こころとからだがかたちんば

YMOエイジに愛を込めて。

2015年7月5日 日曜日 「初夏のサウンド30 忘れ得ぬ発光」

2015-07-05 23:24:18 | 音楽帳

7月4日 土曜日
自らを生きることにまい進しても副業たる仕事も放置出来ぬ状況で、今週「も」その間に引き裂かれて不眠症っぽかった。金曜夜は限界で、知らぬ間に気絶寝していた。「ふつうのひと」が持つ・受け流し許容量が自分には無いので、鍛錬をいくら積んでも疲れてばかりいる。

数時間寝ると出てくる腰痛に起こされる。9時ごろラジオをつける。永さん・外山さんの声。
ゲストで八千草薫さん出演。永さんは緊張し、午後の若山弦蔵さんは「自分が座る椅子に八千草さんが座っていた」とにぎわう。

ぼうっとしているあいだに時間ばかりが過ぎてしまう。
それは好ましい時間の過ぎ方ではない。外は深梅雨まっしぐらで薄暗く、本来梅雨時が持つ風情すらかき消された心情。「外に出たいが出られていない」いやな時間の過ぎ方。お風呂に入り外に出られたのは、久米さんのラジオを聴きながらの午後1時半数過ぎ。

外に出て「ぽつっ」と一粒の雨を知ったが、戻る気になれずそのまま進む。
歩くたびに水滴は小粒から雨になっていく。タオルで汗とカメラを拭きつつ歩く。
途中からバスに飛び乗り移動。巣鴨あたりで降りればもはや雨・雨。やむなく地蔵通りで傘を買う。

自分の誕生日がアメリカの独立記念日であることは、小さいころ兄から教えてもらい知った。
何か因縁めいたものを感じる。
毎年という訳ではないが、この日には、U2の1984年作品「焔(ジ・アンフォゲッタブル・ファイア)」に収められら「7月4日」を聴く。U2のギタリストであるジ・エッジの即興音を拾い、ミシン職人が部品をかがり縫うように、ブライアン・イーノが1つの曲に仕立て上げたとおぼしきもの。血塗られたアメリカの刻印。

■U2 「4Th Of July」1984■

ブライアン・イーノは、1982年マンハッタンでの立川直樹氏とのインタビューや1983年来日講演時「ロックには一切の未来や発展性が無いから興味が無い。興味があるというなら、お寿司の方が興味がある。」そう言った。
それは、イーノがインタビューを受けると、プロデュースしたディーヴォ・(ジョン・フォックスが居た頃の)ウルトラヴォックスやトーキングヘッズに関する話に焦点を当てられ、そのインタビューに辟易として最後通告として言う捨てゼリフだった。

ボノがいくらブライアン・イーノを恋焦がれようと、繋がりえない関係性。想いがいくら強くとも、まさかそれは無理だろうと思っていた。ところが1984年、U2をイーノがプロデュースした「焔」があっけなく発表された。

スピリッツに満ちたU2とイーノの融合。スティーヴ・リリィホワイトがプロデュースした3枚目作品「WAR」で全世界に知られるようになって後、ライヴアルバムを挟み、一体どう出るのか?というさなか、意外や意外な立ち現れ方をしたU2は、熱情を抑え・少し引いた感があった。それを渋谷陽一さんは”元・熱情少年のたそがれ”といった具合にレビューしていた。渋谷さん自身がそうであったことを語りながら、そのたそがれ感が良く出ていると述べていた。

「The Unforgettable Fire」とは、日本に昭和20年落とされた原爆のことを指している。

イーノはボノの輝きに惹き込まれて、この仕事を引き受けたと言っている。その心理やいきさつがどこまでその言葉通りかは、インテリであるイーノのことだから分からない。しかし、この2つのありえない繋がりは、その後の「ヨシュア・トゥリー」を産むことになる。

■U2 「A Sort Of Homecoming」1984■

思えば、80年代において形骸化した中古品である「ロック」を演奏する、そのこと自体が困難な時代だった。そんな中で、U2や数少ない者だけが気炎を吐いていたような孤立無援的様相を呈していた(行動も含め、そう位置付けされていた)。それを日本にあてればRCサクセション。
しかし、2つとも「当時のロック」と一緒にしがたい音楽。ブルースの影響下、派生形として産まれたロックは、この当時の多くの音楽によって、その源を絶たれていたのである。
そういう自分は、ブルースとロックの繋がりを当時肉体として分かっていなかった。
しかし、U2に関して色んな人が言っているが、今になって振り返ればイーノと立川直樹氏の対談と繋がる。

1982年のインタビューでイーノの暮らし方のくだり。
イーノはコレクションを持たない主義、当時のアルバム=LPが増えると何らかの手段で処分していること。しかし、カセットテープはたくさんあって、そこにはLP「オン・ランド」に活用された自然や野外の音もあるが、もっぱら大好きで聴いているのはゴスペルだということ。U2との結びつきはここにあるのだろう。



7月5日 日曜日
周囲の人より劣った機能のミニmp3プレイヤー。その中身を入れ替えた。
陰鬱な空気が支配する昨日今日、少しは明るい音楽を、と初夏的ではない音も含めた。
外に出て歩くが、写欲も歩く気力も湧かない。どうにもエンジンが掛からない。

植草甚一さんのスクラップ・ブック展をかなり前から知っていたが「また今度行こう」と思いつつ、結局この土日最終日となってしまった。そして結果行かなかった。
見たい心はあっても、いつも目的を持たずくねくねするので、無理矢理行きたくない場所にむかえなかった。いくら植草さんの肉筆を見たくても、世田谷なぞには行きなくない。元々ぐずっていたのはそのせいである。

そういう中でほんのわずかばかりの救い。
夜がしだいにあたりを染め成す逢魔が時に聴いていた「ドミニオン」。聴いているイヤホンからの音が、周囲の風景と空を起点に宇宙的な舞いをした。

■Tangerine Dream 「Domimion」1982■
この「ドミニオン」はクロスオーヴァーイレブンでも掛かり、エアチェックしては夜によく聴いた。この曲を収めた「ロゴス」というライブアルバムは素晴らしい。
ライブアルバムというものは、過去発表してきた曲をライブで演奏したものという法則がほとんどだが、このアルバムは全て新曲であり(自分が知る限り)スタジオ録音されたものがない。(同じような試みを、この後ジョー・ジャクソンが行っている。)

PS:先ほど、エドガー・フローゼまでが亡くなってしまったことを知った。
ショックだが、夢のような日々とは音という場でいくらでも再会出来る。そう自らに言い聞かせる。
これからも彼らの音楽を聴き・励まされながら生きていく。
そう言いながら、まったくその自信を欠いているが。



「絆」という名のラヴホテル










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