまじまじと見たことなかった。

大きいからって、人の話をよく聞いてませんね。家の中では特に。

しかし、年も取ったことだし、これからは協調性のある穏やかな老後にしたいものです。

身体的にはコンプレックスいろいろ、写真公開するのは嫌ですが、着た記念に。

帯締はもう少し上でも。

外出します。

マスクと半襟のコラボ。絞りの羽織地から作る。

ピーターのお母さんの着ていたような羽織は、半コートくれた近所の人が、別のときにくれました。

誰でも絞りの羽織着ていたんですね。

絞りのマスクは顔に密着しないので楽です。型紙なし、25センチ四方で手縫いで作りました。和服地なら手縫いが簡単なようです。


さて、着物着ても歩いてばかりの外出では時間がかかる。近所の用足しは自転車で。

滑りの良い化繊の風呂敷を帯締めに挟み込んでエプロンの代わり。

風呂敷は大きめがおすすめ。

草履の代わりに合成樹脂製の簡単な靴を。

草履は危ないし、ちゃんとした靴はおかしいし、結果、これになりました。

ホームセンターへの途中で。

裾の乱れは風呂敷がカバー。裾は全然邪魔になりません。

着物は滑りの良い記事がおすすめ。絞りとか結城は難しいと思います。

帰り道。あらよっと。

今日もいいお天気。

この後、自転車で「こども食堂」へ寄付金届ける。

今年一年、我が家は今の仕事始めて以来の売り上げ減でしたが、家族全員、何とか無事に一年が終えられそうです。その感謝を込めて。

本当はお手伝いすればいいんでしょうが、とりあえず今回は寄付金だけ。子供たちのクリスマスケーキ買う一部にしてもらえるそうで、よかったです。

元々は地域猫活動している知人の話を人づてに聞き、自分なりのボランティアとして考えました。私の中では猫より人間です。同列に話すのも失礼ですが。

子供たちは大きくなって、社会に貢献して税金も払ってくれます。どんな子供にも明るい未来がありますように。


ケーキと言えば、私が子供のころ、空襲で焼け出され、うちの北座敷に疎開していた町の自転車屋さんが、自転車の後ろにお歳暮のクリスマスケーキ括り付けて持ってきてくれるのがとても嬉しかった。

昭和30年代です。

もう少し大きくなると、ケーキもたくさん出回るようになり、弟の誕生日とクリスマスと、二回ホールのケーキ買ってもらえるのが嬉しかった。

遠い、遠い、昭和の時代の話です。

コメント (2)
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