こころとからだがかたちんば

YMOエイジに愛を込めて。

2014年5月15日 木曜日 音楽風景 ~改めて、砂原さんの 「リミナル」を巡って~

2014-05-15 22:24:22 | 音楽帳

有象無象の情報がある時代において「たかだかブログなるものが『一体なんなんなんだ?』」
ということを、自らに問うジレンマは数年前からの本音である。
何もかもが溢れかえっている時代に、余計に錯乱させるゴミをインターネット上にバラまいているに過ぎないと思ったのは数年前。
それなりに自戒もしてきたつもりだが、それでも不十分だろう。

いったん仕掛かってしまったものは、サイコロが転がるようにして、振り出したからには、次はこれ・・・という具合に終われないモードに入ってしまうもの、という人間の習性だけ、と言い切っても構わない。

また、昨夜の続き的でもあるが、ITに放り込まれて来るものは集積体を成していくが、その果てにあるのは、昔(当時)語られていた想像上の「未来」通りなのだろう。
昔、誰かが語った言葉が記憶に深く刻まれている。
「想像上で描いたことは、たいてい実現するんだよねぇ」という発言。

外部脳を夢見ていた頃が程遠かった1970年万博の頃、自分は買ってもらったグラビア印刷の本に載った(万博で披露された)ロボットの写真や、NHK教育テレビに映る・富士山を背景に新幹線が駆け抜ける様。
そんな断片映像は、未だに覚えている。

外部脳は、その後実現し、ITに放り込まれた情報は、人間が持つ機能の機微として、分析・活用されている。今生きているヒトが亡くなっても、継承されるものは蓄積されていく。
より精度を増していく外部脳と情報だけがある。
一時的に地球に存在している、キミもボクも、単にそこに「奉仕」しているに過ぎない。

2014年・年始に、バカな自分が、孤独な世界で、自分の心臓の鼓動として受け取ったものの恐怖は、まさにそれであった。
「今更、何を言っているんだ」と言われても、アナログな自分の心身は、安倍晋三が語った、自分が生きている保証の無い未来=『2020・東京オリンピック』の「ビジョン」に抱いた、置き去りにされていく自分の風景。

自分はすでに居ない、愛するネコ・街角・露地・佇むヒト・・・暮らしてきた東京の風景映像。
それが渦巻いていたのが、自分の年明けだった。

2014年現在、仕事上、モバイルで持たされているアイ・パッドがやっかいで仕方が無い。
重いのは、重量のみではない。公園で、ピカピカとしたライトをともしながら、夜集まっている「飼い主さま」どうしの犬自慢のような、かったるい重さ。
どこに居ても追跡され、レスポンスを要求される。

今日は、こんなかたわであっても、社会なる「共同幻想」の中で、生きるスベを教えてもらった兄的存在のお袋さんが亡くなった知らせを朝一番で受けて、絶句した。
その方の心身の心配をしつつ、早々にコトを片付けて帰路を辿り、部屋で静かにしていた。
そんな中でも、ひたすらメールが入り続ける者へ、罵倒したい気分の、この数時間だった。

最近の夜は見ないことにしているのだが、早く仕事を上がった日には、つい見てしまう。
「これは、どうしましょう?どうすれば良いんですか?」等々、見たと途端に流れ込む。
基本は、考えて・悩んだ末に、相談をしてきた者にしか回答しない。
相手次第でしか回答はしないことにしている。

***

過去語った中で、今も変わらない、少ないことの1つ。
YMOが日々起こす事態をリアルタイムで浴び続ける洗礼を受けながら、それらを何らかの自分の表現として結実せねばならない、と、時代の変遷の中戦ってきた音楽家は、砂原良徳さんと石野卓球さんくらいだろうという想い。
同世代という想い入れが、大いに作用しているが。

個人的には、大阪に居る20代後半の四苦八苦していた時代に「TVブロス」を通じて出会えた、砂原さんのソロ作品『クロスオーヴァー』は、とても刺激的であった。
それを聴き込みながら、砂原さんへの興味を抱き始め、アルバムが発表されるごとに聴いてきた。
2001年「ラヴ・ビート」という、可能な限り音を削りに削った挙げ句立ち現れた、大地にどっかと座って安定した境地に至るまで。



■砂原良徳 「アースビート」2001■
彼の作品には、確実にYMOという裏刻印がされながら、どのような形でYMO無きあと、自分が時代に浮遊しながら、次の一手を繰り出すか?という自問自答が、実のところは血反吐をはくようなつらさを持ちながら、作品という形で昇華してきたのではないか?と思ってきた。

そんな自分が、踏みとどまったのが、2011年作品「リミナル」だった。
「リミナル」だけは、CDで持っていない。
作品自体は、3・11前に完成されていたのだが、10年以上ぶりの作品にしては。。。という違和感を抱いてきて、ユーチューブで聴ける今に至っても、自分の中でまとまり得ないで居る。

なんでこんなことを。。。という理由は、ついに今年夏のワールド・ハピネスに砂原さんが出るからである。
本心は「リミナル」のインタビューで聞いてはいるが、じゃあ、2014年現段階で、砂原さんは「音楽」に対してどんな想いを抱きながら、今を迎えているのだろうか?ということに関心があるのだ。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする