こころとからだがかたちんば

YMOエイジに愛を込めて。

「東京マラソン」に思ったこと。

2007-02-20 00:11:39 | 雑記帳


最近はマラソンブームとのことらしい。
まあ、本当に走るのが好き、とか、気持ちいいから、ということならいいのだけど・・・。

どうしても、自分が結びつくのが、ジャージ姿で、夜、何かにとり付かれたかのように、夜という時間とか雰囲気とは大違いに、必死で「歩く」人・・。

どうも、自分には、この必死で歩く人と同じくして、結局「健康であるように、という病い」にとり付かれた人々に、走る人も見えてしまう。

思えば、こないだ急遽問題化したテレビ番組「あるある大辞典」という番組も、「これを食べれば健康、あれを食べれば健康・・・」。こちらも同じように健康病にとり付かれた人々に人気だった。

また、ガスというのは元々危ないものなのに、「過去にガス事故がいくつあった」と言っては大騒ぎしている。

あたかも、不老不死、それに、突発的な不慮の事態が、全く無いかのように・・。

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そういえば、自分が半年前まで営業していた多摩のお客さんで、多摩ニュータウンにあったインテリア・ショップの奥さんの言う事を思い出した。
ネコ好きの優しくて、クレバーでチャーミングな奥さんだったが、「最近、この多摩ニュータウンも、やけに気味悪い潔癖感が街に出てきた」と言っていた。

・少し前は、ノラネコたちがよくいたが、最近見なくなった。
・コドモが外で遊ぶ姿を見なくなった。

などなど。

結論を先に言うと、「ノラネコは、通報されて、処分され」「コドモは、風邪などの病気やけが、それに、犯罪者につかまらないように、外に出さない」そういう思想が、多摩ニュータウンの不気味な理路整然とした、やけに潔癖な、街の姿になっているのだ。
実に、コワイ現実である。

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よく、強迫神経症の症状に、永遠に手を洗わないと気が済まないという病気があるが、こういう人は、不潔なものも含めて、「生きる」という現実がある、ということが、カラダで理解出来ないがゆえの病気なのである。

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自分が、東京の下町が好きで、一軒家もあえて下町に買ったのは、自分が生まれ育ったところというのもあるが、そういう「不潔」な「現実」が目の前にありながらも、そういうのもひっくるめて「生きる」ということ、という認識が根底にあるところなのかもしれない。

家もかしいでいたり、道もヘンだったり、「理路整然」とは逆の街が、いまだ、東京の下町には、ある。しかし、そういう街が自分は今でも好きだ。
どんなキレイな街よりも、この自分には、チャーミングでキュートである。

だが、再開発という名の強大な公的な力の「暴力」で、東京は、ずっと壊され続けてきた。
今でも、現在進行形で、東京は壊され続けている。

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何か最近のニュースを見ていて、その背景に、よく言う「安全神話」というものが特に感じられる。不安や事故や不潔や・・・そういう「負」の要素があってしかるべきところに、その「負」が無いのが当たり前、みたいなコドモっぽいごまかしがある。

健康神話にとり付かれた人々が、イナカから出てきて、「これが東京なんだあ~」と、東京を壊して作った「ニセモノの東京の清潔な」都庁と東京ビッグサイトの間を走るというのも象徴的だな、そう思いながら、ニュースを見た。

古都京都とは違い、古い物が壊され、「表面的・表層的に」不潔なモノが排除されるのは、「強迫神経症患者」=東京の都市としての運命であることは認識しながらも、自分は、その愛憎の街 東京で、ひそやかに、抵抗して生きていこうと、気持ちを新たにした。
コメント (2)
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