
雪が降るらしき予報はあったが、近時、天気を予測するのが極めて困難な中、じぶんも甘く考えていた。
起きると雨。今日は外に出られないな、と思っていたところ、さくりんさんのお便りで外を見ると、雨は雪に変わっていた。
そして、やむ気配が無い。
時折、横風が「ゴオオッ」という音、積もった雪がドサッと落ちる音がする。
MZ師と電話しつつ言われたのが「早めに買い物を済ませないとまずい」。
どんどんと降り積もる意外なほどの積雪に、13:30に外に出る。食材が枯渇しておりやむを得ず。
雪を喜ぶコドモやワンちゃんではないが、風景を全て白く染め成してしまう雪には、やはり風情があるものだ。自然の怖さを改めて思うと共に、自然が一瞬にして世界を塗り替えてしまうことを思い知った。
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この日。どの音楽を写真に添えようか。。。と思っていたが、これにする。
過去も語ったことがあるが、FM東京の土曜日夜に放送していた渡辺香津美さんの「ドガタナ・ワールド」に、大竹伸朗さんがゲスト出演し、エアチェックしながら聴いた。ここで、大竹伸朗のアートの魂の源泉に触れた。
ワイヤーのメンバーであるギルバート&ルイスとの付き合い。彼らがカポルというユニットで創った曲を、ここで初めて聴いた。大竹さんが選曲した曲は、どれもが刺激的だった。
(ギルバート&ルイスは、カポルの後、ドームというプロジェクトでアルバムを出していく。)
この放送の中で、全部は聴けなかったが、チターのようでありながらも・じぶんで手作りでつくったという楽器で奏でた音の響きがたまらなく良かった。

YOUTUBEとは大したものである。
ずーっと30年探していたその曲がアップされているのに、最近気付いた。
当時、大竹さんが言っていたのは、道端で「彼」がこの曲を演奏していた。「彼」自身は別にミュージシャンになろう、などという意思は一切無く、たまたま発見され、音として残ったから、ぼくらはこうして聴ける。「彼」にとっては、それが残ろうが残るまいがどうでもいいもの。
そんなことを言っていた。
この曲は、ギルバート&ルイスのドームのレーベルから1982年発表されたらしい。
この雪の風景に「No Journey's End」(終わりなき旅)を添える。
■Michael O'Shea 「No Journey's End」1982■
















今朝はレールが空を映すほど鏡のように光っていました。
自然なモノクロームの世界にも圧倒されますが、
舞い散る雪と雪解けの雫を思わせる「終わりなき旅」の広がりも、想像力をかきたてますね。
YouTubeもさることながら、
この曲をここに添えるかたちんばさんのセンスもおそるべし、です。
私の雪の曲といえば、定番は別として(笑)
ツェッペリンの「限りなき戦い」でしょうか。
(グラディエーターのような歌詞は雪との関連はありませんが)
初めて聴いた時から、降りしきる雪の中を駆け抜ける犬ぞりやオオカミのイメージです。
藤原新也さんの「幻世(まぼろよ)」に、電車でカミナリが鳴った時に、車内が騒然とし、表情に眠っていたものが現れたが、それが収束すると、都市人は再び眠りについた・・・・というエッセイがあります。
雪国では、雪は自然そのものであり・畏怖を覚えるものですが、都市に住む者は、ついロマンティックに語ろうとする。
なにか、そのしっぺがえしを喰らったように思った昨日・今日でした。
子供たちには、雪だるまを作ったり、という夢を与えるものだったでしょうが。
「たかだかこの程度で、何をうろたえておる。」
そんな自然が、都市に住む人をあざ笑っている声が聴こえるような日でした。
もういつもの喧騒ですね。
そんな中で1・17を迎え、
2か月後には、何にも変わらないまま3・11がやってきます。
忘れることで脳が維持されたり、
徐々に薄める、あるいは瞬時に切り替えるのは防衛本能なのかもしれませんが、
体感した痛みでないと、
ヒトはあっという間に忘れてしまうのでしょうね。
忘れた頃に波に打たれる度に「今度もセーフ!」と油断していると、
次こそがしっぺ返しの本番かもしれません。
* * * * *
アメリカで、紙の本を1冊も置かない図書館がオープンすると聴きました。
電子リーダーという媒体は、確かに、世界に1冊しかない本でも、本を運べない地域でも
「読む」ことを可能にします。
読めればよいという方や、
合理的に同じ重さで何冊も持ち歩けるのも利点ですが、
指で探す、手に取る重み、めくる、付箋をつけたり、ペンを挿んだり、あっコーヒーこぼした…
なんて間合いが、紙の本。
(萩原恭次郎だったか、ところどころ布が使われている詩集を持っていたと思いますが、
ただいま行方不明です。)
こだわりだの古いだのと言われようとも
忘れてならないこと、忘れたくないものが、ありますね。
そんなアンビバレントな極と極の合間を縫って生きていることを痛感する瞬間。
昨夜は、落胆のブルーと感謝への想いがないまぜの、馬鹿な状態に心があって、言葉を返すことが出来ませんでした。
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3・11のあとのTBSラジオ「デイ・キャッチ」で、近藤勝重さんの話が身に染みたのを思い出していました。
震災後、本人がガンだったか?とある女性に何が変わりましたか?という質問に「向かいや隣人を気にせずに、青空の中ベランダに干し物をしたときに、ああ・空はこんな色をしているんだ。ベランダからの眺めはこうだったんだ、と気付いたこと。。。」そんなお話しでした。
幸福とは何か?というテーマでした。
そこには、じぶんが大好きなアラーキーが亡くなった奥さんを撮った写真。
干し物が空にはためく中、彼女が居るショット。
あるいは、大好きな高倉健さんと可愛い倍賞千恵子さんの映画「幸福の黄色いハンカチ」ではためくハンカチ。
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じぶんは、じぶんの中から湧き上がる感情が無ければ「ガンバロウ、東北」などという形式用語に成り下がった言葉を使うつもりは一切ありませんが、ひさびさに3・11を振り返る心境になりました。
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デジタル・アナログという二項対立でものごとを語ってはいけない部分もあろうかと思いますが、じぶんにとっては本はやはりパピルスで無いとダメです。
神保町などの古本屋さんに漂う空気や匂い。
行きつ戻りつ、ページをめくる
手垢が付いたり・汗ばんだ指の痕跡
さくりんさんも言っているふせんや折り線
あるいは、えんぴつで引く線やメモ書き
図書館でしか本を借りない人もいますが、じぶんは買う方のタイプ。
断捨離なるものは、要らないものは捨てれば良い発送ですが、じぶんの本はその範疇にはありません。
一度しか読まないものは、図書館や売ってしまえば良いですが、なにかがあった時に、何度か引っ張り出して再度読む。
傍線を引いた箇所に、じぶんはなぜ傍線を引いたか?などのヒントが隠れている。
あるいはフラッシュバックする何かがある。
人それぞれですが、じぶんには本とはそういうものです。