世間にうとくなってしまった自分。
世捨て人めいた流れのなか、スキマをぬって、近時視たり・聞いたり・教えられたりすることが多い。外国のコト・日本のコト。
ひょっとするとこれは逆に、世界すべてが芝居である、という明白な化けの皮があからさまに白日の下にさらされることで、決壊した裂け目に何かが産まれつつあるような気がしている。
それは希望と言えば希望かもしれない。
しかし、それを理論立てて説明する能力も無いし、その裂け目は明日になればいきなりふさがせてしまうのかもしれない。だが、単なる幻覚とも思えない。
7月17日 金曜日
遅くまで仕事場でパソコンと闘い頭痛がやまず。マッサージに寄る。
えらくひどいよ、肩も首も、そう言われる。だから来たんだよと、なじみの施術師に言う。
施術師 : ほんとは毎週家まで行って、ほぐしてあげたいけどね。
わたし : ああ。でも部屋が汚いからね。
施術師 : なんで?
わたし : なぜってね。。。
こうして会話していくうち、一回たまったゴミを捨ててしまうと良いコトがあるよ、という施術師の言い回しが妙に説得力あって、後を引いた。
終電近くの電車に乗り、混雑の隅っこを確保し、ウィリアム・バシンスキーの「ディスインテグレイション・ループ」を聴く。ひたすら繰り返すテープループが物理的摩耗によって劣化し、音が崩れていく。
その音の背景に、DVDにもなった9・11後もうもうと煙を上げているマンハッタンの空を思い浮かべる。それが雑然とした電車内の光景への視線にまじわる。
だからといって特別な絶望感は無い。いつものコトだ。
■William Basinski 「Disintegration Loop」2001.9.11■
深夜の電車。途中、島へ向かう閑散としたローカル線に乗り換える。
なんで人はこんなにもくっちゃべってんだろう。
閑散としているのに、目の前の光景は、まるで芝居をする一座のように、芝居じみている。
イヤホンのボリュームを上げる。
ひたすら口を動かす連中が、キチガイたちの夜のパーティーのようだ。三連休前だからと浮かれているんだろうか?こんな光景を見させられるたびに、「連中」ほどろくでもない生き物は居ないなあ、とこころが悪意につい傾く。
駅で降りると、ポリスメンと酔っ払いがやりあっているノイジー。
ぼーぼーと吹く風。その風が気持ち良い。いくら蒸し暑くとも、昨夜より良い。マシだ。
イヤホンの音のループは続き進む。円環のなかを。
歩いて歩いて喧騒をしだいに離れ、ざわめく森と迷路の路地に入っていく。
狭く区切られた視界から見上げると星空。風鈴が満たすラビリンス島に戻っていく。
昨夜は、風吹く場所で涼んだキジトラちゃんに遭ったが、カリカリを忘れた。買って戻るといなかった。
今夜も遭った。今日は持っているカリカリをあげた。そうすると陰からクロちゃんら、おなじみのメンバーが現れてきた。