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戦後日本史(連載第25回)

2013-10-09 | 〆戦後日本史―「逆走」の70年―

第5章 「逆走」の急進化:1999‐2009

〔四〕第二次新自由主義「改革」

 小泉政権を経済政策面で特徴づけるキーワードは、新自由主義であった。ただ、これもまた20年前の中曽根政権時代の規制緩和・民営化を軸とした経済政策の復刻であり、歴史的に見れば中曽根政権時代の第一次新自由主義「改革」に対して、第二次新自由主義「改革」と呼ぶべき波であった。
 それはしかし、中曽根時代の第一次「改革」と比べてもイデオロギシュで、社会保障・労働、司法にも及ぶ広範囲なものであって、そのイデオロギー的なベースには、小渕内閣時代の諮問機関の答申が置かれていた。そうした意味で、小泉政権を準備したのは小渕政権であったと言える。
 そうした第二次新自由主義「改革」のシンボルは郵政民営化であったが、より民衆の生活に直結する広範囲で歴史的と評してよい悪影響を及ぼしたのは、派遣労働の規制緩和であった。
 派遣労働についてはやはり中曽根政権時代に限定的に解禁されていたが、小渕政権時代の1999年の原則自由化を受け、小泉政権下の04年には製造業にまで拡大され、これによって一気に派遣労働者が増大していった。いわゆる非正規労働の時代の号砲であった。
 社会保障分野では画一的な社会保障費抑制策によって各種社会サービスが停滞し、また公的年金の給付額を財政経済情勢に応じて減額調整することも認めるマクロ経済スライド制を導入するなど、財政均衡に傾斜した政策を志向した。
 こうした方向性は弱肉強食の「市場原理主義」との非難も招いたが、小泉政権は終始高支持率をキープし、彼の政策によって痛めつけられるはずの一般大衆によって喝采されていたのである。
 小泉政権時代、野党勢力では民主党が筆頭野党の地位を確立しつつあったが、イデオロギー的な軸の定まらない雑居政党で、自らも結党時の基本政策に「市場原理の貫徹」を謳う同党が小泉「改革」への明確な対抗軸を示すことはなく、第二次新自由主義「改革」は政党地図の総保守化という大状況の中、暗黙の与野党合作で進められていったのである。
 皮肉にも、小泉政権の敵は自党内にあった。とりわけ田中角栄以来、郵政利権を基盤としている党内勢力の間では郵政民営化に対する反発は当然にも根強く、郵政民営化法案が上程されると党内から公然たる反対行動が起き、法案は参議院で否決されるに至った。
 05年8月の衆議院解散・総選挙はそうした党内の“抵抗勢力”を排除するために打たれた布石であって、実際、小泉は郵政民営化に反対する自党系候補者を公認せず、対抗馬(いわゆる“刺客”)を立てる奇策を用い、自党を圧勝に導いたのであった。
 このような党内抗争の結果、郵政民営化に反対する議員らが自民党を離党して国民新党を結成する動きも見られたが、小泉政権の基盤を揺るがすことはなかった。
 こうして「既得権打破」を呼号する小泉の姿勢は、一般大衆の目には田中角栄に象徴されたような旧来の利権保守主義からの決別を示す「改革」と映り、ますます小泉政権への支持を高めたのであった。
 小泉政権の施策は市場からも好感され、2002年2月に始まる景気回復は小泉政権時代を通じて軌道に乗り、政権退陣後の07年10月まで戦後最長の好況をもたらした。
 失業率も04年以降改善に転じたが、その裏には非正規労働者の急増という現象があり、雇用不安を内蔵した好況であった。このことは、小泉政権退陣後の世界同時不況に際しての「派遣切り」による大量失業という反作用的な破綻の伏線となっていく。

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