喜久家プロジェクト

日本一細長い半島、四国最西端「佐田岬半島」。 国内外からのボランティアとともに郷づくり「喜久家(きくや)プロジェクト」。

春分の日

2010-03-22 | ブログ
 昨日は、黄砂の嵐でした。
 そして3月21日(月暦二月六日)、春分の日。
今日は、おだやかな天気で、お墓参りをするには絶好の日です。

 お彼岸(ひがん)とは、日本独自の雑節で先祖の供養をする日。
3月18日(月暦では、二月三日)。
今日の春分の日をはさんで、前後3日ずつの7日間をいう場合もあります。

 写真は、平礒にある実家のお墓です。
平礒集落を見下ろすお墓の一番高いところにあります。
昨年、2カ所に分かれていたお墓を1つにまとめる大事業をしました。
移転のさいには、両親と墓を掘りおこし、お骨を取りだしました。
 
 そのときの驚きと感動の場面を。
 父の親は、太平洋戦争に出征し、帰らぬ人となりました。
東北沖で輸送船に乗りこんでいたときに撃沈され、遺骨はありません。
父がまだものごころつく前だったので、顔さえ覚えておらず、
明治生まれの祖父鶴松が親代わりとなったのです。
 
 父は高校の修学旅行で東京の靖国神社をお参りし、
2合入りの酒とっくりを鶴松のお土産に買って帰ったそうです。
それからわずか1年後父が高校3年生の秋、鶴松はこの世を去ります。
お墓には、お骨と一緒にそのとっくりを納めたそうです。

 それから50年の時が経ち、今回のお墓移転。
私が鶴松のお墓を掘りおこしていたときに、お骨と一緒にそのとっくりが出てきたのです。
「父ちゃんこんな物、出てきたで」
と手渡すと
父は、忘れていた50年前の記憶をよびもどし、
黙ったままそのとっくりについた土をていねいにはらい、じっと見つめていました。
70歳をまわった父が、18歳の高校生の姿と重なりました。
そして今の話をしてくれたのです。

 その時、強く思いました。
 「今、自分がここにいるのは、
先祖からの命のたすきリレーであり、
その一人がかけていても、自分は誕生していないのだ。」と。
そしてこの命のたすきリレーは、私の子どもたちへとつながれていきます。

 春分とは、
昼夜の時間がほぼ等しくなる日。
太陽は、真東から出て、真西に沈みます。
お墓の表は、だいたい西を向けています。
 仏教でいう西方には、亡くなった先祖の「浄土」があるのです。

                      岬人(はなんちゅう) 浅野長武