こころとからだがかたちんば

YMOエイジに愛を込めて。

2013年6月14日 金曜日 「一転して、ねちょねちょ暑い夜」

2013-06-14 23:59:59 | 音楽帳

地球の流れ、は誰にもわかりえない。だのに、気象予報士にああだのこうだの文句・クレームを付ける馬鹿・キチガイども。
冗談半分であっても、2013年日本人「大衆」がだーいすきな、単なる「いじめの光景」に見える。
昼にお弁当を食べながら・唯一見る地上波てれび番組「ひるおび」を見ていたら、気象予報士の森さんに対して、悪意を込めて恵俊彰というクズ芸人がいじっている。

***

今日は、昨日から一転して、梅雨ならではの、ねっちょりした蒸し暑さ。
雨はやんでしまうし・無風状態だし・・・・湿気・気温はUPするのみ。
そういう中でも、エアコンを付けようという同僚に「ダメだ。まだ6月真ん中なのに、今からエアコン付けてどうする!企業が排出する熱は、一般の住まう人たちの排出量の比じゃあ~ないんだ。せんぷうきもあれば、うちわもある。お前はシャツの腕まくりもしないで、何言っているんだ!」というキチガイ。

そんなキチガイ・エイリアンは、汗が匂う中、せんぷうきとうちわで過ごし、夜遅くに帰宅。
即、裸族に変身。まだ室内は27℃を示しているが、うちわで過ごす。

まだまだ早いのだが、細野さんのトロピカル三部作が聴きたくなる。
■細野晴臣巨匠 「熱帯夜」(1975年名作「トロピカル・ダンディ」より)■















暑いよね、クロちゃん。

帰路で買った魚のカリカリを上げたミケちゃん。
まだ幼いけど、もう子供をみごもっている。
じぶんは「頑張る」というコトバが大嫌いな『頑張らない派』主義者だが「ミケちゃん、頑張って生きるんだよ。ちゃーんと食べ物は、みんなで確保するから、可愛い子供を産もうね。」


コメント (6)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2013年6月13日 木曜日 「クワイエット・ライフ」

2013-06-13 23:53:08 | 雑記帳
静かでありたい夜。
ついつい珍しく、かなり遅くまで仕事をしてしまったことに因る反動。
とある仕事上の事件が起きたせいで遅くなった。


今日も雨はそれなりに降ってくれて、とても涼しい日だった。
しかし、全くの「想定外」だったのが、関東に居る中、さまざまなエリアの気温が驚くように高いという天気図だった。

じぶんもお袋さんも三ノ輪生まれで、ズケズケと事実をあけすけに・べらんめえにしゃべってしまうので「だから、私は嫌われる」(By北野たけしさん)。
それは重々理解しているし、お袋さんは一貫してトッポくて、幼い頃「ヒステリック」に怒られたものだが。じぶんは、根は同じでもトロくて、内に秘めるタイプという180度の対岸にいる。
今の身近に、ヒステリーとしか言いようが無い女性が居る。
今夜の事件にやたらうるさくヒステリックに仕事の邪魔なしゃべりを延々とするのだが。。。当然ながら、それで何かが一歩でも前に進むことは無い。
じぶんらは、その反対側で、静かに、その事件を如何にして最少限に出来るかな?と考え・語り合う。
起きてしまったことは取り返しはつかない。だが、その被害をどうやったら抑えることかを、淡々と業務遂行するのみである。

三歳で萌芽してしまったキチガイに対して、それが死に最も接近してしまったハタチの頃、様々な精神医学・心理学の本に「CUE」を探して、本を読みあさったが、フロイトだけは認める訳には行かなかった。それは今も変わらない。
何でも性に結び付けて結論めいたことに繋げる事への違和感、そして、やたらと彼の分析に「ヒステリー」という言葉が出てくる点。そんな人は、周囲にはほとんど居ないのに。。。
現代では、ほとんど「ヒステリー」とは死語だが、そんなフロイトを持ち上げる80年代のいい加減な学者・評論家には納得が行かなかった。一方では、そんな中で出会えた、彼の弟子であるユングには、惹かれてやまなかった。

遅く帰宅して、ダウンロードしていた、姜尚中さんと平野啓一郎さんの穏やかなる語りでくくられた対談を聞いていた。
平野さんがおっしゃった「アイデンティティなる概念で、人格が一つという妄念は、『神-自分』なるキリスト教世界の影響に因るものではないか。。。」という語りに「CUE」を感じる。それは、多重人格という単純発想では無い。
二人の穏やかな語り口が、出会った「ヒステリー」を浄化する夜。
ブライアン・イーノの影響も大きいのだが「静かなものが、もし今あったら、それは革命的な何かだと思っている。」(ブライアン・イーノ 1982年)









さくりんさんの影響からかもしれないが、夜道で多くのくちなしの花に出会った。
暗闇の中で、高貴で精神を沈着させる匂いから辿ってくちなしを発見した。

■姜尚中さん・平野啓一郎さん対談 「いきること..こと」について■
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2013年6月12日 水曜日 「恵みの雨」

2013-06-12 21:37:55 | 写真日和

帰り道。
仕事の荷物に加えて、たんまり野菜・食材を買い、両腕にギューギューとマイバックが食い込む中「おやまあっ、ネコさんたち」と座り込む。
次から次へと、さまざまなネコさんたちが出て参り、電車の高架下にて、涼しい夜の集会のはじまりはじまり。

そんな中、茶トラくんがこちらに向かって鳴きながら歩いて来て、座ったじぶんの周囲をぐるぐる・すりすり。

首輪を付けているので、きっと良い暮らしを。。。と、人懐っこい茶トラくんの毛がズボンにくっ付く中、しばらーく遊んだ。
「雨は止んでいて夜半までは大丈夫」という思い込みは、実にうかつなもので、そうして遊んでいるうちに、ボツ・・・ボツ・・・と大玉の雨が降り出した。
「まずい」と思っても手遅れ。
2本しか手がないじぶんは・さらに傘をさせるような千手観音では無い。
両手にぐいぐいと荷物を食い込ませながら、雨に濡れて急ぎ足で帰った。

週の真ん中水曜日、と「夕やけニャンニャン」ではないのだが。。。
「まあ、先は長いし。ぼちぼちっとやりましょうやぁ~。」なる気分。
そんな気分の雨の日に選ぶは、細野さん設立のYENレーベルから発表された、イノヤマランドの作品「Danzindan Pojidon(ダンジンダン・ポジドン)」。
■イノヤマランド 「Shuffer」1983■

直感のみで選んだアルバム。その1曲目「Shuffer」に、「梅雨の季節にも合うものだなあ」とたゆたう。



植物たちには恵みの雨。
痛々しい姿だったアジサイたちが蘇っていく様が、見てとれる。
そして、先週の休みに土を入れて手入れしたゴーヤくんたちも、少しづつ元気を取り戻しつつある。

ダンジンダン・ポジドン。

コーヒーも元気につやつやした葉っぱ。




















コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2013年6月10日 月曜日 「蒸し暑い夜に捧げる」

2013-06-10 21:48:22 | 音楽帳

【気骨の入った表情のネコに、今朝出会った】
気象庁が「梅雨」と言っているのだがら、そうなのだろう。と言いつつ、涼しい夜にはありがたい誤算を感じていたが、そうは問屋が赦さない。
今日・つくばへの往復のくもり空を歩けば、ねっとりと蒸し暑さが汗となって吹き出す。
大きなタオルで、ハゲ頭を「梨本です」と拭いては、時折無風状態にじっとりとねっとりした暑さに参る。
これだけ日々気候が変動すると、心身がついていけない。つい気が遠くなる瞬間もある。

そんな今夜。80年代のポール・ウェラーを想っていた。
ジャムに出会ったのは80年代初頭の「渋谷陽一のサウンドストリート」での「イートン・ライフルズ」。カッコイイ曲。
今のじぶん(わたし)には、おでこに浮いて見える明らかな青スジがある。短気を誤魔化している分、肉体にはそれが形状として現れる。
当時のポール・ウェラー/ジャムには、そういったものを感じた。
だが、新譜アルバムをリアルタイムで全曲聴いたのは、1982年の「ザ・ギフト」。
結果的に、彼らのラストアルバムとなるもの。

過去のパンクの文脈からのジャムのファンにはボロクソ叩かれたが、じぶんはエア・チェックした「ザ・ギフト」を毎日聴いていた。
「ランニング・オン・ザ・スポット」が一番好きだった。
1982年春から夏に向かって、デヴィッド・バーン、XTC、ABC、ロキシー、ブルー・ロンド・ア・ラ・ターク、ヘアカット100、モダン・ロマンス、カルチャークラブ、レゲエ、ラテン・・・・様々な音を同時並行で聴きつつも「ザ・ギフト」をカセットテープで何度も何度も聴いた。

その後、ジャムの解散と翌年1983年夏に現れるポール・ウェラーの新しいユニット「スタイル・カウンシル」。
たった1年しか経っていないというのに。
それは、ポール・ウェラーがパンクという形骸化した音楽を捨てて、もっといろんな音楽を作りたいという、体内から吹き出した想いの結晶。
さまざまな音・スタイルを包括して結成した「スタイル・カウンシル」。

そこには、彼が秘めた想いと「新しい曲を創ることに喜びを感じている」と語った、おおらかさが、ちゃんと姿となっていた。スジが通っていた。
その後、彼の「スタイル・カウンシル」は、田中康夫の『なんとなく、クリスタル』の延長線上に位置した「カフェ・バーで流れるオシャレな音楽」という誤解=不幸を生むこととなるだが、スタイル・カウンシルの初期衝動によって産まれた曲を、じぶんは今でも愛している。

たかだか1年しか、ジャムとスタイル・カウンシルの間のタームは無い。しかし・・・。
そこに、ポール・ウェラーの熱い想いが感じられる。
現代日本のような「産業音楽」として、ちゃーんとシナリオライターが居て・それに基づいてマーケティング戦略としての解散→別ユニットなどとは程遠い。そんな「作為」は一切無い。
あくまで、生真面目な性格のポール・ウェラーゆえに出来た「想い」の帰結。

まだ、夏までは遠いが、既にじぶんはこの土日から「裸族生活」。
そんな夜に、大好きな彼の「未来が見えた」頃の声が染み入る。
■Style Council 「Long Hot Summer (Extended)」1983■
コメント (3)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2013年6月9日 日曜日 Brian Eno 「Under Stars & Under Stars II」'83

2013-06-09 22:01:17 | 雑記帳

心身は参ったまんま、この土日は結局、しんどさから病床に居た。
余りにそういう状態で居るのは、かえって良くないので、時折、近所をうろちょろしたが。
この土日は、我が村のお祭り日。とはいえ、そういう気分にはなれないので、ひたすら回避して過ごした。

祭りびとが不在になりつつあるのを確認した上で、夜の散歩に出掛ける。
本来は、祭りは普段の生活から脱するハレとケで言う「ハレ」の空間。
それはそれで良いのだが、現実は、祭りの後のゴミが散乱する状況。
いったい何を考えているのか?

リオのカーニバルを挙げるまでも無く、ハレ=非日常ゆえ、何をしても良い空間であるし、死人が出ても良いのだが、どうもじぶんの住処をレイプされ・ケガされた気分で良く無い。

すると、いつもの場所でキジトラちゃんに出会う。キジトラちゃんにも、迷惑な2日間だったことだろうに。

黒いネコと見つめ合い、うなりあっていた。テリトリーあらそいだろうか?
キジトラちゃんを撫でているとゴロゴロ言い出すが、片目にキズを負っている。黒いネコと戦ったのだろう。
でも、外の風は涼しく、彼が居る場所は静かな・愚衆/愚民が居ない空間。ネコが一番心地良い場所を知っている。



かなり長いことキジトラちゃんと遊んで、家に戻り、缶ビールを呑みつつ、ブライアン・イーノの1983年作品「アポロ」を聴く。頭痛激しいのを癒す。

■Brian Eno 「Under Stars & Under Stars II」1983■

この土日のいずれかに、老齢の両親の居る実家に行くことになっていたが、心身痛を理由に別の日にした。
朝、夜中も無駄に鳴いている近隣のバカ犬とバカ家族の騒ぎに10時半に起こされる。
不思議とこの2日、スズメさんたちが鳴いていなかったのは、バカ騒ぎを知ってのことだろう。
かなり「しかばね」状態のゴーヤくんたちには、水と土をやらねば。。。
と土を買いに行って、栄養を補充し、水を上げる。



少し外で作業しただけなのに、両手は日焼けしてしまい、汗びっちょり。シャワーを浴びる。
先日、お袋さんから高価なウニをもらったので、パスタを茹でて明太子・ウニを乗せて食べる。

食べて横になると、眠ってしまう。

いろいろ思うこと多し夜だが、紙にエンピツで日記的に文面化された事象を、書き起こす気分の夜では無い。


お昼間、土を買いにいく際に出会ったネコさん。模様はキジトラだが、いつも夜に出会うキジトラちゃんとは別。









資源のムダ、としかいいようが無い、ムダなチラシの渦。一生読むことがない一方で、もったいないので、土作業や掃除などに使用している。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2013年6月7日 金曜日 ブルー・ロンド・ア・ラ・ターク 「アイ・スパイ」'82

2013-06-07 21:52:46 | 音楽帳

XTCの「イングリッシュ・セトゥルメント」より、1982年当時、毎週月曜日に聴いていたFM東京の番組へと、記憶は流れていく。
『トロピカル・フィーリング~貿易風の彼方から~』。
レゲエ、ハイチ、ラテン・・・南洋の音を流す30分番組を録音しながら聴いては、心地よさに酔っていた頃。

ニュー・ウェイヴはYMO影響下から発生した1981年のニューロマンティクスから、1982年のポップ化としての「ファンカラティーナ」に流れていく。
その中の1つのバンドであったブルー・ロンド・ア・ラ・タークを、この番組やクロスオーバーイレブンでエア・チェックし、好んで聴いていた。
しかし、結果的にLPレコードは手に入れられないまんま、カセットテープで聴いたまま2013年に至った。

そのファーストアルバムに入った「アイ・スパイ」を、特に当時よく聴いていた。
■Blue Rondo A La Turk 「I Spy For The FBI」1982■

今夜も涼しい風が吹く、心地よい夜である。





キジトラちゃん














コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2013年6月6日 木曜日 XTC 「Run Away ~ Ball&Chain」'82

2013-06-06 21:44:12 | 音楽帳

「生きる『しかばね』ですね。」
と同僚に言われる状態の今週。へろへろになりながら、仕事をするさまを見て。
喫茶テーブルで一服付け「はあっ・・・」とため息をつき・腰をもんでいると、近づいてくる。

「調子、大丈夫っすか?」
「何のこと?大丈夫っすよ。」
笑いながら「そんなムリしなくていいですよ。明らかに調子悪いの、見て分かってますから。
やること終えたら、早く帰ってください。」とやさしい言葉を掛けられる。

今日は、10時ごろから、左目がおかしいなあ。。。となりだす。
メガネを掛けても焦点がぼやける。そして「例の」チカチカが現れ出す。
閃輝暗点(せんきあんてん)である。視界の中にチカチカと渦が出始める。
「まずい、また出たか。」と思い、トイレに座り・眼をつむってしばし安静へ。。。。

春から夏への流れの中。
最近は、最高気温が高い日があっても、さわやかな風が吹いている日が多く、涼しい快適な朝昼夜であること多し。
(・・・今夜は、さすがにじめじめした夜だが。)
そんな風に吹かれていると、ふいに、そんな気候が脳に作用し、1982年の春から夏への流れを思い出させる。

XTCのLP「イングリッシュ・セトゥルメント」を聴いていた、あの頃。
坂本龍一経由で、アンディ・パートリッジ&XTCに出会ったのち、1982年に発表された新譜。

とてもおだやかで、優しい音に満ちた森の世界。
XTCが持っているブリティッシュ・トラッド、フォークロア、そして、このアルバム特有のアコースティックの匂いが音に漂う。
ポリスの「ゴースト・イン・ザ・マシーン」やフィル・コリンズの2ndソロなどに通ずる、当時敬愛したプロデューサー=ヒュー・パジャムの繊細なる音像。

1982年、A面を聴きながら、遠きイギリスの薄曇りの日の森を脳に描いていた。
草木の合い間から覗く、青白い空と草木の匂い、そして、あたりの静けさ。
■XTC 「Run Away」1982■

「イングリッシュ・セトゥルメント」は、つぶやくような低い音の「ランナウェイ(逃げろ、回避セヨ)」で始まり、クロスフェードしながら「ボール&チェイン」に繋がっていく。
このA面1曲目から2曲目への流れが、未だこの季節に焼き付く。

■XTC 「Ball&Chain」1982■

記憶には曖昧だが、このアルバム前後にして、アンディ・パートリッジが突然カラダが動かない心身症に掛かり、それ以降、人前でのXTCのライヴは永遠に破棄される。
対人恐怖とでもいうのか。
しかし、それはコマーシャリズムにXTCが向かうさなかでの、アンディ・パートリッジのカラダの素直な反応。
YMOの細野さん・教授が1980年の「YMOイヤー」に精神をやられたものと同様。

YMOは、その事態へアルバム「BGM」で謀反・クーデターを起こしたが、アンディ・パートリッジは、人に知られない場所で音を奏でる方向を選んだ。
その流れは、1983年のLP「ママー」へと繋がっていく。
コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2013年6月5日 水曜日 「腰痛パスタ工房」

2013-06-05 21:19:34 | 雑記帳
また、無理が利かないカラダに戻ってしまった。心身痛がここ数日ひどい。
昨年12月にぎっくり腰をやって以降。。。腰痛の再発が一番問題であって、イスに座って仕事をしようとするが、かなりつらい状況。
ぎっくり腰はクセになると言われているし。

月・火・水と長時間座って居られないために、早々に帰り、夕食を作る。早く帰った分、パスタを茹でて実験工房。
様々な素材を絡めて、サラダ風にしてみる。腰痛のときは、座っているよりも・立っている方がラクである。

■「キューピー3分クッキング テーマ曲」■


1・フライパンにて、油揚げ・ちくわ・にんにく・ピーマンを細かく刻んで、少々の油で炒める。
2・そこにチーズを細かくばらして炒める。
3・焦げが少し出てきたら、パスタを茹でている汁を散らして蒸す。
4・塩・コショー少々。それに、白ゴマをすりつぶして入れる。
5・ある程度からんできたら、ガスを止める。

6・パスタは茹で上がったら、少々時間を置いて冷やす。
7・パスタをフライパンに入れて、具と和える。
8・お皿に盛ったら、手で適当にちぎったサニーレタス・天かすを散らし、あらびきコショー少々。
9・バジル&チーズのドレッシングをかけて、タラコをのせて出来上がり。

暑がりでもあるので、ちょうど良い冷やし感。
ドレッシングの酸味が効いて、おいしい一品となった。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2013年6月2日 日曜日 「Everyday I Die」

2013-06-02 23:58:45 | 雑記帳

頭・頚・肩・眼・背中・腰・脚と痛む箇所を、自分自身でマッサージし・ストレッチをし・歩き・更に鎮痛剤を服用しても、何ら消えることの無い、痛みの大波小波の振幅を繰り返す。
接骨院・整骨院・マッサージに行ってはいないが、癒えたと思うのは数十分程度のことで、あっという間に元に戻るのを知っているから行かないでいる。
持病の頚椎ヘルニアマンのせいかどうか?は分からない。

占い師やエセ宗教家と変わらぬ程度の医師が多い中、まっとうな医師なり施術師に出会うには時間を要する。
診察と称したヒアリングをしていくうちに、占い師の常套手段のような軽い発言でもって全てを括り、クスリに「後をよろしく」と託して終わる程度。
「パソコンをいじっていたか?」と聞かれれば「ああ、そうだ。」と答えれば、眼の使い過ぎに帰着。
逆に「いや、今日は外を歩いていた。」と言えば、食事・運動・姿勢・生活環境・他者関係性・ストレス等々、さまざまなる宗教的盲信要因と即直結させ、一件落着させようとする。或いは「様子を見ていきましょう。」

目の前で血を吹き出していれば、それなりの対処療法はあるものの。
如何様にも逃げ道を持ち・変幻自在なるパターン化された応酬話法。
白衣を着て権利をもったがだけの理由で、医師と呼ばれている多くの者たち。
その様は、一般企業人の中によく居る「浅い」あさはかな者たちと何ら変わりは無い。
時間が永遠に続く限り、瞬間瞬間のへんげに応じて、身をかわしつつ・中庸や合間を縫うのが生きることなれども、すぐ0か100かに振り子/メーターが振れてしまう人種たち。

頭が悪く・狂気をはらんでマイナスからスタートし、その借金を祓いきれないままでいるじぶんだが、その程度は分かる。
十人十色だから、そんなレッテル貼り好きの[俗世間]には、我が身は我で守るしか手は無い。
ある地点で我にフィットしていたとしても、ある時を境に我にアンマッチとなれば盲信は捨てるしか無い。
名残惜しいとしても、それを振り切る勇気のみが、我が身を方向転換させる。

それは大衆がよく呼ぶ「風見鶏」とは違う。
そもそも、感知能力が高い優れた生き物たる鳥が、そう呼ばれるのは、実に不名誉であり・迷惑でしかない。
まあ、風見鶏とよく言う大衆側が、風見鶏であるのだが。。。

日々虚ろであるのは、長年に渡る我が身の事実だが、時・々・をまだ生きている我自身が欺瞞そのものであり、日々転向を繰り返している様は、そういう人から見れば風見鶏。
しかし、転向も数千日繰り返せば、0か100では無い・ある範疇に収まっていく。
1つの言い訳として、過去発見した名言が、エイリアンであるゲイリー・ニューマンの「Everyday I Die(日々、ボクは生死を繰り返す)」。
生命体が、寝るという死を経て、再び目覚めるように。
■Gary Numan 「I Dream of Wires」1980■


コメント (6)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2013年6月1日 土曜日 「たおやかなる朝の光」

2013-06-01 07:44:25 | 音楽帳

朝日を浴び、鳥たちのささやきに、6時に目覚める。
疲れは残り、眼は減っこんでおり、頚痛・うっすらした頭痛は相変わらず。
しかし、雲1つない青空と陽光の下。
陽光はさまざまな場所に陰影を付けて、室内に起伏とふくらみを持たせている。
ゴーヤくんたちに水やりをし、こないだお袋さんにもらったお茶っ葉で、新しいお茶を煎れる。幸福。
決め事の1つ・1週間に1回の洗濯を終えて、干す。

ジェネシスのアルバム「インヴィジブル・タッチ」(1986年6月日本発売)をざっと取り出し、好きな曲を聴く。
■Genesis 「Throwing It All Away」■

第二期のジェネシスとフィル・コリンズのソロ。
当時も今も、この2つに違いを感じない。
共に好きだからどうでも良いが。
ピーター・ゲイブリエルの第一期ジェネシスに心酔した・先輩諸氏に「これはジェネシスでは無い」と言われるのは理解している。
■Genesis 「In Too Deep」■






















コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする