
夏といって思い出す1曲に、ホルガー・シューカイの「ペルシアン・ラヴ」がある。
彼が亡くなったのは、2017年9月5日のこと。79歳だった。
彼の最期の活動には親身ではなかったが、i-Tunesには常に彼の曲がある。
彼が所属したカン、可愛らしいソロ作品、ジャー・ウォーヴルやデヴィッド・シルヴィアンとの共演など、素晴らしい作品は多い。
同じ時代を一緒に過ごした、ホルガーおじさんとの日々・・・。
想い出深い先達たちが亡くなっていくことはさみしく、虚無感に包まれる。
それを以前よりもかなり強く感じる。
しかし、そんなことを言っていたら、この後、生きてはいけない。。。
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ホルガー・シューカイの名前を知ったのは、1981年スネークマンショー2枚目収録曲「ペルシアン・ラヴ」。
その後、1981年11月25日にアルバム「ムーヴィーズ」が国内発売された。
それをどうしても欲しい・聴きたいと思ったのは、ピーター・バラカンさんが81年のベストアルバムに写真入りで選んでいたことだった。1982年1月のこと。

■雑誌「ミュージックマガジン」1982年2月号 1981年のベストアルバム欄より抜粋■
しばらくは白黒ページを見ながら、一度聞いてみたい、、、そう思っていた。
春となり、無事ではないが高校生になって、春にアルバムを買った。
A・B面2曲・計4曲の作品。
A面
1/Cool In The Pool
2/Oh Lord Give Us More Money
B面
1/Persian Love
2/Hollywood Symphony
A・B面1曲目がポップでキャッチーなのに対して、2曲目が10数分の大作で、咀嚼するのにかなり時間を要した記憶がある。
彼が「カン」のメンバーであることを知り、カンのアルバムにまで手を伸ばすことになるのは、その後春から夏にかけてのことだった。
ホルガー・シューカイの音楽には、様々な音が切り刻まれたテープによってかぶさってくる。
「ペルシアン・ラヴ」の場合、ラジオ放送から流れたコーランが創作中の曲とマッチするという偶然が生み出した奇跡の産物だった。
当時「先端」と言われたデヴィッド・バーン&ブライアン・イーノのアルバム「ブッシュ・オブ・ゴースツ」でも出てくる手法だが、民族音楽的要素をテープによって取り込み、1つのチューンを実現させている。
ロックサイドの音楽家が、第三世界音楽の要素を入れ込む、いわゆる「エスノ」と呼ばれた流れの先がげ。
この少しのち、というか同時進行で、サンプリングマシンが登場し、音のコラージュによる創作曲が増えていった。
■Holger Czukay 「Persian Love」'81■