ザ・コミュニスト

連載論文&時評ブログ 

共産法の体系(連載第18回)

2020-04-02 | 〆共産法の体系[新訂版]

第4章 経済法の体系

(1)共産主義的経済法の意義
 一般に経済法とは、経済体制のいかんを問わず、経済活動のあり方を規律する法体系である。資本主義体制下では、自由経済の基本となる独占禁止法を中核に、経済活動の規制に関わる諸法を広く含むことが多い。
 ただ、資本主義は所有権と売買契約を経済活動の法的土台とするため(いわゆる私的自治)、これらを規律する私法(民法)が法体系の出発点となり、経済法は二次的な法体系にとどまる。共産主義においても私的自治が妥当する領域は残されるので、私法に相当する市民法が別途制定されるが、その位置づけは経済法に劣後する。
 共産主義社会における経済法は、環境法に次いで重要な意義を担う。前章で見たように、共産法の体系上、環境法は最高法規の憲章に次ぐ優先性を持つので、経済法も環境法の規律下に置かれることになる。
 それは、大きく経済計画法・企業組織法・労働関係法の三つの分野に分けられる。筆頭の経済計画法は共産主義経済の基本となる計画経済のシステムを規律する法であり、共産主義的経済法体系の中核を成す。
 次いで、企業組織法は計画経済下での各種企業組織のあり方を規律する法であり、資本主義では会社法に相当するが、もとより共産主義社会に営利企業は存在しないため、企業組織は種別を問わず、非営利組織である。
 三つ目の労働関係法は労働基準法を中心とする労働者の権利を保障する法であるが、労働と経営の分離を前提とする資本主義的な労働法とは異なり、労働と経営の合致を本則とする共産主義経済にあっては(拙稿)、労働関係法も経済法の一分野に位置づけられる。
 実際の立法に当たっては、これら三分野はそれぞれが別個の法律として制定されるのではなく、すべてが一本の経済法典としてまとめられる。この点でも、多数の法典の集積・総称にすぎない資本主義的経済法とは大いに異なる。
 なお、経済法典とは別途、無主物たる土地の管理について定める土地管理法は、土地の利用権についても規律し、市民法と経済法の中間域にある法律だが、これも広い意味では経済法に含まれるので、本章で扱う。

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共産法の体系(連載第17回)

2020-03-21 | 〆共産法の体系[新訂版]

第3章 環境法の体系

(5)環境法の執行
 環境法の執行という場合、まず世界共同体(世共)レベルのものと世共構成領域圏レベルのものとが区別される。
 世共レベルの法執行体制とは、すなわち世共機関である世界環境計画による領域圏レベルにおける環境法執行状況の監督がそれである。
 世界環境計画は、世共主要機関である持続可能性理事会の下に下部機関として置かれる世界レベルの環境政策の立案・執行機関であって、定期的に各領域圏における環境法執行状況を審査し、必要に応じて勧告やより効力の強い警告を発する権限を有する。
 当該領域圏が警告に応じない場合、環境査察団を派遣し、強制的な調査を行なう。査察の結果、問題点があれば、世界環境計画は、改めて強制力を伴う是正命令を発し、従わない場合は、世共総会に対し当該領域圏の世共構成資格の停止を勧告することができるものとする。
 以上に対し、領域圏レベルの執行は、政府機構を持たない共産主義社会にあっては民衆代表機関である民衆会議が直接にこれを担うことは、環境法にあっても同様である。
 その場合、環境法執行機関の中枢を担うのは、民衆会議の常任委員会の一つでもある持続可能性委員会である。同委員会は環境政策の立案・立法の中心であると同時に、領域圏から地方自治体の民衆会議それぞれに各個設置され、環境影響評価から環境法の執行までを一貫して担当する環境法の統括機関となる。
 特に領域圏民衆会議の持続可能性委員会の下には、法執行の現場を担う機関として各地方に環境監督署が設置される。環境監督署は持続可能性委員会による環境影響評価の実務機関であると同時に、環境法違反事犯を摘発する環境法執行機関でもある。
 同様に、地方自治体または連合領域圏の準領域圏の持続可能性委員会の下にも、独自の環境法執行機関を設置することができる。 

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共産法の体系(連載第16回)

2020-03-20 | 〆共産法の体系[新訂版]

第3章 環境法の体系

(4)統一環境法典
 共産主義的環境法の世界共通法源である世界地球環境法(条約)は、世界共同体を構成する各領域圏に対し、固有の環境法の制定を義務付ける。この領域圏環境法は各領域圏ごとの環境条件に適合した具体的な環境保全の根拠法として機能する。
 領域圏環境法は個別法令の単なる集成ではなく、初めから一本の法律として制定される統一法典である。例えば日本の現行環境法は多数の個別法令の寄せ集めであるが、これら個別法令間の重複・齟齬を修正して全法令を一本の法律に包括するようなイメージである。
 こうした統一環境法典は領域圏全体の共通法であるから、連邦型の連合領域圏にあっても、連合全体に適用される連合法として制定される。
 その内容は、世界地球環境法における三つの基本原則、すなわち①生物多様性の保全②天然資源の保全③気候変動の防止を反映して、各領域圏ごとの環境条件を加味した具体的な環境保全の体系を規定するものとなる。
 こうした統一的な領域圏環境法典は単なる理念法ではなく、領域圏法体系の中で最も憲章に次いで優先度の高い法である。従って、それは次章以下で見る経済法典や市民法典、犯則法典等々に対しても指導原則を提供する。
 この全土共通法としての領域圏環境法典の枠内で、地方自治体や連合領域圏を構成する準領域圏は独自の地域的な環境法を制定することができるほか、領域圏環境法典ではいまだ規定されていない独自の環境規制を先駆的に制定することもできる(先行規制法)。
 環境保全の現場に位置する地方における先行規制法は、その内容が広く認知されれば、領域圏環境法典の内容に取り込まれ、全土的法定事項となり得る可能性を持っていることから、領域圏環境法典においても、こうした先行規制法の制定が明示的に奨励される。

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共産法の体系(連載第15回)

2020-03-07 | 〆共産法の体系[新訂版]

第3章 環境法の体系

(3)世界地球環境法の基本原則
 前回見たように、世界地球環境法(条約)の根本理念は「持続可能な共存」であるが、この根本理念からすると、世界地球環境法の最大の目的は、生物多様性の保全(回復を含む)となる。それは同時に、同法における第一の基本原則をも成す。
 ここで生物多様性という場合の「生物」には人類も含まれる。従って、人間以外の動植物の保護だけに限局されるものではなく、人類を含むすべての種の保護が目指される。
 次いで、第二の基本原則は天然資源、中でも水の保全である。言うまでもなく水は全生物にとって不可欠の資源であり、地球が多様な生物の共存を可能にしてきた最大の理由は水資源の豊富さにある。
 持続可能性に配慮された共産主義は水をはじめとする天然資源の共同的な民際管理を可能にするが(拙稿参照)、その法的根拠は経済法以前に環境法に置かれる。まさに「持続可能的計画経済」と呼ばれる所以である。
 第三の基本原則は、人為的な気候変動の防止である。これは現今、「地球温暖化対策」の名で国際的な優先課題として取り組まれているところであるが、資本主義体制では温暖化の元凶である資本の活動を法的に制約することができないため、国際的にも国内的にも決断的な合意が形成される見込みはなく、常に微温的な合意にとどまる。人為的気候変動対策は持続可能的計画経済を備えた共産主義において初めて実効的となるだろう。
 以上の三つが、世界地球環境法における三大基本原則である。この三つは言わば目的的な原則であるが、これら三大原則を達成するための手段的な原則として、慎重の原則が明記される。慎重の原則とは、環境的有害性が科学的に証明されていなくても、明らかに非科学的でない限りは、環境負荷的な行動を回避しなければならないという原則である。
 類似の原則として、予防の原則があるが、これはこれは100パーセントではないが、ある程度科学的に予測される環境有害事象の発生を防止するための行動を義務づける原則であるのに対し、慎重の原則は理論上可能的な環境有害事象に対しても、念のための回避策の選択を義務づけるより踏み込んだ原則である。

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共産法の体系(連載第14回)

2020-03-06 | 〆共産法の体系[新訂版]

第3章 環境法の体系

(2)世界地球環境法の根本理念
 共産主義的環境法の統一的法源となるのは、世界地球環境法である。これは世界共同体が制定する世界法の一つであり、現行の国連条約に匹敵するような法規である。
 この世界地球環境法には、各領域圏が制定する環境法典の基礎を成す重要な環境原則が示される。その基盤にあるのは、共存権の法理である。共存権とは、人類を含む多様な生物の共存の権利を意味する。
 その意味では、生命共存権と言い換えてもよいが、それは仏教における殺生戒のような宗教的な観点からの倫理ではなく、人類を含む多様な生物の生存場である地球環境の保持を導く根拠である。
 すなわち、全生物の共存を図るための地球環境の保持ということである。そこから、現今環境保全上のキーワードとなっている「持続可能な開発(発展)」という用語は、「持続可能な共存」へと置換される。
 「持続可能な開発」とは環境的持続可能性と資本主義的経済開発の両立という理念を含意する標語である。それは資本主義経済の枠内で環境保全も図ろうという折衷的な理念であり、環境破壊を招く開発一辺倒の資本主義を修正する原理としての歴史的意義は認め得るが、用語の組成からしても、あくまで「開発」に主眼を有していることは明らかである。
 従って、「開発」を本質的に阻害するような環境保全策、特に資本主義経済の根幹を揺るがす根本的な政策は回避・否定され、環境保全策は常に中途半端でびほう的な手段にとどまらざる得ない。一方で、環境保全を営利ビジネスに誘引しようとする企図を隠さない。
 世界地球環境法はこのような「緑の資本主義」理念とは根底から決別し、環境法の根本理念を多様な生物生存の持続可能性の保障へと革命的に転換することになるのである。

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共産法の体系(連載第13回)

2020-03-05 | 〆共産法の体系[新訂版]

第3章 環境法の体系

(1)環境法の位置づけ
 共産法の体系において、民衆会議憲章に次ぐ枢要性を持つのが環境法である。環境法とは、持続可能な地球環境の保持を目的とする法規制の根拠法である。
 共産法において、環境法が枢要なのは、現代的共産主義の究極的な意義がまさしく地球環境の保全にあるからである。すなわち地球環境の保全を真に考慮した計画的な生産活動と民主的な政治制度のあり方こそが現代にふさわしい共産主義なのであるから、環境法は共産主義の心臓部に当たる法体系となるのである。
 ところで、環境法という法分類自体は、すでに資本主義社会においても現われている。ただ、そこでの環境法は通常、政府が環境政策を実施するための根拠法として扱われており、広い意味の行政法に分類される。従って、その内容は時々の政権の施政方針によって変容する不安定なものである。
 また、一部の環境先進国を除き、環境法は統一的な法典にまとめられておらず、複数法律の継ぎはぎ的な集合体に過ぎない。資本主義における環境法は、資本の活動を過度に制約しない限度で、そのつど制定される個別政策的な補充法に過ぎないからである。
 これに対して、共産法における環境法は、まず世界共同体レベルの世界地球環境法(条約)を統一的な法源としながら、それに則って各領域圏において策定される統一法典である。その位置づけも行政法の単なる一環ではなく、まさに環境法というそれ自体として固有の法体系を成すものである。
 共産主義的な環境法は補充法ではなく、それ以外のあらゆる一般法体系の基礎に置かれ、それらを制約する基礎法であり、その点では憲章に次いで、基本法の一環を成す。このことは、持続可能な地球環境の保持が単なる政策にとどまらず、世界共同体憲章における普遍的人権の支柱を成すことからも、裏付けられる(参照条項例)。
 こうした環境法の根本法源は先ほど言及した世界地球環境法であるが、そこに盛り込まれる原則的な内容については、稿を改めて次回に回すことにする。

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共産法の体系(連載補遺)

2020-02-23 | 〆共産法の体系[新訂版]

第2章 民衆会議憲章

(6)憲章の解釈と適用
 
民衆会議憲章は一つの法規として司法的執行を予定した最高法規である。この点でも、国家憲法と重なる部分はあるが、国憲にあっては、憲法裁判所のような特別裁判制度を持つにせよ、司法裁判所による具体的な事件ごとの適用によるにせよ、憲法の司法的執行が消極的になりがちであることとは相違する。
 民衆会議憲章の司法的執行体制は、まず各領域圏のレベルを基礎に構築される。すなわち、民衆会議における常任委員会の一つである憲章委員会が憲章をめぐる裁判機関としても機能する。この点では、憲法訴訟専門の憲法裁判所と類似するが、通常司法部も具体的な訴訟中で憲章を適用することが可能である。
 憲章委員会はまた、民衆会議代議員の提訴により、公的諸機関の活動が憲章に違反しているか否かを審理し、判決することができるというように、日常的な憲章監察機関としての役割も果たす。
 市民が憲章違反を訴える場合は、まずこれら領域圏レベルの民衆会議に対して提訴することが前提となるが、それでも所期の解決が得られない場合は、世共レベルの司法機関に提訴することができる。
 そうした世共レベルの司法機関としては、違憲審査機関としての憲章理事会と、人権救済に特化した人権査察院の二系列の主要機関がある。
 憲章理事会は、領域圏の法令が世共憲章に違反しているかどうかについて審理・判決する終審的な権限を持つ。他方、人権査察院は個人や集団に対する具体的な人権侵害行為が世共憲章に違反するかどうかを審理・判決する終身的な権限を持つ。
 いずれの場合も、領域圏内部での司法的解決手段がすべて尽くされていることが提訴の要件となるため、世共レベルの司法機関への提訴は民衆会議憲章の司法的執行体制としては終局的な最後の砦という位置づけとなる。

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共産法の体系(連載第12回)

2020-02-22 | 〆共産法の体系[新訂版]

第2章 民衆会議憲章

(5)民衆会議憲章の内容③
 民衆会議憲章は根本的には世界共同体(世共)憲章の形で表現される条約としての性質を有する民際法であるが、第二次的に領域圏内部の憲章としても表現される。すなわち領域圏憲章である。これは、世共を構成する各領域圏の域内で適用される言わば領域圏の「憲法」である。
 その意味では、現行の国家憲法(国憲)に匹敵する地位を持つ基本法であるが、国家主権に基づく国憲の内容がまさに国によりまちまちであり、言わば国連の憲法である国連憲章も加盟国の憲法に対して何ら制約的な地位を持たないのに対し、領域圏憲章は世共憲章の範囲内で成立する支分憲章であって、世共憲章の具体化法という派生的な地位を持つ。
 従って、先に指摘した世共憲章の三大原則(民衆主権・恒久平和・普遍的人権)に反する内容を領域圏憲法に盛り込むことはできない。その結果、各領域圏憲章は民衆会議制・軍の不保持・人権保障を共通項として共有し合うことになる。
 この点で、世共を構成する各領域圏の政体は、自由と平和を共有しつつ民衆会議を基軸とする会議体共和制に収斂していくため、君主制から共和制まで様々な政体を持つ主権国家の集合体である現行国連に比べて、はるかに均質性の高い共同体として機能するだろう。
 ただし、領域圏憲章は世共憲章に反しない限りで独自の内容を盛り込むことができるから、世共憲章よりもいっそう先進的な規定を設けることは何ら差し支えない。しかし、逆に、世共憲章の内容を後退させるような規定を盛ることは認められない。
 また独自の成文法としての領域圏憲章をあえて持たない不文法主義を採用してもよいが、この場合は世共憲章がそのまま領域圏憲章として自動適用され、その範囲内で実質的な憲章に相当する種々の基本法が制定されることになる。
 ところで、連邦型の連合領域圏における準領域圏や領域圏内の地方自治体も、それぞれの権限事項に関して固有の憲章を持つことができるということが民衆会議憲章体系の大きな特色であるが、それらも世共憲章及び領域圏憲章に沿った内容でなければならないことは当然である。

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共産法の体系(連載第11回)

2020-02-21 | 〆共産法の体系[新訂版]

第2章 民衆会議憲章

(4)民衆会議憲章の内容②
 前回、世共憲章の三つの支柱的原則の一つとして、「普遍的人権」を挙げたが、ここで、この原則について若干の補足をする。
 普遍的人権は、今日でも国際人権規約に集約されている人権の集大成と指摘したが、こうした「国際人権」と「普遍的人権」の間には連続面と切断面とがある。
 まず連続面から見ると、普遍的人権は人一般が享有する基本権の集成であり、それ自体が司法的に適用・執行される法規範となるものである。そうした実際上の法効果の点では、国際人権と連続、共通する。
 しかし、普遍的人権の究極的な根拠は人は生まれながらにして自由・・・という天賦人権論ではない。共産法は自然法や自然権その他の超越的・神学的な観念には依拠しない、徹頭徹尾世俗的な人為法である。従って、普遍的人権の根拠も人類共同的な人権盟約にあり、この盟約に参加しない限り、普遍的人権も発生しない。
 人権条項を含む世共憲章はこうした人権盟約を兼ねるものであるため、同憲章の締結をもって普遍的人権も確定する。とすると、世界共同体に参加しない地域の個人や集団に普遍的人権は適用されないことになるが、個別的に参加を望み、世共域内へ避難した個人や集団には普遍的人権が及び、世共による法的保護を受けることもできる。
 この天賦人権ならぬ盟約人権たるところから、体系上も、自由権より社会権が先行することが帰結される。とりわけ生存の権利である。「生存なくして、自由なし」だからである。世界共同体の設立趣旨は人類の平和的共存にあることからしても、この理は当然である。
 ただし、このことは表現の自由に代表される自由権を軽視することを意味しない。社会権と自由権は普遍的人権における不可分の両輪であり、その間に優劣関係はない。あくまでも、論理的な順序関係である。 
 もう一つの切断面は、普遍的人権は国家主権を前提しないことである。国際人権は国家主権を前提としつつ、国境を越えて人権を押し及ぼそうとする努力の産物であるが、それゆえに国家主権によってその適用を妨害される宿命にある。国家なき世界を前提する普遍的人権にそのような障害物は存在せず、全世界に普く及ぶものである。
 それゆえ、普遍的人権は国家と個人の対峙状況を前提しない。国際人権は国家権力から個人を保護する意義を持つが、共産主義社会では国家という政治体はそもそも存在せず、民衆会議を通じた統治に移行するので、国家と個人の対峙状況はすでに止揚されていることが前提となる。
 民衆会議の統治は本質的に人権を基盤とする統治であって、世共憲章における第一の支柱的原則である「民衆主権」と「普遍的人権」とはコインの表裏関係にあるとも言える。言い換えれば、人権を無視する民衆会議は存在し得ない。

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共産法の体系(連載第10回)

2020-02-20 | 〆共産法の体系[新訂版]

第2章 民衆会議憲章

(3)民衆会議憲章の内容①
 民衆会議憲章は世界共同体憲章(世共憲章)を究極の法源としつつ、領域圏憲章及び各領域圏内の準領域及び地方圏の憲章を包含した統一的な法構造を持つため、その具体的な内容も全体が統一化されることになる。 
 究極的法源となる世共憲章は地球規模における「憲法」であり、ここには世界共通の憲章原則が盛り込まれる。その根本は「民衆主権」である。民衆主権は 民衆が社会の運営主体であることを示す究極の政治原理であり、民衆会議を基軸とする統治機構の基盤となる。
 これに基づき、世共を構成する各領域圏が共通して備えているべき民衆会議の言わばグローバル・ミニマムな制度概要は、世共憲章に付属する「民衆会議規約」に委ねられる。
 次いで「恒久平和」である。これは単なる精神論にとどまらず、世共を構成する領域圏が軍隊を保有し、兵器を製造・配備する権利を全面的に禁止する原則であり、軍備廃絶条約の根拠となるものである。ただし、世共が平和維持のための最小限度の共同武力とその運用に必要な装備を共同保有することは認められ、それらの運用に関する原則的規定も盛り込まれる。
 第三は「普遍的人権」である。これはすでに現在でも国際人権規約A(社会権規約)及びB(自由権規約)の二本立てで一応集成されている国際人権規範の集大成となるが、現行人権規約が国連憲章とは別立てとなっているのとは異なり、新たな普遍的人権規約はA・Bの区別なく一本化されたうえで、世共憲章に統合される。ただし、内容上は共産主義社会の本質に適合したものへと進化する。
 世共憲章は世界の根本法であるがゆえに、原則規定に重点を置いた比較的簡素な構成となり、その内容を具体化する条約の性質を持つ世界法は別途制定される。また、世共それ自身の運営機構の細目を定めた種々の世界法も別途制定される。
 ところで、この世共憲章の制定・改正は世共総会の地位を持つ世界民衆会議において行われるが、その議決要件は代議員の五分の四の出席かつその三分の二の賛成によるものとし、民衆の直接投票は行わない。
 このような改正手続きのあり方は原理的な理由というより、全世界規模での憲章改正の直接投票が事実上困難であるという技術的・実際的な理由によるものである。その代償として、議決要件を上述のように厳格にする。

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共産法の体系(連載第9回)

2020-02-07 | 〆共産法の体系[新訂版]

第2章 民衆会議憲章

(2)憲章の統一的構造
 共産主義社会における最高法規となる民衆会議憲章(以下、憲章という)が国家基本法としての憲法と大きく異なる点として、「国」ごとに基本法=憲法が個々独立に存在し、相互に「外国法」として法源から排除し合うのでなく、すべてが世界共同体における憲章―世界共同体憲章―を統一的な法源とすることがある。
 この世界共同体憲章(以下、世共憲章という)は、現行体制で言えば、国際連合憲章(国連憲章)に相当する、言わば「地球の憲法」である。
 ただ、国連憲章はあくまでも国連加盟国のみを拘束し、国家憲法に当然に優位するという性質のものでもなく、主権国家の連合体である国連の運営規則を定めた条約にとどまるという消極的な性質を帯びている。
 それに対し、世共憲章は文字通り、全地球的な最高規範であり、世共を構成する各領域圏に対して漏れなく適用される。各領域圏は世共憲章を法源として、それぞれ固有の民衆会議憲章を制定する。逆言すれば、各領域圏の憲章は世共憲章に違背することはできないという制約を受ける。
 このように、世共憲章及び領域圏憲章は、世共憲章を根本的な法源としながら、相互に関連し合う統一的な構造を持つ。ただし、世共憲章と領域圏憲章との関係は上下関係ではなく、世共憲章がその支分法としての領域圏憲章を包摂する包含関係に立つ。また、ある領域圏の憲章が直接に他の領域圏に適用されるものでもない。
 同様に、領域圏内の準領域圏(州に相当)及び地方自治体も、領域圏憲章を法源として固有の民衆会議憲章を制定することができる。
 このうち、準領域圏は現行連邦国家に近い連合型の領域圏を構成する統治体であり、広汎な自主権を有するため、固有の憲章を備えることは自然である。これに対し、統合型の領域圏における地方自治体も固有の憲章を持つのは、地方自治が深化する共産主義社会の特色である。
 このように、民衆会議憲章は、世共憲章を究極の法源としつつ、領域圏憲章及び準領域圏憲章・地方自治体憲章をも包含した統一的な法構造を持ち、その全体が有機的に関連し合いながら適用されていくため、国境線で適用対象を区切られた国内法と国境線を越えて適用される国際法という法の形式的な区分が単純には妥当しない。

*世界共同体憲章の私擬的な試案として、『世界共同体憲章試案』を参照されたい。

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共産法の体系(連載第8回)

2020-02-07 | 〆共産法の体系[新訂版]

第2章 民衆会議憲章

(1)国憲から民憲へ
 共産法においても、法は効力の優劣による階層構造を採るが、その内容はブルジョワ法とは異なる。近代的なブルジョワ法体系で頂点に立つのは憲法である。最高法規とも称されるゆえんである。
 ここで言う憲法とは、国家の基本法という趣意である。つまり、ブルジョワ憲法とは政治的な国家の存在を前提とするという意味では、国家憲法(国憲)である。
 まさにこの点に、しばしばブルジョワ憲法が国民から遊離し、国家支配層の統治及び体制維持の法的道具と化す危険が内在している。技巧的な「法解釈」を通して憲法条項を実質的に書き換える「解釈改憲」はそうした危険が最大限に発現したものであるが、そもそも憲法自体を制定時から支配層に都合よく制定することも十分可能である。
 そうした支配層の策動に対して、「国家権力を統制・抑制することを目的とする近代憲法の本旨に反する」という正当な批判がしばしば向けられるが、この「正論」が通用しづらいことも、ある意味では国憲の本質なのである。
 国憲は国家の基本法であるから、起草の中心となるのも国家支配層の代表者であり、一般国民が起草に関わることはない。国民主権に立脚した近代ブルジョワ憲法において、国民が「究極的な」憲法制定権者であると言われるのも、まさに「直接的」な制憲者は別にいて、一般国民は名義上の「主権者」として象徴的に祭り上げられていることを示唆している。
 そのため、近代ブルジョワ憲法は国家権力の統制・抑制に目的があると宣言してみたところで、国家支配層が自らの武器であるところの国家権力の統制・抑制を真剣に考慮するはずもないのである。かれらにとって、憲法は権力行使における伝家の宝刀である。
 以上に対して、共産法における最高法規はもはや国家憲法ではない。真の共産主義には国家という観念も制度も存在しないからである。
 共産主義社会における最高法規は、民衆が自らの社会を運営するに当たっての基本原則を定めた基本法=民衆憲法(民憲)であり、それは同時に、民衆代表機関としての民衆会議の運営規則=民衆会議憲章という形態を持つものである。

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共産法の体系(連載第7回)

2020-01-24 | 〆共産法の体系[新訂版]

第1章 共産主義と法

(6)重層的法体系
 現代のブルジョワ法は、その適法範囲により大まかに国内法と国際法の二大系統に分けられるが、共産法にはこのような区別がない。というのも、共産社会は究極的に世界共同体というグローバルな民際機構に包摂されるからである。
 従って、共産法は全体的に言えば世界共同体「内部」の法にほかならないが、これを制定される場の観点から分類してみると―
 世界共同体総会を兼ねた世界民衆会議で制定される世界法、世界共同体域の大陸的な区分である汎域圏の民衆会議で制定される汎域圏法、世界共同体を構成する各領域圏の民衆会議で制定される領域圏法、連合領域圏を構成する準領域圏の民衆会議で制定される準領域圏法、地方自治体の民衆会議で制定される自治体法の五種を区別することができる。
 このうち世界法及び汎域圏法は現在の国際条約に相当し、領域圏法が国法、準領域圏法は州法、自治体法は自治体条例に相当するものである。従って、強いて内外二系統に分類するなら、世界法及び汎域圏法を民際法、領域圏法及び準領域圏法・自治体法を域内法と呼ぶことはできる。
 しかし、共産法における世界法はもはや国家主権によって妨げられることはないので、他の法と本質的に異なるものではない。異なるのは、それらの効力が及ぶ地理的な範囲である。すなわち、世界法は全世界、汎域圏法は汎域圏、領域圏法は領域圏、準領域圏法は準領域圏、自治体法は地方自治体に各々及ぶということになる。
 この五種の法の関係に上下優劣はない。世界法や汎域圏法は世界共同体や汎域圏に包摂される領域圏でもそのまま法として通用するのであり、領域圏法とは対等な関係に立つ。さらに、領域圏法と準領域圏法・自治体法の関係も対等である。
 こうした法種間の対等関係は世界共同体、汎域圏、領域圏、準領域圏、地方自治体の間で各々明確な役割分担がなされ、相互に競合しないことの帰結である。そのため、日本式の法令分類でいう条約、法律、条令といった階層的な名称区別も厳密には必要なく、すべては「法」である。 
 このように、共産法の体系は地球を一つに束ねる世界共同体の内部で上下に階層化されることなく重層的な体系を形成し、それぞれが明確な法目的をもって、その全体が有機的に機能していくことになるのである。

準領域圏または地方自治体の管轄事項について全土的な標準を定めておく必要があるときは、枠組み法という領域圏法により準領域圏法や自治体法を制約することがある。また、連邦型の連合領域圏内では、準領域圏法が原則として領域圏法に優先する(ただし、憲章は除く)。詳しくは、拙稿参照。

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共産法の体系(連載第6回)

2020-01-23 | 〆共産法の体系[新訂版]

第1章 共産主義と法

(5)交換法から配分法へ
 ここで、共産法の体系に関して、法における正義という形而上学的な次元における特質からも見ておきたい。その際、ここでは現在でも法哲学論議の最も基本的な規準としてしばしば援用されるアリストテレスの正義論に立ち返って考えてみることにする。
 アリストテレスの功績は、罪と罰や契約における給付と対価のような「交換的正義」と、各人の価値に応じた配分を意味する「配分的正義」とに正義の位相を二分したことにあった。
 その点、ブルジョワ法は、明らかに前者の交換的正義を正義の主軸として成り立っている。発達した資本主義社会におけるブルジョワ法はある意味で、交換的正義の到達点にあると言ってよいだろう。
 ブルジョワ法の中心的な体系は契約法である。これは商品が支配する資本主義社会が法的には売買契約を主軸として成り立つことからして、ごく当然の帰結である。そこでは、まさに給付と対価の交換関係を衡平に規律することが、法的正義の本質となる。
 もっとも、発達したブルジョワ法にあっては、契約当事者間における強弱の力関係を考慮した配分的正義を目指す社会法も一定限度では取り入れられているが、それは本質部分ではなく、あくまでも修正的な補充法としての意義しか持たない。
 ブルジョワ法では、こうした交換的正義の観念は私法に限らず、刑法にも及び、罪と罰との均衡が求められる。そこでは古来の復讐の観念が応報刑の法観念に変換されて、法的正義の衣をまとうことになる。反面、犯行者個々の特性に応じた改善更生を目指す配分的正義論は背後に退けられ、イデオロギー的に否定されることもある。
 対照的に、共産法における正義は配分的正義の側面に軸がある。交換的な契約の観念が完全に消失するわけではないとしても、貨幣経済の廃止により少なくとも金銭的な対価関係は消失するので、契約法の意義は大幅に減少する。
 代わって、配分的正義を軸とする法体系が構築され、社会法はもはや単なる補充法ではなくなる。むしろ社会法と私法の区別が相対化されていき、私法にも社会法の原理が埋め込まれていく。
 また刑法の分野でも交換的正義に基づく罪刑均衡の観念は背後に退き、代わって配分的正義に基づく個別的・教育的な理念が前面に立ち現れる。その究極は刑罰という本質的に交換的な法制度そのものの廃止にまで進むことになるが、詳細は該当の章で述べる。

*貨幣経済が廃される共産法下でも物々交換は認められるので、交換契約はむしろ盛んになると予想されるが、物々交換は金銭による売買契約とは異なり、より文化的・儀礼的な交換関係の原理で律せられると考えられる。

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共産法の体系(連載第5回)

2020-01-11 | 〆共産法の体系[新訂版]

第1章 共産主義と法

(4)法の活用②
 
法の活用ということに関連して、法の解釈という問題がある。立法された法は施行後、実際に適用されるようになるが、法の文言にはたいていの場合、解釈の余地が残されるため、適用の前提として、解釈の問題が生じる。誰が公式の法解釈権を持つかという問題である。
 こうした有権解釈の権限は、立法府と分離された司法府(裁判所)に与えることが今日の世界の趨勢となっている。司法府の独立性に関しては、国により程度差があり、司法府が法の適用・執行に当たる行政府に制度上または事実上従属してしまう例もあるが、表面上多くは「司法(権)の独立」が標榜されている。
 しかし、立法された法の解釈だけを切り離し、「独立」した司法府がなぜ専権的に判断できるのか、言い換えれば、なぜ立法府は法の解釈に関して無権利なのかは十分に説明できない。法の解釈は、法の形式的な適用とは異なり、第二の立法に等しい実質を持つことを考慮すると、この問題はいっそう解決が困難である。
 その点、共産法の体系においては、法の解釈も、法の適用と同様、立法機能を持つ民衆会議が一貫して持つ権限である。多くの場合、民衆会議の下部機関が法を適用する前提として法を解釈することになる。しかし、法を適用された市民が異議を申し立てた場合、法の解釈をめぐって争いが生じることがある。
 そうした場合、中立的な機関が法の解釈の当否に関して有権的な判断を示す必要を生じるが、共産法では独立の司法府というものは観念されない。上述したとおり、法の解釈も、立法に当たった民衆会議の権限に包摂されるからである。立法者である民衆会議が自ら立法した法の解釈権限をも持つという一貫性のあるプロセスである。
 ただし、法の解釈如何が争われるのは、何らかの法的紛争が生じている場合であるから、民衆会議の通常の立法プロセスとは別に、中立性と専門性とを備えた民衆会議の内部機関が公平に裁定する必要がある。
 そこで、法の解釈だけに専従する民衆会議の常任委員会として、法理委員会が常置される。法理委員会の判事委員は法解釈に専従する法律専門家であるが、いわゆる裁判官ではなく、民衆会議においても議決権のない特別代議員の地位を持つ代議員の一員となる。
 ただし、共産法体系における最高規範である民衆会議憲章の解釈をめぐる問題に関しては、法理委員会とは別に、憲章の改廃発議権を持つ常任委員会(憲章委員会)に解釈権を専属させることが望ましいが、その詳細に関しては、該当する章にて改めて扱うことにする。

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