佐田岬の山桜をぜひ見に来ませんか。
そのときのために、少し山桜についてお話しします。
昨日の本居宣長の和歌
「敷島の 大和心を 人問はば 朝日に匂ふ 山桜花」
「しきしまの やまとごごろを ひととわば あさひににおう やまざくらばな」
本居宣長は、江戸時代後期の国学者でした。
したがってこの教えが、幕末の「尊皇攘夷」という考えにつながっていきます。
昭和の時代、太平洋戦争。
昭和19年10月25日に神風特攻隊が始まり、終戦の昭和20年8月15日にいたるまで、出撃機数2,367機、乗員2,530名を数えました。
その最初の出撃で戦果を上げ、軍神と讃えられたのが、
愛媛県西条市出身で霞ケ浦海軍航空隊教官でもあった、「関行男中佐」率いる五機からなる「特攻敷島隊」だったのです。
この敷島隊という名は、実は本居宣長の和歌からとったものです。
その後も和歌の名詞から、
「大和隊」、「朝日隊」、「山桜隊」という特別攻撃隊がつくられたようです。
映画「男たちの大和」の中で良寛の歌が出てきます。
「散る桜、残る桜も散る桜」
というわけで、桜と言えば「散りゆく美学」のようなイメージが
強くなっているようです。
しかし、散るということは、「いかに生きたか」、という生き方を大切にしていると
思うのです。
そんな思いももちながら、
佐田岬の山桜をごらんください。
ちょっと、しんみりしましたね。
岬人
そのときのために、少し山桜についてお話しします。
昨日の本居宣長の和歌
「敷島の 大和心を 人問はば 朝日に匂ふ 山桜花」
「しきしまの やまとごごろを ひととわば あさひににおう やまざくらばな」
本居宣長は、江戸時代後期の国学者でした。
したがってこの教えが、幕末の「尊皇攘夷」という考えにつながっていきます。
昭和の時代、太平洋戦争。
昭和19年10月25日に神風特攻隊が始まり、終戦の昭和20年8月15日にいたるまで、出撃機数2,367機、乗員2,530名を数えました。
その最初の出撃で戦果を上げ、軍神と讃えられたのが、
愛媛県西条市出身で霞ケ浦海軍航空隊教官でもあった、「関行男中佐」率いる五機からなる「特攻敷島隊」だったのです。
この敷島隊という名は、実は本居宣長の和歌からとったものです。
その後も和歌の名詞から、
「大和隊」、「朝日隊」、「山桜隊」という特別攻撃隊がつくられたようです。
映画「男たちの大和」の中で良寛の歌が出てきます。
「散る桜、残る桜も散る桜」
というわけで、桜と言えば「散りゆく美学」のようなイメージが
強くなっているようです。
しかし、散るということは、「いかに生きたか」、という生き方を大切にしていると
思うのです。
そんな思いももちながら、
佐田岬の山桜をごらんください。
ちょっと、しんみりしましたね。
岬人