何のバランスかと言いますと、
心のバランス、性格のバランス、能力のバランス、人間関係のバランス。
何とか人はそのバランスが取れるように生きていくみたいです。
特に優れた、技能を持っている人もいます。
才能という言い方もあるかもしれません。
ある才能に優れた人は、他の部分で少しマイナス部分を持っていたりもします。
私みたいに何もかも普通、真ん中、というのはむしろ少ないのかもしれません。
何となく、人はみなどちらかへ傾いているのでしょうね、その傾きが良いか悪いか、それはその環境やその能力の種類にもよります。
ということで、音楽家はその傾ききの強さで言うと、相当なものがあります。
私なんかから見ていると、本当に危ういという感じの人も多いです。
音楽家、二胡弾きの中では、かなりまともな、というか私に近いバランスの良さを持っているはずの、木村ハルヨさんにしても、
まあ、私の娘みたいなものだからここに書かせてもらいますが、普通はあり得ない、、、、
インドに演奏に行って、パートナー見つけた。(これがなかなかに良い男なのですよ、私は好きですね、良い男の最大の条件、素直で、その上うまそうに飯を食べる。」そういえば峠岡君もそうですね本当に食べるの大好きという感じで食べます。少し食べ過ぎかな??
やはり音楽家というのはその音楽にかけるエネルギーに生活のエネルギーがほとんどもっていかれてしまうからでしょう、
よほどその生活部分のマイナス??部分を補うバランスのとれた相手が必要なのでしょうね、そうでないとただの音楽~~~になってしまいます。
物を作りだすための才能というのは、多少は音楽家およりも、いわゆる生活部分のバランスが取れていないとやっていけません。
音楽家は音楽を作り出すためには何もいらないのです、それを表現する時に初めて何か生活部分事共が必要になります。
まあ、物つくりにしても、イメージだけなら頭の中で出来ますが、流石にそれを表現するためには、さまざまな材料や道具など、
また、それを購入するための費用をどうやって得ていくかなどと言うとても生活感のあることを沢山、考えなければいけないからです。
その点音楽家は、最低でも声だけでも行けますし、遠藤芳晴さんのように30年近くも二胡一本(他の楽器も弾きますが)ということも可能です。
芳晴さんの場合、いつでもどこでも歌いだしますし、どんな曲に合わせてもすぐセカンドを受け持ってしまいます。
まあ、私の知っている限りですが、(二胡弾きに限ります、そうでないと、もっととんでもないのがたくさん居ますから)
鳴尾牧子さんの音楽家ぶりというのはこれはすごいです。
まさに音楽家、二胡を弾くだけでなく編曲作曲、その上教育楽団の運営、ゼノカルテットの運営、そのほか二人のお子さん、、
これだけあるとやはり、、、ですね。
私が二胡弾きさんたちのお手伝いというのは、まずはこのあたりのバランスをとる、やれないことを手伝う、あるいは金額の交渉あるいはライヴ会場を探す、あるいは、教室の生徒の募集、あるいはまた教室の運営あるいは、あるいは、あるいは、
そう、たくさんお手伝いすることはあると思います。
たぶんどの二胡弾きさんにも、そのようなバランスをとる人が付いているんだと思います。
ですから、それら今すぐの現実的なお手伝いはいらないでしょう。
少し私の場合のお手伝いというのは違うのだと思います。
何が違うかと言いますと、今すぐの為のお手伝いではないのです。
私が生きているうちに、自分も見られるし、楽しめるお手伝いではないのです。
いつの日にか日本のすべての二胡弾きさんたちの役に立つようなお手伝いの下地を今から作っておこうという事なのです。
いずれ日本の二胡弾きさんたちはこうなるだろう,あるいはこうあって欲しい、という事を実現するための、お手伝い計画です。
ある意味「ファウンデーション計画」です、これはSF好きの人ならわかってくれるかも知れません。
続く
心のバランス、性格のバランス、能力のバランス、人間関係のバランス。
何とか人はそのバランスが取れるように生きていくみたいです。
特に優れた、技能を持っている人もいます。
才能という言い方もあるかもしれません。
ある才能に優れた人は、他の部分で少しマイナス部分を持っていたりもします。
私みたいに何もかも普通、真ん中、というのはむしろ少ないのかもしれません。
何となく、人はみなどちらかへ傾いているのでしょうね、その傾きが良いか悪いか、それはその環境やその能力の種類にもよります。
ということで、音楽家はその傾ききの強さで言うと、相当なものがあります。
私なんかから見ていると、本当に危ういという感じの人も多いです。
音楽家、二胡弾きの中では、かなりまともな、というか私に近いバランスの良さを持っているはずの、木村ハルヨさんにしても、
まあ、私の娘みたいなものだからここに書かせてもらいますが、普通はあり得ない、、、、
インドに演奏に行って、パートナー見つけた。(これがなかなかに良い男なのですよ、私は好きですね、良い男の最大の条件、素直で、その上うまそうに飯を食べる。」そういえば峠岡君もそうですね本当に食べるの大好きという感じで食べます。少し食べ過ぎかな??
やはり音楽家というのはその音楽にかけるエネルギーに生活のエネルギーがほとんどもっていかれてしまうからでしょう、
よほどその生活部分のマイナス??部分を補うバランスのとれた相手が必要なのでしょうね、そうでないとただの音楽~~~になってしまいます。
物を作りだすための才能というのは、多少は音楽家およりも、いわゆる生活部分のバランスが取れていないとやっていけません。
音楽家は音楽を作り出すためには何もいらないのです、それを表現する時に初めて何か生活部分事共が必要になります。
まあ、物つくりにしても、イメージだけなら頭の中で出来ますが、流石にそれを表現するためには、さまざまな材料や道具など、
また、それを購入するための費用をどうやって得ていくかなどと言うとても生活感のあることを沢山、考えなければいけないからです。
その点音楽家は、最低でも声だけでも行けますし、遠藤芳晴さんのように30年近くも二胡一本(他の楽器も弾きますが)ということも可能です。
芳晴さんの場合、いつでもどこでも歌いだしますし、どんな曲に合わせてもすぐセカンドを受け持ってしまいます。
まあ、私の知っている限りですが、(二胡弾きに限ります、そうでないと、もっととんでもないのがたくさん居ますから)
鳴尾牧子さんの音楽家ぶりというのはこれはすごいです。
まさに音楽家、二胡を弾くだけでなく編曲作曲、その上教育楽団の運営、ゼノカルテットの運営、そのほか二人のお子さん、、
これだけあるとやはり、、、ですね。
私が二胡弾きさんたちのお手伝いというのは、まずはこのあたりのバランスをとる、やれないことを手伝う、あるいは金額の交渉あるいはライヴ会場を探す、あるいは、教室の生徒の募集、あるいはまた教室の運営あるいは、あるいは、あるいは、
そう、たくさんお手伝いすることはあると思います。
たぶんどの二胡弾きさんにも、そのようなバランスをとる人が付いているんだと思います。
ですから、それら今すぐの現実的なお手伝いはいらないでしょう。
少し私の場合のお手伝いというのは違うのだと思います。
何が違うかと言いますと、今すぐの為のお手伝いではないのです。
私が生きているうちに、自分も見られるし、楽しめるお手伝いではないのです。
いつの日にか日本のすべての二胡弾きさんたちの役に立つようなお手伝いの下地を今から作っておこうという事なのです。
いずれ日本の二胡弾きさんたちはこうなるだろう,あるいはこうあって欲しい、という事を実現するための、お手伝い計画です。
ある意味「ファウンデーション計画」です、これはSF好きの人ならわかってくれるかも知れません。
続く