山桜が、佐田岬半島に咲き始めました。
知り合いの柴崎あいさんからすてきな和歌を教えてもらいました。
柴崎さんは、ボランティアのすばらしさを深く勉強されていて、
知的で行動力とやさしさのあるとてもすてきな方です。
「敷島の 大和心を 人問はば 朝日に匂ふ 山桜花」
「しきしまの やまとごごろを ひととわば あさひににおう やまざくらばな」
作者は、18世紀後半の国学者本居宣長(もとおりのりなが)。
「大和心(魂)」とは、いうならば「朝日に匂ふ山桜花」のようなものと言っています。
つまり、日本人の心とは、山桜のようなやさしく、やわらいだ心のこと。
「敷島の」とは、和歌で特定の言葉の前に付ける決まり文句である枕詞(まくらことば)で、これといった意味はなく、「大和心」をよりすてきに言いあらわす枕詞です。
佐田岬に咲き誇る山桜は、私たち日本人の心をあらわしているようです。
岬人(はなんちゅう)
知り合いの柴崎あいさんからすてきな和歌を教えてもらいました。
柴崎さんは、ボランティアのすばらしさを深く勉強されていて、
知的で行動力とやさしさのあるとてもすてきな方です。
「敷島の 大和心を 人問はば 朝日に匂ふ 山桜花」
「しきしまの やまとごごろを ひととわば あさひににおう やまざくらばな」
作者は、18世紀後半の国学者本居宣長(もとおりのりなが)。
「大和心(魂)」とは、いうならば「朝日に匂ふ山桜花」のようなものと言っています。
つまり、日本人の心とは、山桜のようなやさしく、やわらいだ心のこと。
「敷島の」とは、和歌で特定の言葉の前に付ける決まり文句である枕詞(まくらことば)で、これといった意味はなく、「大和心」をよりすてきに言いあらわす枕詞です。
佐田岬に咲き誇る山桜は、私たち日本人の心をあらわしているようです。
岬人(はなんちゅう)