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老子超解:第九章 無について

2012-04-14 | 〆老子超解

九 無について

復帰するということが道の動き方である。弱いということが道の効用である。
天下の万物は有より生じ、有は無より生ずる。
道が一を生じ、一が二を生じ、二が三を生じ、三が万物を生ずる。万物は陰を負って陽を抱き、(この二つを媒介する)沖気がこれを調和させているのである。

 

 老子の中で最も刺激的な論議を提起してきた「無」の思想を展開する章であるが、老子が「無」について正面から語るのは、通行本で第四十章に当たる本章だけと言ってよい。一般的な解釈とは裏腹に、老子にとって「無」は必ずしも決定的なキーワードではない。
 老子にとっての「無」とは、あくまでもの存在論的な別言にすぎない。前章で序説的に語られていた真空というの性質をひとことで「無」と表現するのである。従って、老子的な「無」とは「何も無い」ことではなく、老子的な真空の概念に従って「何かが在る」状態である。
 そうした意味では、老子的「無」はゼロではない。従ってまた、しばしば虚無主義の系譜に位置づけられることも多い老子の思想は、西洋思想の文脈におけるニヒリズムとも異質である。老子の「無」は、むしろ日本の西田幾多郎が単なる有の対偶としての無=相対無とは区別して、相対的な有/無の対立を超える根拠として提起した「絶対無」に近いものと言えるだろう。
 ただし、「絶対無」を心の本体として観念した西田の場合は唯心論的傾向が強いのに対し、無としてのを物質的に把握しようとする老子の場合は唯物論的傾向が強いという点は無視できない両者の差異である。
 ちなみに、第三段は通行本では第四十二章の冒頭に現れる章句であるが、内容的には本章第二段の命題を受けて、それを陰陽思想によりつつ敷衍しようとしているところであるから、あえて本章末尾へ移置してみた。陰陽家ではなかった老子が陰陽思想に触れるのはここだけであるが、それは同時代の中国人にとっても晦渋であった自説を理解させるために、あえて同時代人にはよりなじみやすかった陰陽家的説明を試みたものであろう。
 ただし、ここでも陰と陽の対立の手前にある一者=を想定しつつ、沖気という媒介概念によって陰陽二元論を克服しようとするのは老子独自の考えであり、これは第一段冒頭で再び繰り返されている「復帰」の思想とも関わってくるところである。
 なお、第一段第二文で弱さをの効用としているのは、弱さという価値を積極的に肯定する老子倫理学の一端である。

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朝鮮情勢をめぐる誤算

2012-04-14 | 時評

朝鮮民主主義人民共和国(以下、朝鮮と略す)の最近の動きをめぐり、世界に二つの誤算があった。

一つは権力の「世襲」に関してである。多くの専門家たちは先代の最高指導者であった故・金正日国防委員長・朝鮮労働党総書記の三男・正恩氏が父の就いていたポストを単純に継承すると予測していたようだが、この予測は見事外され、正恩氏の就いたポストは国防第一委員長・党第一書記という若干ささやかなものであった。

朝鮮の基本政体はあくまでも共和制であるからには、君主制のように先代の地位をそのまま世襲することは自己矛盾となるわけで、先代・正日氏も父が就いていた国家主席の地位を継承することは避けた。正恩氏も同じやり方を踏襲するだろうことは容易に予見できたはずであった。

それなのに、ほとんどの専門家が予見できなかったのは、かれらが「朝鮮=世襲制国家」という先入見にとらわれているからにほかならない。もちろん実質的に見れば、一党支配体制の党と国家の最高指導ポストが初代・金日成から子へ、さらに孫へと三代続けて継承されたことに違いないが、決して単純な世襲制ではないのである。

もう一つの誤算は、衛星≒ミサイル発射技術に関するものである。米国や周辺諸国は朝鮮当局が予告していた実質的なミサイル発射に過剰反応し、恐慌を来たしていた―少なくともそう見えた―が、結果は当局自身もあっさり認めるほどの失敗であった。

そもそも多額の国費を投じて行わねばならないミサイル開発が、飢餓的状況も指摘されるほどの深刻な経済難に見舞われている国で、順調に進んでいるとはとうてい考えられないはずであった。それなのに、朝鮮が米国本土に着弾するほどのミサイル技術を擁しているなどと想定することは、朝鮮の軍事技術への過大評価である。

ただ、この誤算は、「世襲」をめぐる誤算とは異なり、半ば意図的な“誤算”であるかもしれない。要するに、朝鮮の先端的軍事力を過大に見積もったうえで「朝鮮の脅威」を口実に自国の軍拡ないしは軍事的プレゼンスの強化につなげようという世論操作を伴う“誤算”なのだ。今回、日本では領域内へのミサイル落下の可能性は通常ないとされながら、沖縄の防衛に仮託した自衛隊の展開がおおっぴらに行われたが、これもそうした“誤算”の一つである。

朝鮮の現状はかつて同国の生みの親にして後ろ盾であったソ連と同様もしくはそれ以上に秘密主義的であるため、ウォッチャーを称する少数の専門家が権威を持ちやすいが、かれらが真に客観的で冷静な分析を実行しているのか、そうでないのか、言わば逆ウォッチしていく必要があろう。

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