人間の壊れやすさ(fragilité)と傷つきやすさ(vulnérabilité)という当面の主題から少し離れて、fragile と vulnérable という二つの形容詞の用例を、この主題とどこかで繋がっている幾冊かの電子書籍のなかから採集しておきたい。
ただし、その著者に固有の特異な用法と思われる例は避ける。他の著作家にも同様な使い方が見られそうな用例に限る。引用の順番に特に理由はない。手当たり次第である。だから、典型的・一般的あるいは代表的な用例とは限らない。出版年にも特にこだわらない。
あらかじめ何らかの見込みがあってする調査ではなく、むしろ「見込み捜査」は避けたい。適当に列挙していく中から自ずと用例の傾向性が浮かび上がってくるのを気長に待ちたい。
まず、Corine Pelluchon の Manifeste animaliste. Politiser la cause animale, Rivages poche, 2021 から始める。本書中、用例は二箇所のみ。
Aujourd’hui, nous savons que la Terre est fragile et que nous ne devrions pas, en raison de notre nombre, adopter des modes de vie et de consommation aussi gourmands en énergie.
Cette violence, la plupart du temps, est légale, comme dans les abattoirs et les laboratoires. Elle s’exerce surtout sur les animaux et sur les êtres les plus vulnérables, sur ceux qui sont les plus fragiles et ne peuvent se défendre seuls.
第一例は、地球環境の危機的状況が叫ばれるようになってからの用法である。第二例は、fragile と vulnérable がほぼ同義として使われている例である。
次は、同著者の最新刊 L’être et la mer. Pour un existentialisme écologique, PUF 2024 から。
Cette opération dessine les contours de la subjectivité et individualise le sujet tout en l’élargissant, mais ce rapport à soi par le rapport à l’incommensurable (au monde commun) passe aussi par la confrontation à ce qui est fragile et périssable en soi.
この用例では fragile と périssable とが併置されているが、単なる同義語としてではない。この点について、ジャン=ルイ・クレティアンが Fragilité のなかで引用しているコンディアックの『同義語辞典』の記述が興味深い。
« Les choses sont périssables, parce qu’elles doivent finir ; elles sont fragiles parce qu’elles peuvent finir à tout instant, et tomber sous les premiers coups qui les frappent. »
一般の仏語辞典ではここまではっきりと両語を区別してはないから、コンディアックによる区別を一般化することはできない。クレティアンがコンディアックのこの区別を特に引用したのも、fragilité は恒常的な壊れやすさを意味するということを強調するのに好都合だったからである。
前者 périssable は動詞 périr からの派生語であり、この動詞は「死ぬ」、特に「精神的に死ぬ」という宗教的意味で12世紀から使われている。だから、形容詞 périssable は「(地上の生命は)いずれ滅びる運命にある」という意味を有する。それに対して、fragile には本来そのような宗教的意味はなく、単にものが壊れやすいことを意味した。