第5章 「逆走」の急進化:1999‐2009
〔五〕最右派・安倍内閣の「業績」
右派・小泉政権の5年は「逆走」をいっそう急進化し、戦後最右派の内閣を産み落とした。2006年9月の小泉政権退陣後、後継首相に就いた安倍晋三は、母を介して50年代に右派内閣を率いた岸信介元首相の孫に当たり、父も80年代に首相候補に名の挙がった安倍晋太郎元外相という政治一族の生まれであった。
就任時52歳だった安倍は小泉と同じ派閥に属し、若くして小泉政権の官房長官を務めるなど、小泉首相の信任も厚く、安倍後継は前首相からの禅譲に等しいものであった。
安倍は祖父岸の右派路線の継承者であって、改憲を暗示する「戦後レジームからの脱却」や「美しい国、日本」などの愛国主義的なスローガンを携え、その周囲には多くの右派政治家が集まり、若手・中堅右派のホープでもあった。
実際、安倍の主要な政治的関心は郵政民営化のような経済政策よりも、改憲を軸とするイデオロギー政策のほうに置かれていた。わけても改憲へ向けたプロセスを具体的な政治日程に乗せることを最大使命とした。「逆走」のアクセルはいっそう強く踏み込まれるはずであった。
こうしてポスト小泉の本格政権を期待されてスタートした安倍内閣はわずか1年で退陣に追い込まれるのであるが、その1年の間に決して小さくはない「業績」を残している。
その最大のものは改憲のための国民投票法の制定である。従来、憲法には改憲条項がありながら実際の改憲手続きを定めた法律は未制定のままであった。そこで安倍内閣は改憲へ向けた最初の突破口として、史上初めての本格的な改憲国民投票法の制定を急ぎ、強行採決の形で成立に持ち込んだのであった。
また改憲とも密接に関連する重大な法改正として、教育基本法の改定も断行された。教育基本法は戦前の尊王・国家主義的な忠君愛国教育を廃し、憲法の精神に基づいた民主的教育の精神的支柱としての意義を担う基本法として、憲法とほぼ一体のものであるから、改憲を狙う安倍内閣にとっては第二の突破口であった。
とりわけ愛国教育を基本原則の一つとして法に明記することが最大目標とされ、いくらか妥協的な修正文言を加えられたものの、愛国教育が教育基本法の新たな基本原則として位置づけられることになった。
さらに防衛力増強と自衛隊の国軍化に関心の強い安倍内閣は、従来内閣府外局として附属機関的存在であった防衛庁の正式な省昇格も実現させた。これは単なる名称変更にとどまらず、自前の主務大臣を持った防衛当局が政治行政的な発言力を増強することを意味した。
これらの施策は小泉前政権からの引き継ぎという面もあり、そのすべてを安倍独自色とみなすことはできないが、どちらかと言えば経済政策に重心を置いていた小泉政権がやり残した政治面での「逆走」をさらに進めていく意味を帯びていた。
ただ、安倍内閣はこうした施策を小泉政権下の郵政解散総選挙での圧勝で巨大化した与党の力をもって、十分な審議を経ずに与党だけでの強行採決を繰り返して権威主義的に進めていった点において、政治手法の面でもまさに「戦後レジームからの脱却」を図っているかのように見えた。
こうした安倍内閣の手法には国民の間から警戒心も生じたと見え、07年7月の参議院選挙で自民党は一転して大敗、代わって2年前の郵政解散総選挙で大敗した野党第一党・民主党が多数を占め、参議院では野党勢力が主導権を握るいわゆる「ねじれ」に陥った。
この結果、政権運営に行き詰まった安倍首相は、健康状態の悪化による執務困難を表向きの理由として、07年9月、突如辞任を表明し、安倍内閣はわすか1年で退陣することとなったのであった。