先週末、三重県津市を訪れた。
訪津の主な -というより、唯一の- 目的は、
不思議なご縁で知己を得たミュージシャン
関谷真美さんのライヴに参加するためだった。
知己といっても、真美さんと実際に会ったのは2度にしか過ぎない。
オマケに、彼女の音楽に触れたのもつい最近で、
彼女の作品もごくわずかしか知らない。
そんな僕がアレコレ書くのは古くからのコアなファンに対しておこがましいけど、
抑えがたいエモーションがあり、
思いの丈を文脈など考えずに気ままに綴ってみたい。
小さな声で言いたいんだけど...
僕は若いころ、
単なるアクを芸術の核心的なものからでている
というふうに、勘違いしていた節がある。
その点、真美さんの音楽には(いい意味で)アクというものがない。
このことは、彼女の才能以前にそなわったパーソナリティと
育ちによるとしか思えない。
この人は、
アーティストにありがちな嫉妬心が皆目なく、
芸術にとってしばしば無用有害な競争心は前世に置き忘れたようであり、
歌を作る(歌う)こと以外の人間関係はすべてひとへの思いやりで終始している。
そして津という海の香りがする古い城下町は、
このような純粋培養された人柄にとっては、
幸福な条件を与え続けているように思う。
津は彼女を育み、彼女は津を敬愛し、
彼女の制作環境は津 -友人・知人・家族- によって
常に良好な状態に保たれているのではないだろうか。
そんな真美さんが、ふるさと「津」をテーマに書いた楽曲がある。
「この街で夢を見てた」
というタイトルのバラードだ。
今回のライヴでも、重要な位置にセットされていた。
この楽曲のモチーフは「望郷」です
と、彼女は言う。
作者本人のコメントだから異を唱えることは無用なことだけど、
僕には、「望郷」じゃなくて、
「成長」がモチーフになってるように思えてならない。
ことさらに小難しく言えば、
「都市放浪者のカタルシス」や「荒廃した都市の中に息づくイノセンス」
について歌っていると思う。
この楽曲は、彼女自身も認めてるように、都市(東京)にいたから生まれた。
かといってリリックもメロディも「望郷」的なノスタルジックなものじゃなく、
故郷を離れ「成長」しても変わることのない彼女のイノセンスが表現されていて、
やわらかいバラードにもかかわらず鋭く胸に突き刺さる。
さて、ライヴはフレンドリーでピースフルな雰囲気が横溢していて、
真美さんは、鈴が転がるように笑い、
ゴムまりが弾むようにパフォーマンスしていた。
オーディエンスたちも、真美さんの笑顔につられてか、
一様にニコニコしながらスウィングしていた。
僕はライヴ中、いろんな想いが交錯し、
言葉に表せない切なさが何度も去来した。
ライヴ終了後の夜、
僕は、海が見える初夏のボードウォークに座って、
波の歌を聴きながら、心のスクラッチを抱いて、
ひとり酒を飲んだ。
シングルモルト・ウィスキー
チェダーチーズ
まるで夢を見ていたような気持ちだぜ!