こころとからだがかたちんば

YMOエイジに愛を込めて。

2015年7月3日 金曜日  「初夏のサウンド29 インソムニアック日記」

2015-07-03 23:33:59 | 音楽帳

【「スクラップ1996~98年頃」 大阪から東京に戻る際、荷物を詰めた引っ越し段ボール。戻った部屋に積んでいた。
そこに適当にチラシを貼っていったものは、放置され続け日焼け。その段ボールを分解し、生きた部分だけを残すこととした。
置き去りにされたものを見たとき網膜に入ってきた不思議さ。】

これは絵を描く人ならよく解かる話し。
何かをしようとすると、いつの間にかその行動の渦中に心身ともにとらわれてしまう。次第に意識としてまとめよう・理解しよう・体裁を整えよう、といった「作為」が働く。

しかし、その「作為」をみずから分かるのは、渦中でもがいていた時から距離が置けた地点。
そこに来て振り返れるほどになってからのこと。
この距離感。

そこで想い出すのは、深夜虫の鳴く四国の”はなれ”兼アトリエで、絵に向かう大竹伸朗さんの著「見えない音、聴こえない絵」。そこに記された周囲との間合いに関するシーン。
また、サウンドストリートでの教授と幸宏の会話。
”レコード制作の締め切りが迫ってくるとトラックを埋めていってしまうんだよね。そんな<整理的な>行為がそれまでのインスピレーションを台無しにしてしまう”といったくだり。
もしくは三島由紀夫さんのこと。

昨夜、ふだんは座らない家の紙ゴミが溜まった場所に座っていた。
人が見たらゴミ屋敷と確実に呼ぶ部屋。その作業場。頭痛、眼痛、疲労感、だるさ。

座った位置から少し離れたところにあるラジカセは、聞こえるか聞こえないかのはざまでラジオを流す。
雑多なものが埋め尽くしたつくえのゴミを適当に寄せ、そこに出来た数十センチ角の狭い空間。そこにカッター・ノリ・物差し・チラシ類を目の前にして、貼ることをためらいながら室内のエアコンの音を片方で聴いていた。

まとめようとする脳や習慣、そんなものは社会に飼い慣らされたROBOT的反射神経にしか過ぎない。それを理解しながらも、それが巣喰らう我が身は、自分で持つことを拒否したスマホいじり中毒者をどうのこうの言い切れない。そのもどかしさ。

支離滅裂さのほうが信じられるのに、そこに染まり切れない。
社会に属さざるを得ない、カネを手に入れないと生きられない、世間が言うそれらは真実ではない。しかし、オトナになって以降、その刷り込みとウソすら捨て去れず、結論を引き延ばしてきた二十数年。それは、このカラダをむしばんできたはずである。

止む無く(と言い訳をして)社会人となった・二十代そこそこの出来損ない。
”ああ、仕事に行きたく無い、アイツに逢いたく無い・・・”も毎日続けば、次第にそれを超えようと/ココロの持ち方を会得しようする。このディシプリン/鍛錬を日々繰り返していく間に、その苦労は社会そのものよりも社会病に馴染み・心神喪失していく。

「この境遇から今すぐにでも逃亡し、消息を絶つ」に傾くことと・鬱から「自死しかない」と思うことの間で揺られながら、次第にその振幅は小さくなっていった。

そういった物言いもあたかももっともらしいが、そうやすやすと思えたのは三十代から四十代前半までであり、その後深刻に生と死を知るのは四十後半。誰かが(神が?)この心身に宿ることを命じてから諸々を経て、元々あった窮屈さや我に帰るのは四十後半。
正直、この半年は異常な怖い速度であり、早くも明日「産まれたんだろうね、たぶん」という日をむかえる。

四十にして惑わずなどは知る由もない。時の積み重ねが今に至る、なる発想は疑わしい。
しかし全否定出来ないその発想がよぎるのは、自らの心身が従属する社会によってクサリを掛けられ奴隷になっているからなのだ。
・・・とすれば、と、そこから目覚め・思想=宗教を持って産まれなかった”わたし”に戻ることを辿ろうとするけれども、そんな”考え”で容易に戻れるものでもない。

一昨日は、とある女史と二人お酒を呑んだが、饒舌になり笑わせる役に好い気になるうち深夜となり、電車は島への帰路途中で絶たれた。
酔い覚ましも含めて深夜の迷路を歩いた。見たこともない/しかし何度も歩いた道の魔界に入り込んでしまう。初めて見るシーンのように視えてシャッターを切る。

汗だくになったおかげで酒は抜けたが、これ以上は歩けないと途中からタクシーに乗って帰る。
その後、今度は眠れなくなる。灯りを消した暗闇で横たわるが、次第に頭が行き詰まったので、みうらじゅん先生の出演した番組を聞いた。

そのうち多少・心は緩みに入ったが、それも鳥たちが鳴き出す頃。
むしろ、明け方から眠っては起きられないだろうという時間。
そのせいで深くも眠れず、堕ちたり戻ったりとあちこち精神が行き交っているうち、朝のアラームに切断された。社会に出向く用のモビルスーツを青白い顔で身に着ける。

得体の知れない不吉な塊が私の心を始終おさえつけていた。焦燥といおうか。
何かが私をいたたまらずさせるのだ。それで始終私は街から街を浮浪し続けていた。

そこからの私はどこへどう歩いたのだろう。私は長いあいだ街を歩いていた。
始終私の心をおさえつけていた不吉な塊がそれを握った瞬間からいくらかゆるんできたとみえて、私は街の上で非常に幸福であった。
あんなにしつこかった憂鬱が、そんなものの一顆でまぎらされる。

それにしても心というやつは何という不可思議なやつだろう。



■ミヒャエル・ローテル 「音響体」1982■

【最後一部は、梶井基次郎さんの文筆『檸檬』よりの部分カットアップ。】
ミヒャエル・ローテルの「熱地帯」は、1982年9月1日に国内発売された。
ポリドールのレコード広告コピーは『発見!もう一枚の環境音楽(ルビが”アンビエント・ミュージック”と振られている)』。そのコピーがモノクロームなLPジャケット写真へさらに不可思議さを添えていた。

この国内発売を受け、当時FM「クロスオーヴァー・イレブン」ではさかんにここからの曲が掛かった。夏の夜に浮かぶ音楽の1つが「熱地帯」でもある。
その中でもB面2曲目「音響体」は、砂漠の昼・かげろうが揺らぐ風景描写として体内に刷り込まれている。後に90年代「ジャパンの再結成」裏作品として産まれたレイン・トゥリー・クロウ。藤原新也さん撮影写真のジャケットも想い出す。

今日は土砂降りなのにね。
コメント
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