内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

思索の炎を点火する ― 話し言葉の時間性について

2013-10-30 02:27:00 | 哲学

 午前中、『下村寅太郎著作集』第12巻に収録されている田辺元についての思い出を語っているエッセイをすべて読んだ。これは田辺に限ったことではないけれど、傑出した人物を師として、その人に親しく接していると、その著作を読んだだけでは得られない何かが伝わり、それは必ずしもうまく言葉にできない場合もあるけれども、自分の学問、いやそれにかぎらず、自分の人生そのものにとって掛け替えのない教えを受けることになる。下村の場合は、西田からも田辺からもそのような決定的な教えをうけたことが両者についてのエッセイを読むとよくわかる。これはこの二人に親しく接した弟子たちすべてに共有されている経験だと言っても言い過ぎにはならないであろう。これはどういう経験なのだろうか。「謦咳に接する」という表現があるが、それよって尽くされるような事柄でもないと思う。
 午後は、1985年にラジオ放送された最晩年のジャンケレヴィッチとの対話と生前最後のノートが収められた VLADIMIR JANKELEVITCH Qui suis-je ? (La Manufacture, 1986) を読んだ。その中に上記の問いに対する答えのヒントになるような一節を見つけた。
まず対話の冒頭でジャンケレヴィッチはこう言う。

「私の仕事の本質的なものは口頭表現に属するものです。」

それに対して対話者が、それにしても随分たくさんの本を書いているではないかと反問すると、

「それはそうですが、それでもなお、教育という職業柄からして、私は口頭で表現した哲学者に変わりはないのです。」

そしてこう続ける。

「私の表現手段は話すことです。本質的にそうです。私は教師です。作家ではありません。そこには重要な差異があります。確かに私は本を書きました。しかし、それでもなお文筆家ではないのです。私の仕事は書くことではない。書くことは、今日では、作家を思わせるでしょう。私の時代には、書くことは学校の子どもたちについて言われていたことです。きれいに書くこと、これは私の分野ではありません。私の分野は、むしろ話し言葉に属するのです。話すことで伝えること、私はこれをもっとも大切にしてきたのです。」(同書65頁)

 西田や田辺はこのジャンケレヴィッチの発言には必ずしも同意しないだろうが、彼らもまた、書かれた論文によってではなく、弟子たちに直接話すことによって何かとても大切なことを伝えたことにはかわりない。しかし、それは論文には書かれなかった、もっと自由な発言とか発想が話の中では出たということとも違う。では何が伝わったのか。あるいは何が話す者と聴く者との間に共有されたのか。
 それは、実際に話されることによって生きられている思索の時間性の経験ということなのではないかと私は思う。この時間性は、話す者と聞く者との間に共有される時間性としてのみ経験されるもので、たとえ忠実な再現であったとしてもそれが文字として定着されてしまうと、それを読んだだけではもう再現不可能なものなのではないだろうか。
 このように考えたのは、同書の巻末に収めれたたジャンケレヴィッチ最後のノートの中の次の一節を読んだからである。

時間は把捉しがたいものの中の最も把捉しがたいものというだけではない。なぜなら、それは、生成であるかぎり、存在のうちの矛盾せるものそのものだからである。つまり、私たちが少しでも生成を定義しようとでもすれば、たちどころにその生成はもう別物になっているということである。生成は、本質的に不安定なものなのだ。生成について私たちが言うことができることは、あまりにもすべてなんらかの支えに依っており、突然に刻印を押されでしまっており、時間を文法的なごく瑣末な限定の中に固定化しないではおかないからだ。何よりもまず、時間はモノではない、res ではない。このもの、あのものではない。時間は、「それ自体何なのか」という問いには答えない。ましてや、「時間は何からなっているのか」という問いには答えない。時間は、通約可能な持続同士の比較のためには役立ち、共通の尺度の上にそれらを互いとの関係で評価するには役立つ。しかし、それらの持続の内在的な本性については、それらが表象する解き難い謎については、時間は何も語ってはくれない(同書129頁)。

 このような言語による一切の固定化を逃れて遊動する時間性が、思索の運動そのものである話し言葉の動きを通じて共有されるとき、その経験は聞き手の精神に思索の炎を点火すると言えるのではないだろうか。