『中世の文学』からの摘録を続ける。摘録といっても、「中世文学の展開」には唐木の考えが凝縮されたかたちで提示されているので、それをほとんどそのまま引き写すに過ぎない。それでもその引き写す「手作業」を通じて考えさせられてもいるから私自身にとってはけっして単なる無益な暇つぶしとしての「すさび」ではない。
昨日引用した最後の文の続きはこうなっている。
従って彼は「すき」を否定せざるをえない。彼は一時の情熱にかられ、また己が趣味に溺れて、徒に事を好むことを嫌う。「よき人は、ひとへにすけるさまにもみえず、興ずるさまも等閑なり」(百三十七段)の「よき人」が彼の理想であった。索漠たるつれづれを、つれづれなるままに受入れようとするのである。諸縁によって生起するもの、歴史を織りなすものの、やがて帰りゆく根柢を、紛るることなくみようというのである。(39‐40頁)
この「紛るることなくみる」とはどういうことか。その答えには唐木の「京都学派らしさ」が躍如としている。
つれづれの無為に身をおいて、花や月や祭を、無為の海面に起伏する波としてみるわけである。「始めと終わり」との間のものとしてみるのである。更に一歩すすめていえば、無を媒介にして有を見るのである。(40頁)
ここから前世紀の文学理論や無常の美学と兼好の無常観との「根本的な違い」が鮮やかに示される。
この兼好の立場は、有を中心において、その縁暈としての無をみた俊成以下の「幽玄」や「余情」とは根本的に、また質的に違う。そうしてこの相違のよって来るところは、[…]時代や環境から来ると同時に、いやそれにもまして、親鸞や道元の宗教、新興の、無を根柢とする仏教によると私は考える。有の無化の無常、乃至存在するものの亡びの無常美観を歌った『方丈記』や『平家物語』と『徒然草』の根本的な違いも同じく右の点から来る。(同頁)
兼好が『正法眼蔵随聞記』から影響を受けたことを認めたうえで、唐木は両者の、さらには親鸞と兼好との「大きな違い」について次のように述べる。
一言にしていえば兼好は眼の人、批評家観察家であって、信仰はない。[…]無の側から喚起され、信仰からはかられるというところがない。親鸞にとっての法然や弥陀がないのである。だからこそ、すさびやつれづれにとどまらざるをえなかったのである。裸形の、凍てついた無色にとどまらざるをえなかった。そこには道元や親鸞にみる信仰の法悦、信楽はない。
そして、『方丈記』との比較において『徒然草』を次のように規定して「すさび」についての考察を締めくくる。
『徒然草』一巻は、類のない随想録である。『方丈記』はなお詩文であるが、また主情的表現であるが、『徒然草』はああいう形でしか書けない散文である。主体の側からの情熱的発想もなく、また客体の側からの激しい呼びかけもない、過不足のない冷静な観察と批評が兼好の特色であろう。(41頁)