
■【経営四字熟語で目から鱗が落ちる】6-04 因循姑息 目先に追われて大局を見失う ~ 古くから慣れ親しんできた習慣や慣習に従う ~

四字熟語というのは、漢字四文字で構成された熟語であることはよく知られています。お恥ずかしいながら、その四字熟語というのは、すべてが中国の故事に基づくものとばかり思っていましたが、実はそうではないことを発見しました。
経営コンサルタントという仕事をしていますが、その立場や経営という視点で四字熟語を”診る”と、今までとは異なった点で示唆を得られることが多のです。「目から鱗が落ちる」という言葉がありますが、四字熟語を講演や研修の場で用いたり、自分の仕事や日常会話に活かしたりするようにしましたら、他の人が私を尊敬といいますとオーバーですが、自分を見てくれる目が変わってきたように思えたことがあります。
四字熟語の含蓄を、またそこから得られる意味合いを噛みしめますと、示唆が多いですので、企業経営に活かせるのではないかと考えるようにもなりました。これを「目鱗経営」と勝手に造語し、命名しました。
以前にも四字熟語をご紹介していましたが、一般的な意味合いを中心にお話しました。このシリーズでは、四字熟語を経営の視点で診て、つぶやいてみます。以前の四字熟語ブログもよろしくお願いします。
■ 第6章 仕事上手になる法
論理思考で現状分析をキチンとし、方向性を明確にしてからPDCAサイクルを回し始めても、実際に行動に移したときに旨くいかないことがあります。やりたいという気持ちはあっても、いざ行動に移そうとしたときに、動けないこともあります。
相手の人を説得したり、納得させたりしても、必ずしも相手は期待通りに動いてくれないことがあります。日常生活においてだけではなく、経営者・管理職にとっては、社員や部下が動いてくれないというのは深刻な問題です。
人の価値観というのは、多様性に富んでいます。論理思考で相手を説得したからといって、相手は納得したわけではありません。一つの価値観だけでは、相手は納得してくれません。人は、理屈だけで動いているわけでもなく、感情もあります。
うまくいかない原因として、やろうとしていることにコツやカンというものがあったり、それを行うための技術が必要であったりして、その習得ができていないことでうまく行かないことがあります。コツの飲み込み方が上手な人もいれば、そうでない人もいます。
このような時に、役立つ四字熟語がありますので、ご紹介します。ここでは、四字熟語の中から、相手を理解し、一方、相手にその気になってもらうには、どうしたらよいのか、心に訴えるヒントを感じ取っていただきたいです。
*
■6-04 因循姑息 目先に追われて大局を見失う
~ 古くから慣れ親しんできた習慣や慣習に従う ~
経営コンサルタントとして仕事をしていますと「何で、このような帳票や資料を作成しているのだろう」「なぜ、このような加工方法を採るのだろう」「なぜ、この機能がいるのだろう」などと、首を傾げたくなることが多々あります。そのようなときに、「なぜ、そうするのですか?」と尋ねますと、「先輩から、このように教えられたから」「マニュアルにこのように記載されているので」「このようにやるのが常識ではないですか?」というような答が返ってきます。
私たちは、意識していないうちに、現状を肯定してしまいがちです。このことは、「因循姑息(いんじゅんこそく)」に繋がります。「因」は「~による」「~に基づく」いう意味です。「循」は、「従う」という意味で「循環」というのは「環に循(従)う」ということで、サイクルの意味に使われます。このことから「因循」は、「すでに出来上がっているレール、すなわち既成の物や規則などに寄り添う」という意味になります。「姑」は、「しゅうとめ」という意味が一般的ですが、ここでは「しばらく」という意となり、「息」は、「一息つく」という意味です。「姑息」は、「しばらくの間休む」ということから、「現状のまま過ごす」という意味です。
このことから、因循姑息というのは、「古くから慣れ親しんできた習慣や慣習に従う」ことを基本とし、そこに疑問を持たずに、逆にそれに固執して、例え不便や問題があったとしても改めて、これまでのやり方に拘ってしまうことを指します。このことが転じて「.消極的な態度に終始し、決断力に欠けて、現状のままズルズルと引きづられてしまい、非建設的な発想になってしまう」という状況の時に使われます。
将来の変化を予測して行動するという、別項で紹介しました「深謀遠慮」という姿勢が見えない人は、目先のことを心配して自分の考えを変更しようとしないことがあります。このような人を、「遠慮近憂(えんりょきんゆう)」という四字熟語をつかって表現します。すなわち、この四字熟語は「将来のことを考慮に入れて判断し、先手を打って行動を起こすべきところ煮も関わりませずそうしておきませんと、近い将来にそれがトラブルとになってしまいます」という意味ですので、先手を打っておかないとならないという教えです。
「石橋をたたいて渡る」という諺がありますが、物事に非常に慎重な人を例えるときに使います。世の中には、石橋をたたいても、心配となって渡らない人もいます。そのような人は、過去に大きな失敗をしたり、怖い思いをしたりした経験があり、それがトラウマとなってしまっているのかもしれません。そのような人を表すときに「懲羮吹膾(ちょうかんすいかい)」という四字熟語を使います。訓読みしますと「羮(あつもの)に懲(こ)りて膾(なます)を吹く」となり、わかりやすいでしょう。羹を食べたときに、熱い思いをしたり、口にやけどをした人が、膾(なます)という冷たい物が出されても、熱いかもしれないといってフーフーとして、冷ましたりしてから食べようとする、というムダな行為をいいます。まだ、そのようにしても食べる人は許容されても、食べない人は困りますね。
因循姑息な部下を持ちますと、懲羮吹膾な態度にイライラすることもあるかもしれませんが、「右顧左眄(うこさべん)な部下も困ります。「左顧右眄(さこうべん)」とも「右顧左顧(うこさこ)」とも書くことがあります。「右大臣の顔を見たり、左大臣をチラッと見たり」ということから「右顧左眄」が正しいのでしょうが、それがあやふやな人が、誤用をしているうちにこのような別の表記が存在してしまったのではないでしょうか。
話が脱線してしまいましたが、「顧」は「気を配る」、「眄」は「流し目で見る」という意味で、どちらも正面からしっかりと相手を見据えないという意味です。このことから、「周囲ばかりを気にして決断しない」という意味の他に、そのしぐさから、「自信がなく、ためらっている」ことを表す時にも使われます。
周囲に気を遣いすぎる人のことを「八方美人(はっぽうびじん)」「八面玲瓏(はちめんれいろう)」ともいいます。どこから見ても欠点のない美人というのが原意ですが、そこから転じて、「誰とでも如才なくつきあう人」という意味で使われます。時には、あまりにもいろいろな人とつきあうために、鳥か獣かを問われたコウモリのように振る舞う人ということから、悪い意味で用いられることが多くなってしまいました。
関連して「内股膏薬(うちまたこうやく)」という、またの内側に塗った「膏薬(練った外用薬)」が歩く度に左右反対側につく様を言う、似た四字熟語があります。これも「コウモリのように、あっちについたりこっちについたりして、節操のない」という意味から、「定見がなく、その時の気持ちで動く」そのような人のことをあざける時に用います。日和見主義な人のことを指します。
世の中の管理職の中には、因循姑息で、指示や命令が不明瞭でありましたり、大局を掴めていませんでしたりして、相談してもイエスかだノーだかわからない人もいます。意見を求めても、小手先のことばかりを話して、本来経営計画に基づいて、全社一丸となって行動すべき所を、自分がミスを犯さないようにすることのみに終始する人もいます。そのような人は、右顧左眄な人が多く、実力もありませんのに、意外と出世街道をまっしぐらという人がいるのは、釈然としませんね。
別項でも触れていますが、有能な管理職というのは、始末書をたくさん書いていると言われています。積極的に何かにと組もうとか、新しいことを始めるとかすれば、中にはうまくいかないこともあります。失敗したくなければリスクを冒して、何もしないことです。もし、私が定年退職するとしたら、その時には「過去○十年、大過なくやってこられました」とう挨拶はしたくないと思っています。大過なくビジネスパーソンをやってきたと言うことは、自分はリスクを冒して何もしてこなかったと言うことを自分が認めることになるように思えるからです。
何もしないで、後からしなかったことを後悔するより、やってみて、例え失敗しても立ち上がり、再挑戦する道を選びたいと思っています。
*
論理思考で現状分析をキチンとし、方向性を明確にしてからPDCAサイクルを回し始めても、実際に行動に移したときに旨くいかないことがあります。やりたいという気持ちはあっても、いざ行動に移そうとしたときに、動けないこともあります。
相手の人を説得したり、納得させたりしても、必ずしも相手は期待通りに動いてくれないことがあります。日常生活においてだけではなく、経営者・管理職にとっては、社員や部下が動いてくれないというのは深刻な問題です。
人の価値観というのは、多様性に富んでいます。論理思考で相手を説得したからといって、相手は納得したわけではありません。一つの価値観だけでは、相手は納得してくれません。人は、理屈だけで動いているわけでもなく、感情もあります。
うまくいかない原因として、やろうとしていることにコツやカンというものがあったり、それを行うための技術が必要であったりして、その習得ができていないことでうまく行かないことがあります。コツの飲み込み方が上手な人もいれば、そうでない人もいます。
このような時に、役立つ四字熟語がありますので、ご紹介します。ここでは、四字熟語の中から、相手を理解し、一方、相手にその気になってもらうには、どうしたらよいのか、心に訴えるヒントを感じ取っていただきたいです。
*
■6-04 因循姑息 目先に追われて大局を見失う
~ 古くから慣れ親しんできた習慣や慣習に従う ~
経営コンサルタントとして仕事をしていますと「何で、このような帳票や資料を作成しているのだろう」「なぜ、このような加工方法を採るのだろう」「なぜ、この機能がいるのだろう」などと、首を傾げたくなることが多々あります。そのようなときに、「なぜ、そうするのですか?」と尋ねますと、「先輩から、このように教えられたから」「マニュアルにこのように記載されているので」「このようにやるのが常識ではないですか?」というような答が返ってきます。
私たちは、意識していないうちに、現状を肯定してしまいがちです。このことは、「因循姑息(いんじゅんこそく)」に繋がります。「因」は「~による」「~に基づく」いう意味です。「循」は、「従う」という意味で「循環」というのは「環に循(従)う」ということで、サイクルの意味に使われます。このことから「因循」は、「すでに出来上がっているレール、すなわち既成の物や規則などに寄り添う」という意味になります。「姑」は、「しゅうとめ」という意味が一般的ですが、ここでは「しばらく」という意となり、「息」は、「一息つく」という意味です。「姑息」は、「しばらくの間休む」ということから、「現状のまま過ごす」という意味です。
このことから、因循姑息というのは、「古くから慣れ親しんできた習慣や慣習に従う」ことを基本とし、そこに疑問を持たずに、逆にそれに固執して、例え不便や問題があったとしても改めて、これまでのやり方に拘ってしまうことを指します。このことが転じて「.消極的な態度に終始し、決断力に欠けて、現状のままズルズルと引きづられてしまい、非建設的な発想になってしまう」という状況の時に使われます。
将来の変化を予測して行動するという、別項で紹介しました「深謀遠慮」という姿勢が見えない人は、目先のことを心配して自分の考えを変更しようとしないことがあります。このような人を、「遠慮近憂(えんりょきんゆう)」という四字熟語をつかって表現します。すなわち、この四字熟語は「将来のことを考慮に入れて判断し、先手を打って行動を起こすべきところ煮も関わりませずそうしておきませんと、近い将来にそれがトラブルとになってしまいます」という意味ですので、先手を打っておかないとならないという教えです。
「石橋をたたいて渡る」という諺がありますが、物事に非常に慎重な人を例えるときに使います。世の中には、石橋をたたいても、心配となって渡らない人もいます。そのような人は、過去に大きな失敗をしたり、怖い思いをしたりした経験があり、それがトラウマとなってしまっているのかもしれません。そのような人を表すときに「懲羮吹膾(ちょうかんすいかい)」という四字熟語を使います。訓読みしますと「羮(あつもの)に懲(こ)りて膾(なます)を吹く」となり、わかりやすいでしょう。羹を食べたときに、熱い思いをしたり、口にやけどをした人が、膾(なます)という冷たい物が出されても、熱いかもしれないといってフーフーとして、冷ましたりしてから食べようとする、というムダな行為をいいます。まだ、そのようにしても食べる人は許容されても、食べない人は困りますね。
因循姑息な部下を持ちますと、懲羮吹膾な態度にイライラすることもあるかもしれませんが、「右顧左眄(うこさべん)な部下も困ります。「左顧右眄(さこうべん)」とも「右顧左顧(うこさこ)」とも書くことがあります。「右大臣の顔を見たり、左大臣をチラッと見たり」ということから「右顧左眄」が正しいのでしょうが、それがあやふやな人が、誤用をしているうちにこのような別の表記が存在してしまったのではないでしょうか。
話が脱線してしまいましたが、「顧」は「気を配る」、「眄」は「流し目で見る」という意味で、どちらも正面からしっかりと相手を見据えないという意味です。このことから、「周囲ばかりを気にして決断しない」という意味の他に、そのしぐさから、「自信がなく、ためらっている」ことを表す時にも使われます。
周囲に気を遣いすぎる人のことを「八方美人(はっぽうびじん)」「八面玲瓏(はちめんれいろう)」ともいいます。どこから見ても欠点のない美人というのが原意ですが、そこから転じて、「誰とでも如才なくつきあう人」という意味で使われます。時には、あまりにもいろいろな人とつきあうために、鳥か獣かを問われたコウモリのように振る舞う人ということから、悪い意味で用いられることが多くなってしまいました。
関連して「内股膏薬(うちまたこうやく)」という、またの内側に塗った「膏薬(練った外用薬)」が歩く度に左右反対側につく様を言う、似た四字熟語があります。これも「コウモリのように、あっちについたりこっちについたりして、節操のない」という意味から、「定見がなく、その時の気持ちで動く」そのような人のことをあざける時に用います。日和見主義な人のことを指します。
世の中の管理職の中には、因循姑息で、指示や命令が不明瞭でありましたり、大局を掴めていませんでしたりして、相談してもイエスかだノーだかわからない人もいます。意見を求めても、小手先のことばかりを話して、本来経営計画に基づいて、全社一丸となって行動すべき所を、自分がミスを犯さないようにすることのみに終始する人もいます。そのような人は、右顧左眄な人が多く、実力もありませんのに、意外と出世街道をまっしぐらという人がいるのは、釈然としませんね。
別項でも触れていますが、有能な管理職というのは、始末書をたくさん書いていると言われています。積極的に何かにと組もうとか、新しいことを始めるとかすれば、中にはうまくいかないこともあります。失敗したくなければリスクを冒して、何もしないことです。もし、私が定年退職するとしたら、その時には「過去○十年、大過なくやってこられました」とう挨拶はしたくないと思っています。大過なくビジネスパーソンをやってきたと言うことは、自分はリスクを冒して何もしてこなかったと言うことを自分が認めることになるように思えるからです。
何もしないで、後からしなかったことを後悔するより、やってみて、例え失敗しても立ち上がり、再挑戦する道を選びたいと思っています。
*
【経営四字熟語】バックナンバー ←クリック
*
■ おすすめブログ コンサルタント・士業に特化したブログ
- 【小説風 傘寿】老いぼれコンサルタントの日記
- 【小説風】竹根好助のコンサルタント起業
- 【経営】 成功企業・元気な会社・頑張る社長
- 【専門業】 経営コンサルタントへの道
- 【専門業】 経営コンサルタントはかくありたい
- 【専門業】 日本経営士協会をもっと知る
- 【専門業】 ユーチューブで学ぶコンサルタント成功法
- 【専門業】 プロの表現力
- 【専門業】 経営コンサルタント独立起業5つの要諦
- 【経営・専門業】 あたりまえ経営のすすめ<経営の心>
- 【経営・専門業】 あたりまえ経営のすすめ<経営編>
- 【経営・専門業】 あたりまえ経営のすすめ<組織編>
- 【経営・専門業】 あたりまえ経営のすすめ<経営者編>
- 【経営・専門業】 あたりまえ経営のすすめ<管理編>
- 【経営・専門業】 あたりまえ経営のすすめ<ビジネスパーソン>
- 【経営・専門業】 あたりまえ経営のすすめ<経営支援編>
- 【経営・専門業】 あたりまえ経営のすすめ<思考法編>
- 【経営・専門業】 ビジネス成功術
- 【経営・専門業】 経営コンサルタントのひとり言
- 【話材】 話したくなる情報源
- 【話材】 お節介焼き情報
- 【専門業】 経営コンサルタント独立起業講座
- 【専門業】 経営コンサルタント情報
- 【専門業】 プロのための問題解決技法(0
- 【経営】 経営コンサルタントの本棚
- 【経営】 コンサルタントの選び方
- 【経営】 管理会計を活用する
- 【経営】 経営コンサルタントの効果的な使い方
- 【経営】 ユーチューブで学ぶ元気な経営者になる法
- 【心 de 経営】 菜根譚に学ぶ経営
- 【心 de 経営】 経営四字熟語
- 【心 de 経営】 徒然草に学ぶ
- 【心 de 経営】 経営コンサルタントのあり方
- 【心 de 経営】 歴史・宗教に学ぶ経営
- 【心 de 経営】 論語に学ぶ経営
- 【心 de 経営】 心づかいで人間関係改善
- 【経営】 経営情報一般
- コンサルタントバンク
- 【話材】 お節介焼き情報
- 【話材】 ブログでつぶやき
- 【話材】 季節・気候
- 【話材】 健康・環境
- 【経営コンサルタントのひとり言】
- 【経営】 ICT・デジタル情報
- 【話材】 きょうの人01月
- 【話材】 きょうの人02月
- 【話材】 きょうの人03月
- 【話材】 きょうの人04月
- 【話材】 きょうの人05月
- 【話材】 きょうの人06月
- 【話材】 きょうの人07月
- 【話材】 きょうの人08月
- 【話材】 きょうの人09月
- 【話材】 きょうの人10月
- 【話材】 きょうの人11月
- 【話材】 きょうの人12月
- 【話材】 きょうの人
