SIDEWALK TALK

This website is brought to you by KIRIBAKO.NET

チキン野郎

2011-09-29 17:14:00 | 健康・病気
Chicken僕のふるさとは、いつの頃からか、
「から揚げの聖地」などと呼ばれていて、
僕ら中津人はから揚げ大好き民族ということになっている。
中津のから揚げ屋さんは、オーダーを受けて揚げはじめる。
僕ら中津人は、揚げたてを食べるのである。


僕にいわせれば、から揚げにしろ、コロッケにしろ、
揚げたては大概おいしいもので、逆にマズくつくる方が難しいと思う。
中津のから揚げの人気は、それぞれのお店の刻苦勉励の賜物だろうけど、
「揚げたて」というファクターも非常に大きいと思う。


あ、いや、きょうのブログは、から揚げのことじゃなくて、
ここんとこ、僕が食べた鶏肉料理について。


先週の土曜日、登山の打ち上げで、居酒屋さんで鶏鍋。
日曜日、甥っ子の運動会から帰って、小料理屋さんで水炊き。
月曜日、家でチキンのガーリックソテー。
火曜日、やはり家でチキンのトマト煮込み。
きのうの夜、これまた家でチキンの照り焼き。
そして今夜、長唄の先生と鶏肉団子(つみれ)の鍋。


僕は、どんだけチキン野郎なんだ!
カラダにはいい!、と自分には言い聞かせている ( ̄。 ̄;)

ドラゴンスクリュー

2011-09-25 23:50:00 | スポーツ
Kujusan2友だちと久住山へ。
この山は、やっぱ素晴らしい。
いろんなルートがあるし、いろんな景色やシチュエーションを楽しめるし、
山頂からの眺望もフルパノラマで心地いい。


最近は楽して牧ノ戸登山口や大曲からのスタートが多かったけど、
今回は思い立って長者原からアタックした。
天気にも恵まれたし、北千里ヶ浜にある亡父のケルンにもお墓参りもできた。
ホント、充実した山行だった。


ただ、フィニッシュちかく、林道のコンクリート舗装で右膝が破壊された。
ゴールした途端、ドラゴンスクリュー並の衝撃が走った。
きょうも、まだ痛い。


ちょっと長めのコースだったとはいえ、あれしきの行程でこれとは・・・情けない。
ここんとこ登山サボってたから、その代償かな?
今後は、最低月イチは山行しなくちゃ。
じゃないと、衰えていく一方だよ。


再会

2011-09-23 13:16:05 | 日記・エッセイ・コラム
Bs_shihosan弊社には、ある伝承がある。
創業者の祖父の修行中、一緒に刻苦勉励していた一人のバディがいた。
修行を終えたとき、師匠が二人に向かって、
「オマエは博多人形の箱を作れ、もう一人は別府の竹細工の箱を作れ」
と言って、巣立ちを許してもらった。


それから80年の時が過ぎた。
先日、そのバディの曾孫の F 君と孫の僕が邂逅した。
その伝承の話をすると、F 君の会社にも同じ伝承があるという。
事実だったんだ。


一晩、ほんの数時間、酒を酌み交わしただけだけど、
初対面とは思えないシンパシーを感じた。
ライバルでもあるけど、同志でもある。


このニッチでレアな業界を共に盛り上げていこうと、
エールを交わした夜だった。
むろん、ライバルとしても切磋琢磨していきたい。


土蜘蛛

2011-09-21 10:36:02 | まち歩き
Takiginouめずらしい例だと思うけど、中津城は個人の所有物だ。
お殿様(奥平家)の末裔が所有していたのだけど、
(その理由は煩雑になるのでここでは触れないが)
数年前、売却することになった。


僕は市が購入すべきだと思っていたのだけど、
市との交渉は決裂してしまい、
(これもここでは触れないが、僕は市側に問題があったと憤っている)
結局、埼玉県の民間企業の手に渡った。
幸い、その会社は善良なマインドをお持ちになっていて、
お城を中津市民から預かっているというスタンスをとっていただいている。
奇しくも、細川家が中津から熊本に転封されたときにとった
地元民の心根に配慮したアティテュードに酷似している。


今般、その企業が中津城を運営するようになった1周年を記念して、
薪能「土蜘蛛」がおこなわれた。
あいにく当日は台風の影響でホールでの開催となってしまったが、
会場はフルハウスだった。
僕のまちでもこんなに観能に訪れる人がいるんだと、本当におどろいた。


酔狂なことに、僕は大学時代、能楽サークルに所属していて、
金春流に師事していた。
素人芸ながら、お仕舞とお謡を少しかじった。


そのサークルで最初に習うお謡が、この「土蜘蛛」だ。
上級生になっても1年生の練習をみる機会があるので、
「土蜘蛛」はもっとも親しんだ演目のひとつといえる。
けど、よくよく考えたら、実際の舞台での公演を見たことはなかった。


僕が想像してたより派手だった。
蜘蛛の糸を投げかける場面があるのは知ってたけど、
あれほどまでとは思わなかった。
今さらだけど、「土蜘蛛」の素謡の公演の前にビデオを見る(見せる)べきだった。
そうすれば、もっと情景描写が(ヘタクソなりに)鮮やかになったと思う。


能から疎遠になって久しいけど、ときには観能もいいなと感じた夜だった。
先輩や後輩でプロの能楽師になった奇特な人もいるから、
チャンスがあれば、今度、出かけてみようと思う。

ガール・ボーイスカウト

2011-09-19 11:52:50 | 悩み
Venture_scoutきのうは、わが団(ボーイスカウト)の入隊・上進式だった。
僕はベンチャー隊長という、分を越えた役を拝命している。
ベンチャー隊とは、中3の9月から高校卒業までのスカウトが配属される部隊だ。


僕自身は、小学校のころから大学までボーイスカウト活動をおこなっていた。
5~6年前、出身団からいきなりベンチャー隊長を押しつけられたんだけど、
僕のころとはプログラムやシステムが大幅に変更されていて、ド素人と変わらない。
正直、安請け合いしたことを悔いている部分もある。


さて、そんなダメ隊長が統べるベンチャー隊に、
今回は8名ものスカウトが上進し、入隊してくれた。
高校生(正確にはまだ中学生だが)にもなってスカウト活動を続けるという例は決して多くない。
隊は20人をかるく超える大所帯になった。


うん、プレッシャー。
今でも四苦八苦してるのに、大丈夫だろうか?
しかも、8名中3人が女の子。
僕らの時代は、女子ボーイスカウトは存在していなかったんだけどな。
もっともスカウト発祥地イギリスやアメリカなどでは昔からいた。


ふだんの活動はともかく、野営とか、舎営とか、どうすりゃいいんだろう?
男の子と同じテントってわけにはいかないだろうし、
一人用テントってのもデンジャラスな気がする。
女性リーダーを見つけたほうがいいのだろうか?


今回、ベンチャースカウトのプログラムが新しく更新されるらしい。
もしかしたら、その辺のこと(女子スカウトの扱い)のレクチャーもあるかもしれないな。
サボろうと思ってたけど、ここはひとつ出席してみるか。

いとこを訪ねて三千里

2011-09-17 13:09:00 | うんちく・小ネタ
Caracas大人になると、いとこに会う機会が極端に減る。
子ども時分は、盆正月にはたいがい里帰りしてたから、
年2回は会っていた計算になる。


こないだ、久しく会っていない、いとこ3人と再会した。
面影、残ってるもんですね。
僕(僕ら兄弟)は父方いとこでは最年少だったから、
いとこのお兄ちゃんやお姉ちゃんには、とくに可愛がってもらった。


今回おどろかされたのは、一番年長の従兄。
このお兄ちゃん(もちろん、今はオッサン)に最後に会ったのは僕の大学時代。
入学したてのころ、赤坂で焼き肉をご馳走なって以来だった。
ということは、20年以上も会ってなかったということになる。


なんと、今は、南米ベネズエラの首都カラカスに住んでいて、
従業員1800人の自動車工場の社長をしているという。
一体どういう人生をおくれば、そういうことになるんだろう?


にしても、ベネズエラって…!?
わずかに知っている僕の印象は、チャベス大統領が笑えるくらい超反米で、
美人がめちゃめちゃ多い国、ということくらい。
まぁ、治安はいいはずがない。
いずれにしても、僕はあんまり住みたくないなー (^_^;


ほんの1時間ほど酒を酌み交わしただけだから、詳細は聞けなかった。
今回はトンボ返りで、ベネズエラに向かってすぐに旅立たなきゃいけないらしい。
また会う機会はあるんだろうか?
ベネズエラか…。行ってみたい気もするんだけど…

霍去病のこと

2011-09-15 11:20:20 | 旅行記
Kakukyohei人間の才能のなかで、
名将の才ほど得がたいものはないように思える。
画家や詩人、学問の才能は必ずしも希少ではない。
けれど軍事的天才というのは、
それを持たない民族のほうがむしろ多い。
僕は単細胞だから、
男の子として軍事的才能を持った人物に憧憬を抱く。


中国の場合、歴史が古くから記録さているし、
広大な土地とその大人口から該当者が多いが、
僕は霍去病(かくきょへい)をその筆頭に挙げたい。


日本史でいえば卑弥呼よりもはるかな以前に中国に存在したこの若い天才は、
わずか24、5歳で病没した。
霍去病という風変わりな名前は、その短すぎる人生も相まって、
彼は病身だったのではないかと僕に想像させる。


去年の5月、仕事で訪中した際、霍去病の墳墓を訪れた。
漢の武帝から愛と尊敬を受けつつ若く死んだ霍去病は、
武帝の意志によって武帝の陵墓「茂陵」のそばに葬られた。


西安(長安)の郊外を西へでて、ほどなく渭水の橋を渡ったころから、
天気が悪くなった。
見渡すかぎりの麦畑の上に雲が降りたように雨気が満ちて、
急に寒くなった。
前日、洛陽では暑かった。
気候は日本とさほど変わらないはずなのに、
雨が降ると様子が変わるのかもしれない。


中国に行って驚きを感じつつもあきれてしまうのは、
2千年前の人物の墓が、2千年前に「史記」に書かれたとおりの姿で、
無造作に野原に遺っていることだ。
霍去病が匈奴を破った祁連山に似せたと思われる人造の山があって、
その頂上に灰色の磚でつくられた祠があった。


霍去病の墓で、いま目を楽しませてくれるものは、
巨石に素朴に刻まれた石人石獣だ。
熊と格闘しているという、お伽話のような造形もある。
また、人があおむけに倒れているような形の石に、
歯をむき出して泣いている人間の顔がユーモラスに彫られている。


「この、倒れて泣いている人は、誰ですか?」
と同行してくれた取引先の陸さんに尋ねると、
奴隷主だと教えてくれた。
霍去病は、こんにちの解釈では奴隷主を倒した。
負けた奴隷主は泣かざるをえない。
しかし実際は匈奴の王かなにかにちがいなく、
顔をみてみると、アーリア人系のように思えた。


匈奴が何人種だったかについては、諸説ある。
紅毛碧眼のアーリア人という説もあるし、トルコ人だという説もある。
僕は、論証なしに、モンゴル人だったと思っている。


いずれにしても騎射に長けた騎馬民族だったことにはちがいがなく、
この強力な騎兵隊を霍去病が騎馬戦で破ったということに、
今さらながら彼の将才にあらためて感心させられた。


このときは、商用で訪れていたために時間がなかった。
ずっと憧れていた霍去病の墓を訪れたことには満足したけど、
有名な武帝の茂陵には行けず終いだった。
来月あたり中国出張があるかもしれないから、
チャンスがあれば茂陵にもいってみようと思う。

安全地帯の夜は更けて

2011-09-12 12:01:00 | 悩み
Refrigerator23.11 から半年、9.11 から10年。
きのうは、そんな日だった。
被災者や犠牲者家族には、節目なんてのはさほど意味をもたないものだろう。
こういう節目は、僕のようなウッカリ者の記憶を風化させないためにある。


この日本という超先進国で、
思いやりの感情を多量に持ち合わせている国民性が美徳のこの国で、
未だに仮設住宅に入居できず、避難所生活を強いられている人たちがいる。
個々の事情はあるにせよ、やはり異常なことだといわざるを得ない。


僕はといえば、あいかわらず Green Zone で惰眠を貪っている。
受注の減少に頭を悩ませたり、資金繰りに四苦八苦しているが、
こんな苦労、被災地の人びとに比べれば何ほどのこともない。


贅沢なことに、夫婦二人暮らしの拙宅には冷蔵庫が2台もある。
内1台のフリーズルームが、きのうイカれてしまった。
こんなことぐらいに不便さを感じた、自分自身に厭気がさした。


これを機に、震災直後に誓った「できることを できるだけやる」の原点に立ち返ろうと思う。
そんなちっぽけでショボい決意をした、9.11 の夜だった。


肩こり

2011-09-09 12:41:00 | うんちく・小ネタ
Stiff_shoulders先輩のお見舞いにいくのに手土産は何にしようかと悩んでたんだけど、
毛生え薬に決めた。
自分では買いにくいものだし、病院では暇をもてあましてるだろうから、
喜んでくれると思うけど、どうだろ?


ドラッグストアにいって、その毛生え薬を購入した。
レジで店員さんが何かオマケ(試供品)を、と気を利かせてくれて、
「肩、こりますか?」
と尋ねてきた。

僕は苦労知らずなんだろう。
残念ながら、肩こりの経験はただの1度もない。
散髪屋さんのマッサージのサービスも、やんわりとお断りしているくらいだ。


その旨を伝えると、親切な店員さんは、
今度は漢方の胃腸薬サンプルをだしてきた。

胃腸薬?これも僕には無用なもの。
若いころは二日酔いの朝が多くよく服用してたもんだが、
最近はその領域に達する前にドロップアウトしてしまう。
けど、そこは大人の分別で、ありがたく頂戴した。


にしても、肩こりしたことがないというのは、何となく気恥ずかしいもんだな。
いま思えば、素直にいただいて、毛生え薬に添えてお持ちすればよかった。
その先輩は、頭髪と同じくらい、肩こりに悩んでる人だった!


クリームシチューと麦焼酎

2011-09-07 15:08:00 | 食・レシピ
Stew酒を飲みはじめたころは、背伸びしてたんだろうか?
肴に山芋千切り、モズク酢、冷や奴なんかを
よくオーダーしていた。
さらには、ツマミなしで飲むのがカッコイイと勘違いして、
ろくに食べもせずに酒ばっかりあおってたような気がする。


オッサンになった今、やたらお子ちゃまメニューが好きになった。
カレー、ハンバーグ、スパゲッティ、グラタン、クリームシチュー、
こんなのを肴に酒を飲む。


もし趣味の定義を「もっとも時間とおカネを使うもの」とするならば、
僕の場合、圧倒的に晩ごはん(晩酌)ということになる。
だから?夜は、ご飯やパンを食べずに酒とオカズだけで済ませてる。


夕べ食べたクリームシチューは格別だった。
何かのTV番組でハウスの工場を紹介していて、
美味しいクリームシチュー(こくまろカレー)の作り方が紹介されていたらしい。
昨夜のシチューは、そのレシピに則って作られたものだった。


あまりの美味しさに一晩で食べるのがもったいなく、
今夜の分も残しておいた。
今夜も、クリームシチューを肴に麦焼酎という、
ひと昔前なら考えられないマッチングで趣味を謳歌しようと思う。