早いもので母が亡くなって既に2ヶ月近くになります。
慌ただしい年末の葬儀でしたが、先日49日法要も済ませ、何となく一区切りがつきました。
雪の夜などに母の遺した日記帳を読んで、過ぎ去った日々を懐かしく思い出しています。
此の日記帳は、平成20年3月に94歳だった父を亡くしボンヤリすることが多くなった母に
日記を書くよう勧めたのが切っ掛けで書き始めたものでした。
母は父の仕事を手伝い、4人の子供を育て、住み込み職人たちの親代わりとなって
懸命に生きてきた人でした。父が家業を引退した後は、旅行をしたりダンスを楽しんだり
夫婦仲良く暮らしていましたが、やがて父が老いて認知症状が出始め
日々の介護に苦労するようになりました。
その父が亡くなると「仕事」が無くなって…、夫唱婦随の夫婦だったのでしょうね。
翌年の父の一周忌の日記には、
「皆さんがあつまってくれました。本当に子供と云うものは、ありがたいものです。
夕食はぜんぶで13人あつまりました。たのしかった」と書いてあります。
父の居ない生活にも慣れ、近所の友人たちを訪ね歩いて楽しんでいたようですが
「Sさんのうちに行ったらるすでした。Tさんはかぜでねていました。
Мさんの家にはお客さんが来ていました。私のいるところがない」と書いてある日も…。
今日も雪空を眺めつつ、在りし日の母を偲びながら懐かしい文字を読み進めています。
子供の頃からずっと私も日記をつけています。
それが、子供を授かって育児日記になり家計簿にもなり書くことが習慣になっています✍️
書くことで、気持ちが整理されたり…誰にも言えないことのストレス発散になったりとかなり救われています(笑)
おばあちゃんは、どんな気持ちで日記を書いていたのかなぁ…😊
今日の札幌は春めいた陽射しが気持ち良く…一週間後は3月ですものねぇ。
そちらは、そろそろ菜の花の季節でしょうか。
おばあちゃんの日記、初めて読んだのですが初耳の話もあり、なかなか面白いです。
本当にどんな気持ちで書き続けていたのか、今となっては聞くことも出来ませんが…。
Midさんも日記を書いているのね。後から読み返すと懐かしいやら恥ずかしいやら…ですよね。
私も精神活性化?ボケ予防?のため、パソコン日記をつけています。まぁ忘備録ですね
投稿内容をよませて頂きますと、懸命に人生を過ごされていらっしゃったお母さまのご様子を垣間見るような気持ちになります。
子供というのは有り難いと記されておりますがそう思ってくれていたことには、何か救われるっていうかホッとする部分も感じられたのではないでしょうか・・・
またの思い出語録をどうぞよろしく
嬉しいコメントを有難うございます。
今更ですが、見事に101年を生き抜いた母でした。
あの時代の人たちは皆さん、同じような苦労をされたのだろうと思いますが、
出征した夫の留守を守り、子供を育てることは並大抵のことではなかったでしょう。
その頃の話を時おり聞いていましたが、今となっては、もっと良く聞いておくのだったと心残りです。
母に貰った健康と愛情に感謝し、受け取ったものを次代に受け渡してゆきたいと願っております。
それが母の喜ぶ一番の親孝行かな…と。