今日は修士一年の「思想史」の演習で村上靖彦氏の『ケアとは何か』を読む第二回目。学生たちに、まえがき・目次・あとがき・第一章の読めたところまでについての個人的な感想をフランス語で発表してもらった。
感想の内容はさまざまであったが、「ケアとは何か」という問いそのものには皆それぞれの仕方で強い関心をもってくれたことがわかって、まずは一安心。
なんといっても現役の看護師の学生の発言には圧倒的な説得力と具体性があった。『ケアとは何か』で提起されている問題意識と彼の日頃のプロとしての実践のなかで問われている問題とがリンクしているという彼の発言は私にとってとても貴重だった。他の学生たちにとってとてももちろん有益だった。彼がいるからこの本を選んだわけではないけれど、彼がいてくれるおかげで、議論が安易な抽象論に流れることはないだろう。
他方、「ケアとは何か」という問題はまったくの他人事でしかないとこれまで思っていた大半の学生たちのリアクションも興味深かった。
以下、それらのリアクションを簡略にまとめてみよう。
自分自身は今「ケア」を必要としている立場でもないし、「ケア」している立場でもないけれども、『ケアとは何か』を読んで、「ケア」とは人間の本質に関わるテーマで、実は自分にとっても直接関与する問題なのだということに気づかされた。
ケアの成立にとって不可欠とも言えるコミュニティの形成はどのようにして可能なかのという問題に特に関心をもった。
対人援助職の方たちが行うケアとは異なる、家庭内でそれと自覚されることなしに、家族なのだから当然という単純な理由で日々実行されているケアも同じ範疇として扱えるのだろうか。
自らを社会から隔絶して生きようとする人たちはケアの問題とは無縁なのではないか。
インタビューに基礎を置いた立論が、ケアについてこれまで何の知識も関心もなかった自分にも問題を現場に即して考える緒を与えてくれた。
医療行為とは異なる、あるいはそれを超えた、ケアがあるということに気づかされた。
ケアが関わる次元としての内側からそれぞれの人によって感じられている〈からだ〉が、医療の直接的対象となる身体あるいは臓器とは異なる次元にあることがわかった。
医療はケアというより根本的な人と人との関わりを前提としてはじめて成立するのではないか。
12名の学生たちの発言はもっとニュアンスに富んでいて、それらをここに忠実に再現できていないのはもっぱら私の非力のせいである。諸君、申し訳ありません。
これから来年二月はじめの日仏合同ゼミまで、私も一素人として学生たちと議論を重ねながら、「ケアとは何か」という問いを自分たちも直接関わる問題として考えていきたい。