細野さんの作品は、どれもこれもが、その時点・時点で置かれた状況の中で、心血注がれているので、優劣は無い。
そう言ってしまう自分のアタマは相当イカれていると言われるだろう。
しかし、そんな細野さんの作品の中の1つ。1993年「メディスン・コンピレーション」は、当時大阪に居た自分にとって特別な作品である。
当時の大阪の暮らしは、新しいあらゆるメディアを入手する「場」が少なくて、困っていた。欲しいものとのすれ違いざまの出会いをする「場」が少ないことは、自分にとって苦しかった。
更には、毎夜、先輩の説教含めて付き合い、夜中までの酒の呑み代に給料・生活費のほとんどをつぎ込んでいたので、高価な正価格のCDを購入するにも窮していた。
結果的に、レンタルCDで借りた「メディスン・コンピレーション」をカセットテープに録音した。1994年営業車を転がしながら、夜に一番良く聴いていたのが、この作品だった。
車は、人気(ひとけ)の無い大阪市内の道を走る。道は当然平らなのだが、地球の大地を走っている感触があったこと、やけに夜を照らす灯りや月が意味深けな隠喩のように感じたり、走っているうちに黄泉の世界に突入していたりした。
その後、自分は1995年1月、阪神淡路大震災に突入していくことになっていくのだが、まるでそれを知っていたかのような、地鳴りの音が「メディスン・コンピレーション」には収まっている。
誰もが「イカれている」としか言わないだろうが。
■細野晴臣 「ラフター・メディテーション」1993■
5日・月曜日は、相変わらず、近所をほっつき歩いていた。
太陽など空が、その日の一周を時刻時刻と地上の陰影・表情・有様を変化させる中。
先日、東洋医学の施術師の方と話していて、知ったこと。
「住めば都(みやこ)、という言葉があるが、実は今語られている意味ではない。
住んで居るうちに、そこが一番良くなる、というのではなくて、どこに行っても都(みやこ)。
つまり、移動するほうの人に、実は源が宿っている。」
なるほど。。。と思いながら、まだ自分の中では咀嚼しきれていない。