二胡工房 光舜堂

二胡を愛する全ての人へ

二胡作りへ繋がる道、その1

2010-07-14 22:24:16 | ■工房便り 総合 
元々、安定志向が無いのかもしれない。

大学も、物理学から、中国史に、

ある時本屋で読んだ、石田幹之助先生のお書きになった「長安の春」を読んで、

忽ち、習うならこの方、と、勝手に決め込んで、国学院に、編入してしまいました。

たぶん、家の仕事柄か,漢文に慣れていたというのもあるかもしれません。

高校ぐらいから、暇があると戦国策や淮南子等読みふけり、

友達と遊ぶというより、諸葛孔明や曹操等に親しみを感じ、張遼が大の仲良しみたいな生活送っていましたから、

中国と言うのにかなり親しみを持っていたのでしょう。

またそのころ、NHKラジオで、小泉文夫さんの、世界の民族音楽など、

毎週土曜の夜が楽しみで、お金がたまると、タブラや、シタール等、

当時としてはとても手に入りにくい楽器を、なんとかルート探って、買い集めたり、

時間があれば、チェロ弾いたり、フルート吹いたり、

今思えば、この二胡作りの下地を作っていたのかもしれないと、

最近思うようになってきています。

幸いにも、周りが職人だらけの世界で生きてきましたから、

物を作りだすということは自分の中で、食事をするのと同じレベルで、

考えもせず、手が動きます。

他のことには、かなり飽きっぽいのに、作ることだけは、やめられません。

食事や睡眠と同じことなのでしょう。

さて、みんなは大学卒業し、いざ就職ということになった時、

自分は何をしたいのか、それこ中学生のような疑問が浮かびました。

多分、ホントにそれまでは、働いて生きていくという事が解っていなかったようです。

自分が何をしたいのかが解らないという、不安、

もしかしたらみなさんも、覚えがあるのかもしれません。

ともかくも、食わなければ、と、大学時代からやっていた大道具の会社に、そのまま籍を置き、

やり始めたのは、考えるということでした。

ある人に、おまえは考えているのか?と叱咤された時、

多分その方は、自分の生きていくまともな生活を、という意味だったと思うのですが、

何を間違えたのか、考えるというのはどういうことなのか、考え始めてしまったのです。

それから、考えることが解る本、いわゆる、哲学と言う物が書いてある本、

片端から読み始めました。

それこそ、「ソフィーの世界」みたいなことを自分で始めて見たのです。

こんなこと二胡作るのに何の関係も無いようですが、

おおありなのです。

物を作りだすために必要な考え方、ということがあります。

それは漠然とした、人生の、というようなことではありません。

物を作りだすというのは、関連するあらゆる事を、如何に深く知って、

如何にそれらを関連付けて、思い描いたイメージの中に組み込み、

具体的な形にまで持っていくかという、考え方の作業でもあるのです。

二胡、楽器、木、皮、音、響き、振動、波長、波、粒子、光、素粒子、クオーク、超弦、

時間、

耳、手、脳、感性、心、精神、神経、心理、人、人々、民族、国、歴史、環境、自然

そして地球、太陽系、銀河、銀河宇宙、

これら、全て二胡作るのに必要だと思いませんか?

その考えることを始めようとした時出会った言葉が、

「考え方を考えてみる」ということでした。

人はどうやって考えているのかということに、先ずぶつかってしまったのです。

続く

西野和宏
Comment    この記事についてブログを書く
« 前の記事へ | TOP | お盆休み週間の特別営業日 の... »
最新の画像もっと見る

post a comment

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

Recent Entries | ■工房便り 総合