内的自己対話-川の畔のささめごと

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消えゆく日々の痕跡を記すことに時を費やすのは、神から恵まれた時を無にすることではないのか ― ウージェニー・ド・ゲラン『日記』より

2024-11-08 08:49:15 | 読游摘録

 『集英社世界文学大事典』(デジタル版)にはモーリス・ド・ゲランが立項されている。

フランスの詩人。散文詩の創始者の一人。南フランスのアルビ近郊ル・ケイラの館に生まれる。6歳の時に母を失うが,その代償を5歳年上の姉ウージェニー・ド・ゲランに見いだす。トゥルーズの神学校に入り,のちパリに出てコレージュ・スタニスラスに学ぶ。この時から故郷に残るウージェニーへ宛てた手紙が書き始められ,姉弟の「書簡集」が形成されることになる。1832年冬,ブルターニュのラムネーに合流して宗教的共同生活を送り,同時に内面的日記『緑の手帖』Cahier vert の執筆も始まる。翌年9月ラムネーと別れてパリに戻り,文学的活動を期待したが,「ヨーロッパ評論」誌等二,三の雑誌への執筆だけで生きていけるわけもなく,スタニスラス校で教鞭を執りながら,苦しい生活を送る。35年ごろに,散文詩の先駆とされる『サントール』Le Centaure を書き始めるが,モーリス自身これがどういうジャンルに属することになる作品であるのか,特別の意識はなかったと思われる。引き続いて同様の散文作品『酒神祭尼(ラ・バツカント)』La Bacchante(『日記・書簡・詩』所収)が書かれた。弱っていた身体に無理が重なり,36年ごろから結核の徴候を見せ始める。一時的に健康を回復した38年11月,植民地帰りの18歳になる娘カロリーヌ・ド・ジェルヴァンと結婚するが,幸福な時期は短く,翌年7月,モーリスはル・ケイラの館で没する。ジョルジュ・サンドの手により40年の「両世界評論」に『サントール』が発表され,さらにスタニスラス校時代の友人バルベー・ドールヴィイ,ギヨーム・スタニスラス・トレビュチヤンによって遺作が整理され,『遺稿集』Reliquiae(61),『日記・書簡・詩』Journal, lettres et poèmes(62)が出版された。

 この記述の中に出てくる5歳年上の姉ウージェニー・ド・ゲラン(1805‐1848)も同事典に立項されている。

フランスの女性詩人。詩人モーリス・ド・ゲランの姉。南フランス,アルビ近郊のル・ケイラの館に生まれ,神への深い信仰と,5歳年下の弟モーリスに対する愛情とのうちに,その生涯を送った。彼女自身の作品というものはなく,弟と交わされた書簡,弟の生前書き続けられた日記があるのみである。没後,バルベー・ドールヴィイらにより編集された『日記と書簡』Journal et Lettres(1862)が発表され,深い感性と優れた散文詩人としての才能が認められた。

 ウージェニーの日記は弟のそれとほぼ同時期に出版された。この日記はフランスで出版された個人の私的日記としては最初の商業的な成功を収めた。Philippe Lejeune & Catherine Bogaert, op. cit. は、おそらくその成功はこの日記が詩的感性と敬虔な態度との一つのお手本として若い女性たちに薦められたことに特に因るであろうと推測している。
 日記を人間以上に親愛な伴侶とした弟のモーリスと違って、姉のウージェニーは日記が自愛への誘惑という危険を孕んでいることに気づいており、日記に溺れかける自分を戒めるような記述が見られて興味深い。彼女の日記の一部はKindle版があり無料で読める。30歳の誕生日を3週間後に控えた1835年1月7日、こう記している。

C’est toujours livre ou plume que je touche en me levant, les livres pour prier, penser, réfléchir. Ce serait mon occupation de tout le jour si je suivais mon attrait, ce quelque chose qui m’attire au recueillement, à la contemplation intérieure. J’aime de m’arrêter avec mes pensées, de m’incliner pour ainsi dire sur chacune d’elles pour les respirer, pour en jouir avant qu’elles s’évaporent.

 子供の頃から一人物思いに耽ることが多かったようで、浮かんでは消えていく思いを味わうことに時を過ごすことに淫してしまう自分を冷静に見ている。同年3月1日にはこう記している。

Voilà bien longtemps que mon journal était délaissé. Je l’ai trouvé en ouvrant mon bureau, et la pensée d’y laisser un mot m’a reprise. Te dirai-je pourquoi je l’ai abandonné  ? C’est que je trouve perdu le temps que je mets à écrire. Nous devons compte à Dieu de nos minutes, et n’est-ce pas les mal employer que de tracer ici des jours qui s’en vont  ?

 消えゆく日々の痕跡を記すことに時間を費やすことは神から恵まれた時間を無にすることではないのかと自問する。しかし、彼女の心は揺れている。日記に今の自分の日々を記すことには抗しがたい魅惑がある。

Cependant j’y trouve du charme, et me complais ensuite à revoir le sentier de ma vie dans ma solitude. Quand j’ai rouvert ce cahier et que j’en ai lu quelques pages, j’ai pensé que dans vingt ans, si je vis, ce serait pour moi plaisir délicieux de le lire, de me retrouver là comme dans un miroir qui garderait mes jeunes traits. Je ne suis plus jeune pourtant, mais à cinquante ans je trouverai que je l’étais à présent. Ce plaisir donc, je me le donne.

 日記を再び開き、かつて書かれた自分の文章を読めば、そのときの自分がまるで鏡のなかにその当時の自分の姿を見るように映っている。今から二十年後、もし私がまだ生きていたら、今日の記事を読むことで、たとえそのときもう若くはなくても、若かった自分を再び見出して、うっとりとすることだろう。
 しかし、1848年に43歳で亡くなった彼女にはその機会は訪れなかった。それでも、こう記した日から数年後に日記を読み返して、若き日を懐かしむ甘美な時を恵まれたこともあったかも知れない。