約一ヶ月して親父は帰ってきました
アメリカ土産はシェーファー・スノーケルの
万年筆や、コダックのエクタクローム・フィルムなど
土産話に、いまハリウッドは大変なことに
なっている。
アメリカはすでにテレビ放送が始まっていて
その影響で、映画の都ハリウッドは
すっかり寂しくなっていると話してくれました
アメリカへはパンナム航空だったようです
多分、JALはまだ国際線がなかったのでしょう
親父は搭乗記念にパンナムのバッグと
日付変更線通過の記念の証明書を貰ってきました
今から当時を考えてみますと
アメリカと日本は1ドル=360円の
固定相場でしたから、ハリウッド行きも
大変だったでしょう
映画制作の話になって
撮影されたイーストマン・カラー・フィルムの現像、仕上げは
東京の東洋現像所(五反田=ごたんだ)で行う、
京都花園の東洋現像所では処理できないので
撮影したフィルムを東京へ送らなくてはならないのでした