よかった~、残っていました。
紅葉とレンガはよく合う。
ちょっと京都の水路閣風。
大きな煙突は撤去されて土台だけが残っています。
明治時代の西洋建築。
戦後は民間企業に払下げ。撤去前に市が買い取り、資料館として再整備。
30年以上前ですね。
いつも何かの企画展しています。昨夏は孫二人連れてお化け屋敷に。全然怖がらなかった。。。。
よかった~、残っていました。
紅葉とレンガはよく合う。
ちょっと京都の水路閣風。
大きな煙突は撤去されて土台だけが残っています。
明治時代の西洋建築。
戦後は民間企業に払下げ。撤去前に市が買い取り、資料館として再整備。
30年以上前ですね。
いつも何かの企画展しています。昨夏は孫二人連れてお化け屋敷に。全然怖がらなかった。。。。
今朝は早く起きたので、一気に片づけました。
筬框をうんと後ろへ寄せて
最後の平織りは狭い隙間に板杼を入れる。
白い汚れに見えるのは、玉葱の皮を煮出した絞り染めのあと。
整経で染め残した部分がずれてまくっています。
うーーーむ、緯糸を等間隔に染めるのがまだしもずれないはず。
170㎝の整経、辛抱して94㎝まで織る。
裏返してこちらが表。
間違っているところは織り目が教えてくれる。
織っている時には気が付かないけど、一目瞭然。
左が表。右は裏。裏だけ見ると、ちゃんと織れてるように見えましたが。
今回は余った糸で練習。
次は、次の同窓会で皆さんに渡す布巾を織る予定。
次の同窓会がいつなのかは未定。東京オリンピックの年にと言って前回解散したので、命運はオリンピックとともにあり。
次回は間違えないように織るつもりです。
一日一回、家にいるときは着物着る。寒くなるまでになるだけ着てみる。
本日は父方の叔母の形見のお召しです。帯は柄が気に入らないので、自分で裏返しに仕立て直した。
貰った時、赤いかなと思ったけど、最近赤も好きになったのでノープロブレム。
写真が悪すぎて見ていただくのも気が引けますが、こんな感じで。
着物にまつわるあれこれ。
祖父は子だくさんで、私は叔母が5人。生きているのはもう一人になったけど、これは三番目の叔母がなくなった後、私に回ってきた。
結城や大島は他の叔母たちが持ち帰り、残りが我が実家に。それをある時、もらった。他には絽の小紋が二枚と、紋のついた色無地。他のは着たことないけど、このお召しだけはたまに着る。
着るとかわいがってくれた叔母を思い出す。私が生まれたころはまだ家にいて、赤ん坊の私の面倒よく見てくれたとか。私は当然、全然覚えてない。
小学生のころは服を縫ってくれたりした。さらに時が経って、実父の葬式の時、私の喪服が着崩れているという。
「いや、これは着崩れとるんと違う。身幅が足りんようになっとるんや」と言って私の喪服と長じゅばんを持ち帰り、あっという間に縫い直して送ってくれた。
おばはデイサービスに行った先で脳梗塞になり、意識が戻ることなく、二年くらい病院にいた。倒れる前日には、叔母から電話があり、長話をしたところだった。いろいろ大変なこともあったけど、それも解決しそうと明るい声だった。
人の運命はわからない。怒ったり、喧嘩したまま次の日を迎えないよう、私も気を付けたいと思う。仲直りしないままに永の別れになることだってあるんだから。
おばに教わったことは何でもきちんとすることかな。洋裁も和裁も得意な人だった。当然この着物も自分で縫ったことでしょう。
着ていると優しかった叔母に包まれているような気がする。着物の効用、ここにあり。
楽しいクリスマス飾り 2019年11月。島根県玉造温泉で。
時々拝見する、お寺の奥様のブログ、たぶん私より若い方だと思うけれど、参考になる考え方いろいろ。
最近の記事は、自分にできないことは断ればいいというお話でした。
人のために文句言わずに働く、と言うのは悪いことではないけれど、それを繰り返すと、何頼んでも断らない人と、軽く扱われる。自分のしたくないことは時間を犠牲にしてまでする必要はないとのことでした。
なるほど。確かに言う通りですよね。できることは協力するのはもちろんですが、無理して人のために働き、感謝されないばかりか、してもらって当然、時にはその結果にあれこれ言われる場合もあれば、初めに断る勇気も大切かなと思います。
それで壊れる人間関係なら、それはそれだけの間柄だったと思いましょう。
翻って、自分自身は人の厚意に甘え、気が付かずに無理なことお願いしてないか、時折立ち止まって振り返らないと・・・と思わされました。
きょうは毎月恒例の、おばあちゃん達のお茶会。12月なので、前もって注文していたイチゴのショートケーキを配達してもらい、みんなで食べていい年納になりました。
きょうもお寿司を寄附する人がいて、道後温泉土産の坊ちゃん団子もあり、おやつ一杯の楽しい会になりました。
皆さんが準備する私にお礼を言われるので、こんな私でも少しはお役に立てているのかなと嬉しかった。
お礼と感謝の気持ちは言葉一つで充分。人の気持ちを動かすのも言葉一つから。
説明を拒んだり、意味不明の日本語ではぐらかしたりって、せっかく人間は言葉という便利な道具を持っていて、それを発信できる立場にあるのに、残念としか言いようがない。今国民が困っている問題について、何も考えていない、成り行き任せ、そんな印象を受けます。
話がよそに飛んで行ったけど、どう見ても当事者能力があるようには見えません。他に誰かいないのでしょうか。暗澹。