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二足の日光紀行12 釈迦堂

2010年03月10日 | 日光の旅
 殉死の墓というものが地図にあった。ちょうど、母沢御用邸記念公園の斜向い辺りの古い寺・釈迦堂境内の西の一画だ。誰の殉死さ?
 慶安-4年4月20日、徳川3代将軍家光公の死に殉じた5名の忠臣と、徳川譜代家臣19名の墓で、家光公の乳母・春日局の元の夫・稲葉正成や堀田正盛、安藤直次の名前も見える。 
 この時代にも殉死があったことを初めて知って少なからずショックを受けた。自ら命を断つその心理は我々には知る由もない。


二足の日光紀行11 日光の名物

2010年03月10日 | 日光の旅
 ゆばらしい。二社一寺参拝を終え、西参道を下りた所にあったお土産屋件食堂で、ゆば丼910円を食べた。少なめのご飯に気持ちばかりの野菜とキノコにゆばが醤油の甘辛い餡かけでぶっかけられただけ。ビミョー。
 言葉のせいかも知れないが、栃木県の人って、世知辛い感じが否めない。この前の旅行が沖縄だったからか…。観光地なのに、客なのに、なぜか叱られてる(?)印象を受けてしまう。
 良く解釈すれば、こびないということだろうか?
 んー。しかし、馴染めず。
 後は、真光教協会を挟んで建つ、カステラ御殿。家康公カステラって金箔入りのカステラ、たまり漬け辺りが名産品らしい。金谷ベーカリーも数軒あるが、いずれも規模が小さい上に品揃えも少なく、午後にはほとんど商品が無い状態。
 思い出した。揚げまんじゅう。まんじゅうに衣をつけて油で揚げ塩をふったもの1個180円。


二足の日光紀行10 日光の銅像

2010年03月04日 | 日光の旅
 左から、板垣退助、勝道上人、慈眼大師天海大僧正だそうです。
 まずは、板垣退助から。言わずと知れた「自由は死せず」の自由民権運動の主導者です。板垣は戊辰戦争では、倒幕運動に参加し、武力倒幕を主張。仙台藩、会津藩などの攻略の折、日光にも足を踏み入れています。
 徳川の廟所である日光になぜ、倒幕軍の銅像があるのか? それは、この地を戦火から守った恩人とされるからです。
 32歳の板垣が日光に来た時の服装で、ブッザギ羽織で、刀をさし草鞋を履いた姿で、現在の金谷ホテル前に建っています。
 勝道上人は、下野(栃木県)の生まれで、27歳の時に唐憎・鑑真和上の高弟・如宝僧都から戒を受けて僧となった日光の開祖として、神橋から表参道(長坂)を上りつめた輪王寺三仏堂を背景にして建っています。
 慈眼大師天海大僧正は、日光山第五士二世貫主で、日光山中興の恩人と言われ、二代将軍・秀忠公、三代将軍家光にも尊敬され、108歳まで健康で奉職した高僧。

 5年前から、戊辰戦争の跡を旅していますが、ここに板垣退助の銅像があるとは知りませんでした。戊辰戦争の旅の始まりは、そもそも、「なんで坂本龍馬が維新の志士なんだ」からです。
 どーっしても、龍馬は商売人にしか思えず、「露馬が行く」も読んだけど、商売人だよなー。が正直な感想。
 んで、高知県、長崎、津和野とか維新に関係ある地は行っていたが、思い立って5年前に、京都を散策。京都は何度も言っているので、壬生村から新撰組の足跡を追い始めました。
 もちろん、龍馬の墓所や博物館、寺田屋跡なんかも…。
 で、翌年からは、維新は維新でも、新撰組の足跡に旅のテーマが代わり、今日に至ります。
 会津、甲府・勝沼、板橋、流山、宇都宮…。残すところは、函館なのですが、新撰組は新撰組でも、斉藤一が好きなので、このテーマは終了してもOKと自分で判断。
 とまあ、そんな訳で、思いもかけずに、今回日光で、維新の足跡に触れる事ができたのでした。

二足の日光紀行9 金谷武家屋敷

2010年03月04日 | 日光の旅
 日光金谷ホテル創業の地で、寛永年間に当時の武家の住まいとして建てられました。
 明治初期、ヘボン式ローマ字の制定で有名な J.ヘボン博士を泊めしたのをきっかけとして、金谷家はこの住まいを外国人の宿泊に提供することとし「KANAYA COTTAGE INN」名づけ、後に金谷ホテルとなりました。
 西参道から国道120号線に出て、西に向かい、母沢御用邸記念公園の手前右手にあります。残念ながら見学は外からのみです。
 近くに、名産らしいカステラ屋が2軒あり、観光バスのコースになっている模様で、大勢の人で常時あふれていますが、金谷武家屋敷を訪ずれる人はいません。

二足の日光紀行8 母沢御用邸記念公園

2010年03月04日 | 日光の旅
 日光出身で明治時代の銀行家・小林年保の別邸に、当時、赤坂離宮などに使われていた旧紀州徳川家江戸中屋敷の一部(現在の3階建て部分)を移築し、明治32年に大正天皇(当時の皇太子)のご静養地として造営されました。その後、小規模な増改築を経て、大正7年から大規模な増改築が行われ、大正10年に現在の姿となりました。昭和22年に廃止されるまで、多くの皇族の方がご利用されたようです。
 現在では一般公開され、公園内は無料、館内は500円で見学できます。
 平成15年国の重要文化財に、平成19年には日本の歴史公園100選に選定されました。

二足の日光紀行6 輪王寺・大猷院

2010年03月04日 | 日光の旅
 徳川三代将軍・家光公の廟所(墓所)です。
 重要文化財そして世界遺産でもある夜叉門は家康公の廟所・東照宮に似ていますが、門をくぐると、すぐに、仁王門そして皇嘉門まで大小6つの門で、境内が立体的に仕切られ、景色が変わります。門自体の作りも、それぞれに特徴があり、中国の影響の強い唐門もあります。
 静かな庭園といった感じでもあり、ここまで来ると、団体客や物見遊山の人がいないせいか、、落ち着ける廟所でした。
 平成22年の今年は、家光公360年御遠忌と世界遺産登録10周年を記念して、家光公の御尊像を、御開帳することになっています。その時期にはまだ早かったのですが、お位牌は安置され、目前でお位牌を拝む事もできました。
 特に徳川家には縁もゆかりも無いのですが、阿弥陀様をご本尊とする事から、我が家の宗派も阿弥陀様なので、あれだけの栄華を極めた徳川家に肖ろうと、手を合わせました。
 写真は夜叉門、夜はライトアップされ、また違った美しさです。

二足の日光紀行5 二荒山神社

2010年03月04日 | 日光の旅
 その神域は、日光国立公園の中枢をなす、男体山・女峰山・赤薙山・太郎山・大真名子山・子真名子山・前白根・奥白根。そして、華厳の滝や下りのいろは坂、重要文化財の神橋までも含み、伊勢神宮に次ぐ、日本2番目の神社。
 御祭神は、二荒山大神と大己貴命・田心姫命・味耜高彦根命の親子3神を祀り、縁結びの神社として有名です。御神木も1個の根から2本、3本と伸びた杉の木など、家族の縁や男女、人間の縁を表しています。
 写真は、そのご神木です。

二足の日光紀行4 日光東照宮(パワースポット)

2010年03月04日 | 日光の旅
 世界遺産にも登録されている日光東照宮。元和3年、徳川初代将軍・家康公を御祭神に祭った神社で、社殿群のほとんどは寛永13年に建て替えられたものですが、これだけの建物をわずか数カ月(確か2~3カ月だったような。曖昧です)で造り上げた徳川の勢力のほどを改めて思い知らされます。 
 その東照宮と言えば、陽明門と左甚五郎作とされる眠り猫、見ざる・言わざる・聞かざるの彫刻が有名ですが、見事な建造物にも増して注目されているのが、日本有数のパワースポットだということです。確かに、自然の地形を生かした参道や階段を用い、バランス良く配置された社殿群が荘厳な宗教的空間を生み出し、凛とした空気と神秘さが漂います。
 そのパワースポットとは、朱色の鳥居と陽明門が一直線に並んだ手前。分かりやすく言えば、絵馬を背に立ったあたりです。この位置はちょうど江戸にも一直線でつながるそうです。
 2010年、その恩恵に預かろうと、日光に足を運びました。
 ちょうど、この写真を撮っている位置が、パワースポットです。もちろん自分の撮影もしました。

二足の日光紀行3 日光山輪王寺

2010年03月04日 | 日光の旅
 日光山輪王寺は山肌に、東照宮と二荒山神社を取り巻くように、多くの建物が点在しています。その総本堂である三仏堂前で、二社一寺参拝共通券1,000円(2日間有効)を購入し、さっそく、本堂に。
 輪王寺の本堂は、東日本では最も大きな木造の建物で、平安時代に創建された全国でも数少ない天台密教形式のお堂です。現在の建物は、正保2年、徳川三代家光公によって建て替えられました。
 
 干支別に神様が祭られ、自分の干支の神様の前お願い事をすれば、幾つでも叶えてくれるというありがたいお寺。なのだが、休日に行ったため、とにかく、ジジババが多い。多いだけならまだしも、くちゃくちゃしゃべくりながら、動きやしないものだから、お祈りは諦め、早々に退散した次第。
 しかし、日本人ってのは、大勢になるとなんでこうも厚かましくなるのだろう? 1人だとしゅんてるのに。1人じゃあ何もできないが、見方がつくと急に威張りだすみたいな…。これは、日本人は自分の家は奇麗にしても公共の場には無頓着で、ゴミを捨てたり平気でできるという話を思い出した輪王寺だった。

二足の日光紀行2 神橋

2010年03月04日 | 日光の旅
 日光二社一寺巡りは、神橋から始まります。
 山菅の蛇橋とも呼ばれ日光二荒山神社の建造物で国の重要文化財に指定され、平成11年12月に世界遺産に登録されました。
 奈良時代の末期に架けられ、寛永13年に現在のような神橋に造り替えられてからは、神事・将軍社参・勅使・幣帛供進使などが参向のときのみ使用され、一般の通行には、下流に仮橋(日光橋)を利用するなど、神聖な橋とされています。山間の峡谷に用いられた、はね橋形式としては我国唯一の古橋で、日本三大奇橋にも数えられています。
 透き通った冷水が流れる上に架かる朱色の橋。そして、季節によって木々の緑や雪、花の艶やかさと相まって、違った表情を魅せてくれる、正に、日光の玄関口に相応しいものです。

二足の日光紀行1 駅舎

2010年03月03日 | 日光の旅
 なぜ? 二足の日光紀行なのか? 駅から、一切乗り物を使わずに1日歩き回ったから。まあ、二輪二脚の八重山巡りに引っ掛けてはいるんだけど。
 さて、今回利用したのはJR。日光というと、東武が幅を利かせているが、JRだって負けてない(ん、でも運賃は高いけど)。東武日光駅が、山肌をバックに、清里風の緑の三角屋根なら、JRは大正ロマンとでも言おうか<列車も、駅も、果ては、自動販売機までも、全て、えび茶色で統一されたレトロチック。
 これは、外国人にはたまらないだろう。両駅間はわずか、徒歩5分。
 ただ、売店がないのが残念。東武駅には2つあり、駅弁も買えるにも関わらず、我がJRでは、寂しく(列車を)待つのみ。