こころとからだがかたちんば

YMOエイジに愛を込めて。

2015年7月30日 木曜日 「夏の音色 M+M=Smiths・・・M+_=・・・・・」

2015-07-30 23:41:13 | 音楽帳

今週はフジ・ロックの現場で演奏された音が合い間に流れるインターFM。
今日、雑然とするなか耳をそばだてた。聴いた音。日常音の間からスミスの曲と認識する。
いったい誰が演奏しているのか?、と耳を近づけて「ジョニー・マー」と分かった。
曲は「ビッグマウス・ストライクス・アゲイン」。

じゃあ、ヴォーカルは誰なんだろう?という部分までは聴けなかった。
その後、スミスのアルバムから「ハウ・スーン・イズ・ナウ?」が掛かった。確かにこの曲のメロディはジョニー・マーに全ての権利はある。

ここ一年あたり渋谷陽一さん含むロッキンオンのライターさんのサイトに行く時がある。
ほとんどは渋谷さんのペイジばかりだが、渋谷さんのその演奏への記事を読む。その下に山崎洋一郎さんの引用があり、クリックして読んだ。
http://ro69.jp/blog/yamazaki/128085

ジョニー・マーのソロに対して、山崎さんが書く”ザ・スミスの「ビッグマウス・ストライクス・アゲイン」、「ゼア・イズ・ア・ライト」もやってくれて、やっぱりこみ上げるものがあった。”という言葉に感化された。
今夜は、スミスを聴いていた。

***

リアルタイムで好きだった曲はあるが、私は決してスミスの全面的なファンではない。
日本でスミスのLPが発売されたのは1984年。当時のリアルタイムカセットには、クロスオーバーイレブンからエアチェックした「ホワット・ディファレント・ダズ・イット・メイク」が、オーストラリア勢のミッドナイトオイルやメンタル・アズ・エニシングなどと同居して在る。

今夜は想い出すことが多い。

当時(土曜も)排球(バレーボール)部の練習後、あしたのジョーのように燃え尽きた中、なかまとクタクタなカラダを引きづりながら、JR大塚駅へ向かう空蝉橋へと昇っていく坂道をだるく歩いていた。
当時の自分には、仕事でもないのに仕事以上だった。

でも、そこには明滅する夜に向かう街の灯り(今気付けばラヴホテルや風俗街)があり・空があり・やっと寸分の休み、という喜びがあった。
その土曜の夜は独りパーティーと決めており、様々な深夜テレビ番組と深夜ラジオにひたる贅沢が待っていた。それが一週間耐えた自分へのささいで大事な解毒のためのごほうびだった。

そんな深夜、ラジオ日本で湯川れい子さんの「全米トップ40」が終わった後に始まる深夜2時「全英トップ20」を(毎週ではないが)聴いていた。当時埼玉にいた場所ではラジオ日本は入りが悪く、ラジオチューニングに苦労した。それは東京でも変わりないものだった。

日本よりも一早くイギリスの音楽チャートを伝えるこの番組で紹介される曲は、まだ日本国内で発売されていないものも多く、海の彼方への臨場感があり、とても重宝した。DJは大貫憲章さんとスヌーピーこと今泉恵子さん。
平日には「サウンド・プロセッサー」という22時にはじまる2人の番組を、練習後帰宅し毎夜楽しみにしていたが、番組としては「全英トップ20」のほうが歴史は長かった。

***

「全英トップ20」には”インディー・チャート”というものがあり、メインのレコード会社で組まれたチャート外のトップ5が存在した。そこを席巻したバンドなりレーベルはメインのレコード会社になるかその傘下に入る、あるいは移籍する。
このチャートで今でも覚えているのは、スミスが1位~3位を独占した頃、それに、コクトーツインズ含む4ADレーベルが独占した頃のこと。

そんな中の一回。スミスの特集があって「ウィリアム・イット・ワズ・リアリー・ナッシング」「ヘヴン・ノウズ・・・」などが掛かった。あるいは、この”インディー・チャート”コーナーのテーマ曲が「ウィリアム・・・」だったこと。それが紹介する大貫さんの声と共に想い出される。
ちなみに、その前のテーマ曲はポール・ウェラー率いるジャムの「ギフト」収録の「サーカス」だった。

遠回りした話だが、スミスに対する記憶はこのへんで聴いた曲が一番刻まれている。
音そのものより彼らの背景についての詳細を知りうるのは、解散後大学で出会った不思議な友人からだった。

***

彼は未だ唯一無二の友人だが、私にとってはぶっとんだ存在で、絵を描くアトリエ部屋でいろんな話を聴き、目が透けて見える薄めのサングラスを掛けてギターをよく弾いていた。
彼から「これ創ったから」と追っ付けられたカセットテープを強要されながら、スミスの曲を小刻みに聴いてきた。それは東京を引き離された90年代大阪へも送られ、異国でそれを聴いてはスミス教を学んだ。

私はゲイでもバイセクシャルでもないが、彼はなかなかのイケメンであり、私からは髪型といい背格好といい、モリッシーそのままをなぞらえているかのように似ている。
未だ独立独歩、組織にも属さずバイトを続ける彼は、未だ当時となんら変わらない。見た目もそのパッションも。

80年代から90年代初め当時、彼にとってはスミス=ジョニー・マーであり「モリッシーなんかどうでもいい」と言っていたが、パソコンすら無い当時、黒ペンで書かれたカセットテープの演奏者らんには「スミス」ではなく「モリッシー&マー」といつも記されていた。

ようくこう書く自分をウソつきと言われ、また自らそう言うのだが、これはまぎれもなく生きてきた中で出会った事実なのである。
渋谷さんや山崎さんが語ることと重ねると、何か時間が相当経過したようにも思えるのだが、反面で何も変わっておらず、時間を超えて変わらないモノを感じた今日だった。

■The Smiths 「Bigmouth strikes again」1986■
コメント
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