SIDEWALK TALK

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老いも若きも男も女も

2015-09-28 13:52:58 | スポーツ
Letter昔は悪さをすると、近所のオジサンから叱れていた
などというコメントを
僕より10歳以上も若い芸能人がしたり顔で喋ってるのを聞くと、
ホントかよ!ってツッコミたくなる。
僕ですら、そんな経験ほとんどない。


先日、姪っ子の運動会に招待された。
彼女は小6で、これが最期の運動会だった。
山間の田舎町の小学校で、全校児童は100人にも満たないらしい。
実はこの小学校の運動会を観覧するのは2回目で、
甥っ子(彼女の兄)が小6のときも招待してくれた。


そのときと同じ感動を、今回も味わうことができた。
名目上は小学校の運動会だけど、地域のそれも兼ねていて、
保育園児からお年寄りまで、まさに老若男女が参加するのである。
中学生とお年寄りが一緒にやる競技などは、
ルールがイマイチわからなかったにもかかわらず、
爽やかな感動をおぼえた。


僕が最も感心したのは、ズル(不正)が許されること。
もちろん何でもかんでも OK というわけじゃなく、
大きく負けてるチームのズルは暗黙の了解で許されているようだ。
そのズルをユーモアだと受け取る寛容さが皆にあって、
一様にニコニコしながらルール違反を楽しんでいるように見えた。


運営側も、無粋は言わない。
保護者のための喫煙スペースもあるし、
観覧席(テント)での飲酒もノープロブレム。
赤い顔で競技に参加しているお父さんもめずらしくない。


もちろん参加者の皆さんは、世代を超えて、
お互いの顔と名前、お住まいもわかっている。
ここでは冒頭に書いた「近所のオジサンから叱られる」現象も、
日常茶飯事なのにちがいない。
厭味じゃなく、田舎の底力を見せつけられたし、
素晴らしいコミュティが生き生きと息づいているのを実感した。


終了後、後片付けも、みんなが率先しておこない、
あっという間に撤収作業が終わった。
僕は、自分のことは棚に上げて、
日本もまだ捨てたもんじゃないという感動を胸に、
やはり赤い顔で会場を後にした。

本当の趣味

2015-09-17 11:38:19 | スポーツ
Letter「何か趣味がありますか?」などと訊かれると、
僕は仄かな含羞を感じつつ、
「登山」とか「トレッキング」などと答えることがある。
とはいえ、もう2年ちかく山登りしていない。
果たして趣味といえるのかな?


山行の頻度が落ちた一番の原因は腰痛。
脊柱管狭窄症という年寄り病気を発症してしまった。
腰の痛みはさほどでもないのだけど、
左足に痛みと若干の麻痺がある。


リハビリとして、毎朝ウォーキングする習慣がついた。
もう半年ほどになる。
そのお陰か、だいぶ状態がよくなってきた気がするし、
世間はシルバーウィークだということで、
近場の山、犬ヶ岳にアタックすることにした。
ありがたいことに、後輩の慎ちゃんがつき合ってくれる。


犬ヶ岳は1130.8メートルほどの標高なんだけど、
登山口が300メートル付近だから、数字以上にタフな山。
鎖をつたって30メートルほどの断崖を登る、
笈吊岩という難所もある。
実際、数年前、この笈吊岩から滑落して亡くなった登山者もいた。


往路と復路はちがうルートをとるつもりだけど、
全行程は5時間ちょいだと踏んでいる。
朝サクサクッと登って、お昼過ぎには下山する予定。
下山後は、登山の真骨頂というべきか、本来の目的というべきか、
慎ちゃんと地元の居酒屋さんで昼から一杯やるつもり。


登山は、むしろイントロダクションなのか?
僕にとっての本当の趣味は、
やはり「飲酒」ということになるのかもしれない。

迷宮迷走

2015-09-08 13:15:43 | アート・文化
Letter五輪エンブレムが白紙撤回になった。
ネットメディアを中心に佐野氏への攻撃がかまびすしかったけど、
ここにきて擁護する検証記事もチラホラみかけるようになった。
要するに「ヨ」と「E」、「丼」と「#」はパクリか?
フィロソフィーがちがえば、似て非なるものだという論理。


デザインにとどまらず、学問にしろ、芸術にしろ、
まったくの無からオリジナルを創作できる天才は、
数千年に1人ぐらいしかいないんじゃないか?


たとえば、絵画。
牛の絵を描こうとしたとき、凡人はほとんどの場合、
牛そのものよりも、誰かの描いた牛の絵を想像して、
もっと言えば誰かの画法を模倣して描く。


天才画家といわれる人びと、ピカソやジョルジュ・ブラックでさえ、
セザンヌのキュビスム理論の影響なしに語ることはできない。
その存命中、オリジナリティが際立ちすぎてて、
画壇からも社会からも孤立していたゴッホでさえ、
日本の浮世絵に傾倒しその影響を受けた。


芸術は、先人へのオマージュや過去の秀逸作からの影響を重ねに重ね、
迷走しながらも(迷走こそ芸術だけど)前進していくものだと思う。
だからといって、僕は佐野氏を擁護する気にはなれないのである。


五輪エンブレムに関しては、百歩譲って、
なるほど専門家であるデザイナーの検証が当てはまるかもしれない。
けれど、佐野氏のキャリアが限りなく黒にちかいグレーだということを、
もしくは真っ黒だということを、僕らは知ってしまった。
どうしても釈然としないのである。


今回の一連の問題で、実は僕が憤慨しているのは佐野氏よりも組織委員会。
真実もない、ユーモアもない、謝罪もない、反省さえない、
あの上から会見には嘔気さえ覚えた。
このままの体制で運営を続けていけば、
第2、第3のエンブレム問題、競技場問題が起こりはしないだろうか?


五輪は誰の為に?そして何の為に?
(彼らが言うところの)僕ら一般国民やマスメディアはもちろんだけど、
あの組織委員会の人たちにこそ、もう一度この原点を見つめ直してほしい。

Walking on the Edge of Town

2015-09-04 09:12:07 | 音楽
Letter脊柱管狭窄症のリハビリ目的で、
この4月から、朝、散歩する習慣がついた。
最初のころは、左足の麻痺がヒドかったから、
歩くだけで精一杯だった。
げんきんなもので、1ヶ月ほどして少し回復すると、
とたんにただ歩くのが退屈になった。


そこでスマホの音楽アプリに佐野元春の作品を転送して、
たびの慰めに聴きだした。
思ってた以上にゴキゲンにウォーキングできたので、
他のアーティストの作品も、と思ってたのだけど、
内部ストレージと microSD の容量の関係で控えていた。


今般、思い立って、microSD を 32MB に交換した。
容量の問題はイッキに解決した。
そこで、手はじめに、ブルース・スプリングスティーンの初期7作品、
『Greetings From Asbury Park, N.J.』
『The Wild, The Innocent and The E Street Shuffle』
『Born to Run』
『Darkness on the Edge of Town』
『The River』
『Nebraska』
『Born in the U.S.A.』
をスマホ(アプリ)にブッ込んだ。


この7作品の多くが、僕が十代の多感なころに触れた音楽のせいもあって、
オッサンになった今でも、胸がしめつけられる思いがする曲がある。
爽やかな朝の散歩には決してむいてるとは思わないけど、
早速、今朝から楽しんだ。
最初にかかった曲が「Used Cars: Nebraska」というのには、
多少出端をくじかれた感は否めなかったけれど...