私は劉継紅先生が大好きで、なんだかんだとお会いしに行きます。
亡くなられた、程農化先生に次いでお会いしている数が多いかもしれんせん。
理由はお会いする度に新しい発見があるからです。
勿論二胡作りに関してですが、ついで多いのは、音楽のことです。
音楽をするという気持ちの事でもありますし、二胡を弾くということ、二胡の楽しみ方ということもあります。
先生が、以前に「良宵」の公演をなさった時に、言われたことで、この先生はホントによく二胡を楽しむということが分かっているのだということがありました。
「自分の弾き方で良い、自分が出来ない所は出来る方法で良い」
「譜面は自分で解釈するもの、それが二胡の楽しみ」
良宵の後半,,音が高くなるところがありますね、高い処で弾けなければ、一オクターブ低くても良いじゃないか、と演奏して見せてくれました。
確かに一オクターブ低くてもそれほどの違和感はないのです。
「賽馬」も弾けるスピードで良いではないですか。
馬がみんなすごいスピードで走るわけではありません。
こうしなければいけないというのが無いのですね。
元々民族音楽だった物を弾く楽器です。
弾く人それぞれに、ゆっくりと或いは、快速で、と音楽になればそれで良いのではないですか。
なまじっか皆さんが、お好きな演奏家に影響されてか、無理なスピードで曲を弾こうとなさる方が多いように感じます。
プロとしてやっている方にもいらっしゃいます。
ゆっくりと下手で良いではないですか。
二胡は、クラシックと違って、思い切って譜面を離れて良いように思います。
もちろん上手になって速い曲を弾きたいというのは、みんなあることですが、どうもその傾向が強いようです。
早い曲は相当弦をしっかりとならせるようにならないと浮ついてしまいます。
楽器を一音一音鳴らすというのが出来ていないと曲になりきらないのではないでしょうか。
前の項で書きましたように、今の中国の楽器はプロ用のものが原型になっていますから。相当シッカリと弾かないと音になって来ません。
ですからスピードを上げると、音色にならなくなってしまうのです。
二胡は音色です。
1902年に出た、ヒル商会のヒルさんが、ストラデバリウスのことを書いた本の中で、バイオリンは洋楽器の中では、一番、倍音が多く女性の声に近くそれで人々の気持ちを惹きつけるのだと、書いていました。
彼は、二胡を知らなかったのですね。
二胡こそ、一番声に近いほどの倍音を持っています。
音色というのを聴かせるに一番良いのが二胡なのではないでしょうか。
今のヨーロッパの人に解りにくいかもしれませんが、マリアカラスのように歌わせることのできるのが二胡なのだと思います。(まだそいう方向で考えてくれる演奏家が日本には少ないと思うのですが)
だから皆さん二胡に魅かれたのだと思います。
だったら、それを強調しませんか。
楽器の持っている良い処を引き出してこその音楽ではないでしょうか。
私は教室でどうやって教えているのかは解りません。
しかし弾く人それぞれに、スピード感があって良いのが二胡だと思うのです。
若い頃から、私はどうも瞬発力に欠けるきらいがありました。
100メートル11,2秒で走ったのですが、先生に言われたのは、スタートが悪い、スタートさへ良くなれば、10秒代、オリンピックか?とよく言われたものですが、どうしようもなく、スタートが悪いのです。
歳を取ったせいもあって最近ではその傾向が余計強くなりました。
賽馬を、めとろのーむで120なんてとんでもないのですが、jimmyさんが、先生に教わった古い賽馬というのを弾いてくれました。(人のいないときには名人なのです、彼は、)
メトロノームで60ぐらいですか、良かったですね。
こういう弾き方も有りなんだというのが実感できました。
音楽をするというのは、上手い下手ではないのでしょう。
上手いというとつい早い曲を弾ける人とと思いがちですが、これは違います。
人を感動させる人が上手いのではないでしょうか。
前々回のお楽しみ会で、二胡を始めて2年のお二人が、デュエットで弾きました。
これは感動しました、ちゃんとハーモニーも合っていましたし、きっちりと伸ばすべきところがこうなって欲しいというように伸ばし、綺麗に響いていました。
ホントに2年と驚いたものです。
もちろん間違いや引っかかりなども有りましたが、それを越えて感動したのです。
(いつかこのお二人には、短いライブやってもらおうと思います、初心者の代表で)
音楽は感動です。音楽は楽しむものです。
上手くなるというのを少し見直しませんか、シッカリと鳴らす。それでこそ、二胡の良さが発揮できると思うのです。
亡くなられた、程農化先生に次いでお会いしている数が多いかもしれんせん。
理由はお会いする度に新しい発見があるからです。
勿論二胡作りに関してですが、ついで多いのは、音楽のことです。
音楽をするという気持ちの事でもありますし、二胡を弾くということ、二胡の楽しみ方ということもあります。
先生が、以前に「良宵」の公演をなさった時に、言われたことで、この先生はホントによく二胡を楽しむということが分かっているのだということがありました。
「自分の弾き方で良い、自分が出来ない所は出来る方法で良い」
「譜面は自分で解釈するもの、それが二胡の楽しみ」
良宵の後半,,音が高くなるところがありますね、高い処で弾けなければ、一オクターブ低くても良いじゃないか、と演奏して見せてくれました。
確かに一オクターブ低くてもそれほどの違和感はないのです。
「賽馬」も弾けるスピードで良いではないですか。
馬がみんなすごいスピードで走るわけではありません。
こうしなければいけないというのが無いのですね。
元々民族音楽だった物を弾く楽器です。
弾く人それぞれに、ゆっくりと或いは、快速で、と音楽になればそれで良いのではないですか。
なまじっか皆さんが、お好きな演奏家に影響されてか、無理なスピードで曲を弾こうとなさる方が多いように感じます。
プロとしてやっている方にもいらっしゃいます。
ゆっくりと下手で良いではないですか。
二胡は、クラシックと違って、思い切って譜面を離れて良いように思います。
もちろん上手になって速い曲を弾きたいというのは、みんなあることですが、どうもその傾向が強いようです。
早い曲は相当弦をしっかりとならせるようにならないと浮ついてしまいます。
楽器を一音一音鳴らすというのが出来ていないと曲になりきらないのではないでしょうか。
前の項で書きましたように、今の中国の楽器はプロ用のものが原型になっていますから。相当シッカリと弾かないと音になって来ません。
ですからスピードを上げると、音色にならなくなってしまうのです。
二胡は音色です。
1902年に出た、ヒル商会のヒルさんが、ストラデバリウスのことを書いた本の中で、バイオリンは洋楽器の中では、一番、倍音が多く女性の声に近くそれで人々の気持ちを惹きつけるのだと、書いていました。
彼は、二胡を知らなかったのですね。
二胡こそ、一番声に近いほどの倍音を持っています。
音色というのを聴かせるに一番良いのが二胡なのではないでしょうか。
今のヨーロッパの人に解りにくいかもしれませんが、マリアカラスのように歌わせることのできるのが二胡なのだと思います。(まだそいう方向で考えてくれる演奏家が日本には少ないと思うのですが)
だから皆さん二胡に魅かれたのだと思います。
だったら、それを強調しませんか。
楽器の持っている良い処を引き出してこその音楽ではないでしょうか。
私は教室でどうやって教えているのかは解りません。
しかし弾く人それぞれに、スピード感があって良いのが二胡だと思うのです。
若い頃から、私はどうも瞬発力に欠けるきらいがありました。
100メートル11,2秒で走ったのですが、先生に言われたのは、スタートが悪い、スタートさへ良くなれば、10秒代、オリンピックか?とよく言われたものですが、どうしようもなく、スタートが悪いのです。
歳を取ったせいもあって最近ではその傾向が余計強くなりました。
賽馬を、めとろのーむで120なんてとんでもないのですが、jimmyさんが、先生に教わった古い賽馬というのを弾いてくれました。(人のいないときには名人なのです、彼は、)
メトロノームで60ぐらいですか、良かったですね。
こういう弾き方も有りなんだというのが実感できました。
音楽をするというのは、上手い下手ではないのでしょう。
上手いというとつい早い曲を弾ける人とと思いがちですが、これは違います。
人を感動させる人が上手いのではないでしょうか。
前々回のお楽しみ会で、二胡を始めて2年のお二人が、デュエットで弾きました。
これは感動しました、ちゃんとハーモニーも合っていましたし、きっちりと伸ばすべきところがこうなって欲しいというように伸ばし、綺麗に響いていました。
ホントに2年と驚いたものです。
もちろん間違いや引っかかりなども有りましたが、それを越えて感動したのです。
(いつかこのお二人には、短いライブやってもらおうと思います、初心者の代表で)
音楽は感動です。音楽は楽しむものです。
上手くなるというのを少し見直しませんか、シッカリと鳴らす。それでこそ、二胡の良さが発揮できると思うのです。