理論編:裁判員制度の仕掛けを見抜く
第2章 強制と排除(続き)
(3)六つの排除システム
前回見たように、裁判役は強制的性格の強い義務ですが、その一方で当局から見て「好ましからざる人物」を排除する仕掛けを何重にも用意しています。このように、裁判員制度は「強制と排除」を本旨とする極めて抑圧的な制度なのです。
本節が主題とするのは、排除のシステムですが、この点、裁判員法は実に六種類もの排除装置を用意しています。その六種類とは、(A)無資格者排除(裁判員法13条)(B)欠格者排除(同法14条)(C)不適格者排除(同法17条・18条)(D)就職禁止(15条)(E)〔特に検察側からの〕忌避(同法36条)(F)解任(同法41条・43条)です。
各々の詳細の説明は省きますが、こうした排除装置によって裁判役から排除される者のカテゴリーは、おおむね(ア)外国人(イ)未成年者(ウ)障碍者、無学歴者等(エ)犯歴者、被疑者・被告人等(オ)危険思想分子(カ)事件の当事者等といった人たちです。
このうち、事件の当事者等が裁判員となるべきでないことは当然ですから、(カ)のカテゴリーは排除というよりも除外事由になります。その他、(エ)のカテゴリーのうち被疑者・被告人は自分の事件への対応に専念すべきですから、これも除外することに合理性があります。さらに、(ウ)のカテゴリーのうち、知的障碍者をはじめ、裁判員として当事者の主張や証拠を検討するだけの知能が欠如している者の除外も合理性を認めざるを得ないでしょう。
しかし、それ以外のカテゴリー、特に(オ)の危険思想分子には当局の視点に立って「好ましからざる人物」を予め排除しようとする意図がはっきりと読み取れます。言い換えれば、裁判役には予め当局にとって都合のよさそうな人を召集したいという、一種の「選抜徴兵制」のようなコンセプトがあるわけです。
ここで最も問題の多い危険思想分子の排除に焦点を当ててみましょう。これは先ほど列挙した六種類の排除装置のうち欠格者排除の一環を成すものです。
裁判員法はこの点、国家公務員法上の公務員の欠格事由を準用する形で、「日本国憲法施行の日以降において、日本国憲法又はその下に成立した政府を暴力で破壊することを主張する政党その他の団体を結成し、又はこれに加入した者」を裁判員から排除します。
これは国家公務員の任用の場合に準じて、特定政党・団体、とりわけ共産主義政党・団体への所属関係の有無を問題とする規定です。文言から見て、戦後版思想取締法として違憲論も根強い破壊活動防止法と連動していることがわかります。
おそらく同法に基づいて、あるいはそれとは別途、公安当局が監視下に置く政党・団体のメンバー、元メンバーが標的にされるでしょう。「日本国憲法施行の日以降」とありますから、1947年5月3日以降という歴史的なスパンを持った排除規定であることに驚かされます。
この規定はそれに該当する人物は絶対的に排除する趣旨ですから、裁判所は呼び出した全裁判員候補者について該当性を判断しなければなりませんが、そのために裁判所は公安情報を蓄積している公安調査庁・公安警察等の政治警察機関へ秘密裡に照会を取る必要があります(裁判員法12条参照)。ということは、裁判員制度は政治警察機関とも連係しながら運用されていくものだということがわかります。まさに治安装置なのです。
もっとも、そんな破壊活動団体の関係者は裁判員から排除されて当然だと思われるかもしれません。しかし、一方で指定暴力団組織のメンバーが排除されていないことは不可解です。それをおいても、破壊活動団体に該当するかどうかは、公安情報に基づき裁判所が判断することですから、自分では平和的団体に所属しているつもりでも、裁判所には破壊活動団体だと認定されてしまうことは十分にあり得ます。
また、直接には先の要件に該当しない者でも、裁判所が「不公平な裁判をするおそれがあると認めた者」は不適格者として予め排除されるか(不適格事由)、いったん裁判員に選任されても事後的に解任されます(解任事由)。
「不公平な裁判をするおそれ」という極めてあいまいな文言で、裁判所が一方的に特定の裁判員候補者または現役裁判員を排除できるため、この規定を通じて死刑相当事件では死刑廃止論者を排除したり、一般的に警察・検察・裁判所などの公権力に対して批判的な思想を持つ者を排除したりする目的で利用される可能性が指摘されています。
いずれにせよ、先の六種類の排除装置は単独で、あるいは複合的に作動して「好ましからざる人物」を排除するように仕組まれているわけです。
(4)最後に残る人々
以上のような「強制と排除」の結果、最後に裁判員として残るのはどんな人たちなのでしょうか。
まず免除特権が認められる社会上層の人たちはそもそも召集もされないのですから、裁判役を課せられるのは初めから庶民層の一般国民(有権者)です。
そこから先の排除装置によって排除されていく人たちを差し引くと、さしあたり残るのは体制に従順な庶民層の一般国民となるでしょう。
もっとも、先に見たように、例外的に「辞退」という名の個別免除が認められやすい人たちがいます。その筆頭は「無理由辞退」が認められる70歳以上の高齢者や学生・生徒です。大まかに言えば、老人と若者は免除されやすいということになるでしょう。そうすると、裁判役の中核的世代は中年層に集中してきます(ここは若者中心の軍事的兵役とちょっと違うところです)。
その中でも、「理由付き辞退」が認められやすい人とそうでない人とに分かれていきます。最も認められやすいのは、健康・体調を理由とする場合ですから、病気・病弱の人や妊産婦は免除されるでしょう。次いで、山間部など交通の便の悪い所に居住しているため、裁判所に「出頭」することが困難な人も免除されやすいと思われます。
微妙なのは、介護・養育・付添い等の必要を理由とする場合です。おそらくこの理由で免除されるのは、介護・養育・付添い等を代わってもらえる人が容易に見当たらないような場合に限られてくると思われます。
そうすると、結局のところ、裁判員として最後に残る人たち(原則6人、例外4人)は、おおよそ次のような顔ぶれになるでしょう。
〔取替えの利く一般労働者+各種ケアに忙殺されない有閑主婦+その他の有閑中年層〕であって、裁判員裁判が開かれる裁判所の所在する都市またはその近郊に住む健常・健康な人々
おそらく当局はこのような人たちこそ裁判員にふさわしいと考えているのでしょう。しかし、あなたや私が被告人であったとしたら、このような顔ぶれの人たちに裁かれたいでしょうか。
「能力」を疑うわけではありません。現代の一般庶民層の知的レベルは相対的に上がっているので、「能力」を疑うのは失礼というものです。問題は判断傾向です。上掲のような人たちの判断傾向はほぼ想像がつきます。一般には厳罰志向で、被告・弁護側よりも検察側に共感しやすい人たちです。
実際、これまで二年余りの裁判員裁判の実績を見ても、検察側求刑をそのまま認容する「満額回答」も少なくなく、職業裁判官の裁判ではほとんど見られなかった求刑を上回る量刑をするケースも見られます。一部で減少するのではないかとの楽観もあった死刑や無期懲役刑のような重刑もどんどん出されています。また、有期懲役刑の求刑でも、従来の職業裁判官の裁判では八掛け(例えば、懲役20年の求刑に対して8割の懲役16年の判決)が相場と言われていたのが、裁判員裁判では九掛け(先の例で求刑の9割の懲役18年の判決)前後まで引き上がる傾向が出ています。
ただ、こうした厳罰化傾向は、「犯罪との戦い」という裁判員制度のモチーフとなる法イデオロギーにはまさに合致しているのですから、現状は立法者のもくろみどおりとなっているわけです。