
ドゥルッティ・コラム/ヴィニ・ライリーの音楽は、色彩的で映像的世界を想起させる。
たくさんある好きなドゥルッティ・コラムの曲を、勝手に四季折々の中に、「この曲は春、この曲は夏、、、」と、各々あてはめて聴いてきた。
「フェイバリット・ペインティング」は春・夏・秋いずれの季節にもはまる。
ただ純粋に美しく、サラッと流れていってしまう面があるから、
80年代のカフェバーや80年代後期バブルの洒落臭いシーンなど、嫌悪すべき場面でも掛かっていた。
しかし、私にとってはそんな音楽ではない。
公園のベンチに少女と座る写真。
写真の上からパステル調の水彩が散らされている。
ベンチに居る、亡霊みたいで消え入りそうなヴィニ・ライリーの姿。
彼と同じ青白い顔の自分は、ついそこに自分を重ねた。
晴れた陽光射す日であれば、ドゥルッティ・コラムやフェルト、アンテナ、ミカドなどの
好きな曲をまとめたカセットテープを、心の支えとして聴いていた。
毎週土曜、魂を癒すために、一人ミサを行う際には、これらの曲が賛美歌として掛かった。
クリスチャンでもない自分が、一週間を終えて疲弊した心身に対する、独自の魂の癒し方だった。
■Durutti Column 「Favourite Painting」'82■

