一泊二日。両親・兄夫婦・自分の五人で旅した伊豆。
普段余り人物を撮影しない自分が、四人それぞれの瞬間にシャッターを押した。
多くの撮影写真は美しく変化しながら随時立ち現れる風景、そして動物園で出会った沢山の動物たち。
とは言え、全体に占める人物写真の割合は、いつもよりはるかに多い。
そのことは、この旅が如何に異例であったかの証明。
撮影した写真は1000枚を越えた。。。。
これをどう扱うか?
それは、お勤めに突入している師走の週の半ばには、結論出せずに居る。
ひとまず、パソコンを持たない老親には、セレクトしたショットをプリントしよう。
アルバムに入れてプレゼントしようとは思っている。
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96年4月東京に舞い戻って以降の自分は、たんまり写真を日々撮りつづけてきた。
振り返って明らかだったのは、東京の街・空・花・犬やネコなどの動物がミックスされたものが全体の多くを占める事実。
しかし、いっぽうで、率は少ないが人物写真。枚数は少ないが重要な写真。
人が出て来る際には、街の風景なり、想い出との重なりがある。
もしくは、人単体が主の場合は、その対象に吸引力がある場合。
それは過去出会った恋人だったり、場末で出会った風俗嬢だったり。。。
30代の勢いがあった頃、永井荷風のように足しげく通った色街で、いっとき、いつも会っていたお嬢に聞かれた。
お嬢「今日は、お休み?何してた?」
我輩「今日は、ここからここまで街を放浪しながら写真を撮って歩いたよ。」
お嬢「そうだ、写真が好きなんだよね。ねえ、私を撮ってよ。」
我輩「ええっ?撮っていいの?」
お嬢「うん、撮って、撮ってぇ」
と彼女は、みずから進んで服を取りながら近づいてきた。
顔も何も隠さずにこちらに向かい合った彼女の言行は、どう解釈しても単なる営業精神とは異なっていた。
それはこちらを見る目線からも明らかだった。
撮った写真をプリントして、次に会った際にプレゼントした。
彼女は喜んでくれた。
それもそのはずだった。
情感がほとばしる中、シャッターを切った写真のなまめかしさとリアリティは、自分が撮ったとは思えないようなものに仕上がっていたからであった。
また、ふだん一緒に居る際には分からなかった・彼女の別の顔がそこには映っていた。
ある瞬間を切り取り・生と死にまたがるエロスが定着された、誰か第三者が介在したかのような写真。
同じ三ノ輪出生の荒木経惟(アラーキー)も、そしてこういう自分も、単なる助平で済ませばコトは早い。
だが、エロスを抜きにしては、この世も人間も成立しない。
自分は、こういう体験を幾度も通過して、改めて荒木経惟の撮った写真を見ては、単なる助平だけではない何かを認識してきた。
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写真というのは、瞬間を切り取る作業。そして、その瞬間は撮った時点で過去になる。
二度と同じ瞬間はおとずれない。
写真というもの自身が持つ刹那さ。そして、二度と戻らないという残酷さ。
かつてテレビでの荒木経惟特集で言っていた言葉を思い出す。
「写真がなければ、たいていのことは忘れられるよ。写真が残るから哀しくなったり、余計なことを思い出したりする。」
男女の交際の別れに、女は貰ったモノや一緒だったときの想い出を、全部捨て去るいさぎよさを持つ。
かたや、男は案外めそめそしながら、いつまでもモノも想い出も捨てられずに引きずるケースが多い。
かくいう自分も、そんなものを捨てられずに、引きずりながら生きてきた。良い時も・悪い時も、自分の行き抜けてきた瞬間のかけら。
今は亡き女優、太地喜和子は「別れた男たちへ・一緒に居た時間と楽しい想い出をありがとよ」と、彼女らしい発言を後輩たちの前で言ったという。
これは並みの女ではない太地喜和子ゆえに言えた言葉であろうが。。。。
今年、東日本大震災で多くの方が亡くなり・多くの方の家が流された。また放射能エリアに戻れなくなった人々が居る。
そんな中、人々が探し求めたものは、家族や相方や想い出の写真だった。未来予測不可能な中で、ある過去の瞬間を切り取ったコンマ何秒。
写真がなければ、生きてきた証明すらも消えてしまう。
写真とは、何かそういうせつなさを持っている。