
■【心 de 経営】 徒然なるままに日暮パソコンに向かいて 001 08 めでたしと見る人の
「徒然草(つれづれぐさ)」は、吉田兼好による随筆集の冒頭の文章です。作者は、兼好であるという明確な証拠はないようです。おそらく大半の方が、何らかの形で、この文章に接しているのではないでしょうか。
徒然草といいますのは、清少納言の『枕草子』、鴨長明の『方丈記』とならび日本三大随筆の一つといわれています。
高校生時代に戻った気分で、また、社会人として人生を歩み、自分の高校時代には理解できなかったり、誤解していたりすることを発見しながら、独断と偏見に満ちた、我流の解釈を僭越ながらお付けしました。
徒然なるままに、日暮パソコンに向かいて、よしなしごとを、そこはかとなく書き付けてまいります。
お届けも、徒然なるままにアップロードしますので、読者の皆様も、日暮パソコンに向かいて、末永く、徒然にご覧下さるよう、お願いします。
◆08 めでたしと見る人の、心劣りせらるる本性見えたこそ口惜しかるベけれ。品・かたちこそ生まれつきたらめ、心はなどか、賢きより賢きにも移さば移らざらん。
【語彙】
めでたし: 立派な
心劣りせる: 期待したほどではない
口惜し: 残念である、感心できない、同意できない
品: 身分、家柄
かたち: 器量
などか(+否定語): 反語を表す。「移らざらん」が「移らない→移るだろう」
【現代語訳】
第三者の視点で見たときに、立派であると思っていたのに、その思っていたのとは大違いの本性が見えたときは、大変残念なことです。
家柄や顔の善し悪しなどの器量は、生まれつき持ち合わせているもので、それを変えることはできません。しかし、心の内などは、賢い方に変化をさせようと思えば、良い方に変化をしないことはないでしょう。
【ひと言】
男性は、美人に会いますと、「気持ちも優しい、大和撫子」と思いたがる傾向が、多かれ少なかれあるのではないでしょうか。
テレビドラマで、イケメンの役者が、男らしく、強く、たくましい役柄を演じる様子を見ますと、その役者その人も素晴らしいと錯覚しがちです。
マスコミを通じて、「立派な人」とか「信頼できそうな政治家」というイメージが報道されますと、事実、その通りの人柄であると思う人が多いでしょう。
虚像と実像がかけ離れていることが多いのですが、歳を重ねるに従って、虚像を見抜く力がついてきます。
ところが、世の中には、外見は成人であるのに、そうでない人も結構いるようです。そのような「ことな」(「こども+おとな」の造語)といわれます、大人になりきれていなくて内面が子供である成人が散見されます。
兼好が言っていますように、家柄や顔の善し悪しは、生まれ持ってきたもので、変えることは難しいです。(近年は成形技術の向上で可能になってきていますが・・・)
しかし、考え方や知識など、後天的なものは、努力次第で変えることができます。
「他人と過去は変えられない。自分と未来は変えられる」というのは、教育学者エリック・バーンの名言です。
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