二胡工房 光舜堂

二胡を愛する全ての人へ

ヴィーナ・ヴィーナ。新しい楽器?

2013-03-25 11:55:01 | ■工房便り 総合 
18歳の時に初めて、シタールの音を聴きました。

小泉文夫という方の世界の民族音楽という番組でした。

魅力的でしたね。

あれは確か、NHKの夕方の番組だったと思うのですが、記憶が、、、、

その番組で毎週世界中の民族音楽を聴くことが出来ました。

それからしばらくして、国立に住むことが有り縁が有って音大の先生と知り合い、ある日インド音楽の夕べというのに誘われました。

その時に期待していたシタールではなかったのですが、・・・ヴィーナという楽器の音を始めて聴きました。

クジャクの彫刻がしてある、全体にグリーンのイメージだけを覚えています。

シタールの先祖だったというような話は聴きましたが、深く響くその音の音色というよりむしろ響きが忘れられません。

いろいろ二胡で音をなりを追求してきて、追及してきて、行きついたのがドデカゴンでした。

多分ドデカゴンも、二胡も鳴りと、響きという点では、ある完成度に来たようです。

外さなくなったということ、ほぉさんの言う、シガイが出なくなったということでしょう。

殆どの楽器が、3オクターブ音として出るようにはなってきたと思います。

誰が弾いても出るようです。

ボリュームはもちろん、8角形以上に出ます。(これは以前かなり悔しい思いもしたのですが、僕の楽器の方が良くなると言われてから、音の大きさという点では相当突き詰めたと思います。)

もちろん、しっかりと鳴りだしてからの比較です。

お客様のご要望次第で、音の鳴り、響き、音色、明るい音、甘い音、渋い音、鳴り響く音、それぞれに作り分けられるようにはなったと思います。

これは簡単です。樹種の問題ですから。どれを選ぶかそして木のどこを使うかという単なる選択です。

問題が一つできたのです。なんだかやりきったのかと思ったら、手が止まりました。

いつでも同じレベルに出来るようになったら、後は単なる仕事でしか無くなってしまいました。

もちろん仕事ですから、最高の物を作ります。一台一台残していくものというのが余計にはっきりしていますから。

でも、元々が、実験好き、科学者タイプなのでしょう。

良い物を作ってそれで商売していくというタイプではないのでしょうね。

出来ないからこそ燃える、難しいと言われれば言われるほどやる気も出ます。

でもなんだか一定レベルの物が出来てしまうと、やる気がうせてしまいます。

では光舜堂止めようか、というわけにもいかないようです。

沢山の修理しなければいけない二胡も待っていますしね。

ヤル気が起こるには、新しいこと難しいこと見つけるきり有りません。

そこで見つけました。まだ二胡でもやれることは有るのですね。

でも変なのは先に名前を見つけてしまったことです。

ヴィーナ・ヴィーナ。

可愛くないですか?

Comment    この記事についてブログを書く
« 老紅木はジップンの香り。 | TOP | ヴィーナ・ヴィーナ,その2 »
最新の画像もっと見る

post a comment

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

Recent Entries | ■工房便り 総合